都市スラムの成立史  フィリピンの場合

 

山田 修

 

アメリカの独立戦争介入(米西戦争)キューバ、グァムとともにフィリピンの統治権が2000万ドルでアメリカに委譲

(戦争勃発当時、黄巾の乱などの介入目的で中国に派遣していた戦艦をマニラに派遣 マニラ沖海戦での圧倒的勝利)

 輸入割当量(クォータ制導入やLL協定など)といった従属経済の浸透

 

アジア太平洋戦争による日本の直接的介入!

 たとえば、台湾産砂糖で国内消費を賄えると判断した日本はフィリピンに当時戦略物資であった綿花の作付けを強制、戦時経済は人的被害だけではなく、社会経済的にも多大な被害をもたらした

 

戦後のアメリカによる復興援助 都市インフラが中心 はこもの

農村政策の根幹である農地改革が優先順位から除外され、農村ゲリラ対策としてルソン中部の水郷地帯に灌漑を導入

農地改革はマルコス独裁下でもとうもろこしとこめの作付け地帯に限定的に導入

 

コメ増産計画の失敗とトウモロコシ増産計画(現在進行中)          

 農産ビジネスとの連携

 ローンなど金融支援体制を組むもその大筋において成功とは思えない

 こうしたプッシュ要因に加えて、都市部の産業化政策(とくにマルコス以降の輸出志向型工業化戦略)が誘因要因となって都市部の人口集中を招く

他方、労働力輸出政策が一般化し、都市部での労働力確保競争が顕在化する

 

 安上がりの労働力として1970年代を通じて定着

 

 MIRAB経済社会(太平洋の視点1991年秋)