住宅都市国際協力研究会 2003・9・9                                       

  マニラ湾岸・トンドに集住していた瀬戸内漁民

                                     武蔵大学社会学部 武田尚子

                                             ntakeda@cc.musashi.ac.jp                     

参考文献:武田尚子『マニラへ渡った瀬戸内漁民−移民送出母村の変容』御茶の水書房2002。

 

1 移民送出母村

     ・広島県 沼隈郡 田島村 町地区

    ・明治37年(1904)〜終戦までの約40年間にわたって、移民を送出。

    ・打瀬網漁という漁法。マニラ湾海底は砂地でこの漁法に適する。

    ・移民旅券を所持して渡航。                     

2 マニラ湾における日本人漁業

      ・明治33年(1900)に、在留邦人が試験的操業を行う。

      ・船舶の鑑札取得が問題。会社運営方式も試みられるが、消滅。

      ・次第に、広島県出身者(百島、田島)が主力勢力となる。

       母村の親族、近隣ネットワークを活用した渡航形態、リクルート形態。

      ・大正2年(1913)、トンド(マニラ)日本人漁業組合、結成。

      ・大正13年(1924)、マニラ日本人漁業組合登録記念(25年間の漁業権取得)

      ・動力船化が課題となる。

      ・昭和6年(1931)、組合附属商店を設置。

      ・日本人漁業者排斥の動きが年々強まる。

     ・日本軍のマニラ占領時期に現地召集、または帰国。

      ・他に、沖縄の追い込み漁の集団があった。

 3 マニラの生活

   ・トンド地区に集住。親方の家で居住。

   ・親族関係にある3〜4人で、打瀬船に乗り組む。(フィリピン人は陸上の補助的仕事)

   ・家族は母村に残してくる場合が多い

   ・漁業以外の職業にも従事:造船所経営、大工、建設業、 

      ・日本人商業者とは社会的境界があった。

      ・マニラ日本人会には、トンド漁業区が立てられ、3人の評議員を出している。

    マニラ日本人青年団の副団長を務めた人物もいる。

4 母村の変容

      ・昭和5年〜15・16年頃、家屋の取得・建設 −還流金、経済的資源の蓄積。

      ・旧上層部から、マニラ移民の新興勢力への、階層変動。

   ・集落周辺部の神社・お堂の再建、祭礼の増加 −社会的空間の形成、

                          社会的資源の蓄積。

      ・移民のヒーローについて、伝説の発生 −伝説、伝承という文化体系の改変。

                                             文化的資源を豊富にする。

5 人の移動をとらえる視点

      ・ネットワーク−階層によるネットワークの相違。

      旧上層(麻網問屋)−地域外の広範囲に形成されたネットワーク

            移民の層  −集落内、島内に形成された緊密な親族、近隣ネットワーク

            同じ地域社会内に、異なるネットワーク保有者が存在していることの効果

     還流する資源について多様な捉え方−経済的資源、社会的資源、文化的資源 

     長い時間スパンでとらえたときの「移動」の意味

      集落、家の系譜−西海捕鯨業出稼ぎ、マニラ移民、南氷洋捕鯨事業員

            地域の担い手層−地元に人的資源をとどめるそれなりの理由、ネットワーク