彼らがやって来た日

 勇士たち、なぜ戦うのか…彼らはなぜ真田の下へやって来たのでしょうか。
 それぞれのいきさつについて、また、初めて真田家にやって来た時について、ここに要約して記します。


 「この幸村が智能をふりしぼって働く時、わたくしの手足となって働いてくれる秀れた家来が、十人、現れましょう」
 幸村十五歳。元服したばかり。彼が己の運命を示す星を見つめていると、一つ、二つ、三つ…全部で十の小さな星が周りに現れ、幸村の星を中心に巡りました。この日から、彼は、たびあるごとに夜空を見上げ、星の運命に導かれた勇士が真田のもとに集う日を、今か今かと待ち続けたのでした。そして…


猿飛佐助
 最初に現れたのは、猿飛佐助と名乗る忍者、澄んだ眸の若者でした。
 佐助は織田に滅ぼされた武田家の遺児。信玄の軍師・山本勘助は、盟友である伊賀の老忍・戸沢白雲斎に、武田勝頼の血をひく生まれたばかりの赤子を託したのでした。それから十五年後、忍者として成長した佐助は、師匠の白雲斎から、こう申しきかされます。信州上田の真田左衛門佐幸村に仕えて生きよ、と。佐助は、育ててくれた恩師に別れを告げて旅立ちました。
 そして、信州上田城。幸村の父・昌幸が広場で弓を引いているところ、突如として佐助が姿を現します。佐助は名を名乗り、真田幸村様の家来にしていただくために来たと言いますが、昌幸は信用せず、佐助に向かって次々と矢を射かけました。佐助はその矢を素早く掴んでは置き、掴んでは置き、それを繰り返します。ふと、幸村が父を止めて地面を指差します。佐助が受け止めたすべての矢で文字を書いていました。「さるとび」と。

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高野小天狗
 続いて、幸村の許へ馳せ参じたのは、熊野の幻の忍者団「からす党」の五代目頭領、高野小天狗です。
 滝に打たれつつ、今まさに命を絶とうとしている四代目頭領を、五代目を継ぐその息子はじっと見守っていました。父親は息子に遺言を与えます。「滅びゆく者に栄光を与えよ」と。それが熊野からす党の金言でした。そして、さらに父親は、信州上田城の真田幸村殿に仕えよと道を示し、息子に高野小天狗という名を授けます。小天狗は、父の最期を看取り、上田へ行くことを決意します。
 幸村の星の近くには、すでに二つの星が生まれていました。一つめは佐助、そして、もう一人いると、幸村は夜空を見上げて思いました。佐助は幸村の傍で草笛を吹いて、そのもう一人を呼び寄せます。すると、一羽のからすが飛来し、それはたちまち人の姿に変わりました。熊野からす党の頭領で高野小天狗と名乗るその若者は、滅びゆく者(豊臣)に栄光を与えるために、真田の家来になって働きたいと幸村に告げるのでした。

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三好清海
 次にやって来たのは、三好清海と筧十蔵の二人です。
 三好清海は、かつて大坂城天守閣の鯱の目にはめられた翡翠の玉(大坂城の守護神)を奪おうとして捕らえられ、釜ゆでの刑に処せられた大泥棒・石川五右衛門の忘れ形見でした。石川五右衛門は、当時十一歳だったわが子を頭上に高々と掲げ、釜の中で立ち往生しますが、子どもは赦され解き放されました。その子は成長して三好清海と名乗り、亡父に代わって大坂城の鯱の目を奪いとることを固く決意するのでした。
 佐助が師匠の許を旅立ち上田に向かう途中、ひょんなことから知り合った豪商・大阪屋惣兵衛の所で、この三好清海と出会います。そして、清海の素性とその決意を知りますが、清海は佐助が見守る中、大凧を操って天守閣の大屋根に取り付き、見事、鯱の目奪取に成功しました。
 佐助は別れ際、清海を誘います。共に、真田幸村殿の家来にならないか、と。

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筧十蔵
 筧十蔵は、明国出身で、二刀業と妖術の使い手。小西行長が朝鮮で明の大軍と戦い和議を結んだ折、明の将軍から贈りものとして与えられた少年でした。
 小西行長と石田三成は、大坂城内で家康を暗殺しようと謀り、その刺客として、まだ十二、三歳の十蔵を差し向けました。が、家康配下の伊賀忍者・服部半蔵の活躍で暗殺は失敗に終わり、十蔵は窮地に陥ります。その時…十蔵を救い出してくれたのは、三好清海でした。清海は十蔵と共に大凧に乗って城を脱出し大空へと飛んで行きました。なぜ助けてくれたのかと問う十蔵に、清海は「あそこで助けなければ男じゃない」と言います。日本語をまだよく解せない十蔵は「あんた、自分を女だと思っているんですか?」とトンチンカンな質問をしますが、「そうじゃない、男の中の男という意味さ」と清海は答えます。
 二人はその後、秀吉のお伽衆であった曽呂利新左エ門に出会い、彼からもまた勧められます。豊臣のために働いてはどうか、真田幸村の下へ行ってはどうか、と。

(2006.12.3) このページの先頭へ

呉羽自然坊
 五人目の勇士となったのは、呉羽自然坊です。
 呉羽自然坊は、山伏あがりの大男、怪力自慢で大薙刀の使い手でした。京の三条大橋で、夜に僧兵姿で立ち尽くし、強い武士と見かければ試合を挑み、相手の刀を奪い取る…自ら武蔵坊弁慶の再来だと、うそぶいておりました。
 その今弁慶の噂は、幸村の耳にも入りました。幸村は、その男を家来に加えたいと、佐助に勧誘の仕事を命じます。佐助は三条大橋に出向き、自然坊に声をかけ、牛若丸よろしく飛び跳ねます。自然坊は佐助を追い回しますが、どうしても捕らえることができず、ついには負けを認めました。「真田幸村公の家来にならないか」と佐助が誘うと、「しかたねえ、家来になってくれるかい」と自然坊は答えます。それを聞いて喜んだ佐助は、無邪気に自然坊の手を引っ張り真田館へと向かうのでした。自然坊は照れくさそうに言いました。「これ、これ、痛いよ」

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由利鎌之助
 次に現れたのは、由利鎌之助です。
 由利鎌之助は、関が原の戦いでは西軍首脳の一人であった宇喜多秀家の謀臣・明石掃部助の従者でした。無口で真面目、くさり鎌の名手です。
 ある日、鎌之助は、宇喜多秀家が隠した軍用金の在処をつきとめるため、明石掃部助に命じられて、九度山の真田館を訪れます。佐助は幸村の命により、鎌之助と共に、軍用金の所在を知る秀家の娘・鶴姫のところへ向かいました。そして、佐助の宿敵・地獄百鬼にさらわれた鶴姫を救出すべく、鎌之助と佐助が大活躍します。ただ、結局軍用金の在処は鶴姫にもわからずじまいで、佐助はひとまず幸村の下へ戻り、鎌之助は巡礼お鶴となった鶴姫をつれて掃部助の下へ帰りました。
 それから後、鎌之助とお鶴は、共に九度山へやって来ました。掃部助から幸村の家来になる許しを得て、二人は真田館の住人となったのでした。

(2006.12.9) このページの先頭へ

霧隱才蔵
 それから勇士に加わったのは、霧隱才蔵と為三の二人です。
 霧隱才蔵は、本名はキーリイ・サイゾ、イギリス海賊の息子でしたが、五歳の時に船が難破して、ひとりシャムに漂着し、そこで育ちました。インド密教の秘術を会得し西洋剣の使い手でもあります。
 一方、上田城で佐助が捕虜とした武人・山田長政は、幸村の勧めで海外へ渡りますが、渡航前に長政は佐助に「お主の競争相手となる若者を見つけて寄越してやる」と約束します。そして、シャムでキーリイ・サイゾと出会った長政は、彼に霧隱才蔵という日本名を授け、佐助との約束について話しました。
 やがて、才蔵は巨鷲マンダラに乗って来日し、佐助と出会うなり試合を挑みます。佐助は「真田幸村様の家来にならぬか」と誘いますが、才蔵はそれをはねつけ、決着はつかないままでした。
 それから後のこと、江戸を訪れた才蔵は、徳川方との争いで、愛鳥・マンダラを失いました。才蔵が、佐助と為三と共に真田館にやって来たのは、その直後のことでした。

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為三
 為三は、泥棒を生業としていた小男ですが、江戸の地理に非常に詳しく、さらには江戸城からの抜け道も熟知しており小回りが利くという長所がありました。
 ある日、江戸城へ盗みに入り失敗して逃げようとしたところ、ちょうど霧隱才蔵が城内へ暴れ込んで徳川家の旗本たちを相手に戦いを繰り広げているのに出くわしました。ちゃっかり者の為三は、才蔵の愛鳥である巨鷲に便乗し、そのまま才蔵と共に江戸城を脱出します。「せっかく江戸城に忍び込みながら、一文も盗まなかったのか」と尋ねる才蔵に、為三は懐から一つの函を取り出して見せました。その中に入っていたのは、徳川家康を征夷大将軍に補すという詔勅状でした。
 それから先、才蔵と行動を共にしていた為三は、マンダラの敵討ちに臨む才蔵について再び江戸城へ入り、窮地に陥ったところを佐助に救われます。そして才蔵と共に、真田の勇士に加わることになったのでした。

(2006.12.10) このページの先頭へ

穴山小助
 穴山小助は、若狭の独立峰の忍者集団・風盗族の頭領でした。
 幸村は風盗族を味方につけようと画策し、まずは佐助に命じて百地三太夫の紹介状を取り付けさせました。その後日、幸村は佐助と為三を伴い、自ら独立峰に赴いて、風盗族の頭領に会します。小助は、先代頭領であった父・弥九郎が、豊臣家に協力したことにより死期を早め、遺言により豊臣家に味方することを戒めていたことを理由に、幸村の依頼をいったんは断りましたが、佐助たちの心意気に共感して九度山に行くことを了承します。
 ところが、その直後、服部半蔵の依頼を受けた木曽谷の忍者たちが、風盗族を壊滅すべく攻撃を仕掛けました。激しい戦いの末、風盗族も木曽谷の忍者軍も全滅。生き残った小助は九度山へ向かいます。
 服部半蔵は、城砦の焼け跡に立てられた高札を見つけました。それにはこう書いてありました。「穴山小助は真田幸村殿の右腕となる…」と。

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真田大助
 真田大助は、幸村の一子。幸村が、美乃を妻として迎える前に、上田の眉花という娘を愛して生まれた子でした。
 母の元で成長した大助ですが、大助は、父・幸村は母を捨てたと思い込んでおり、悪口雑言、父を許すことができず、会いに行くこともしませんでした。
 そんな時、浪人・後藤又兵衛と出会い、ともに木曽の山賊たちを退治しに行くことになりますが、その折に、大助は又兵衛から、幸村の賛辞を聞くのでした。
 木曽から戻ってまもなく病床にあった母・眉花が息を引き取りました。心が揺れる大助でしたが、素直になれず、なおも幸村との対面を拒みます。それに、幸村の妻・美乃の存在が、父との対面を躊躇させていたのでした。けれど、美乃の優しい心遣いに大助は心を開きます。そして、ついに父・幸村と対面した大助は、近い将来、真田館に来ることを約束するのでした。

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夢影
 十勇士の一員には数えられなかったけれど、やはり真田の下にあって同等の活躍をした夢影についても記しましょう。夢影が真田館に来たのは穴山小助が来たすぐ後のことでした。
 夢影は、関ヶ原の戦いで敗れた石田三成の息女。木曽の忍者・地獄百鬼(影大将)に拾われ、子影と呼ばれ、忍びとして育てられました。
 幸村が風盗族を味方につけるべく佐助を伴って独立峰にやってきた時、服部半蔵の依頼を受けた影大将は、子影を差し向けます。子影は木曽谷の忍者軍を引き連れて風盗族との決戦に臨みますが、双方とも全滅。その戦いの最中で、佐助と出会い、いつしか佐助の優しさに惹かれていくのでした。
 ひとり影大将の許へ戻った子影ですが、佐助への思いをとがめられ、思わぬ成り行きで影大将を殺めてしまいます。その時、影大将から自分の素性を知らされた子影は、徳川を敵とすることを決意、自ら夢影と名乗ります。そして、木曽を去り、どこまでも佐助について行くのでした。

(2006.12.12) このページの先頭へ

この記事は、原作本『真田十勇士』(柴田錬三郎・著 日本放送出版協会)及び『NHK連続人形劇のすべて』(池田憲章・伊藤秀明・編著 株式会社アスキー)を参考にして、TV人形劇を見た記憶を補い、内容を要約したものです。


 以上のとおり、勇士たちが真田の下に来たいきさつを、一人当たり10行程度にまとめましたが、やはり記憶がおぼろげで、原作本と『NHK連続人形劇のすべて』に頼った部分が少なくないのです。

 具体的に言うと、まず佐助、小天狗、清海、自然坊については、一つ一つのセリフまでは覚えていませんが、ほぼ上述の場面は頭の中に残っていました。
 十蔵については、家康暗殺未遂の場面は記憶にないのですが(たぶん見逃したのだと思いますが)、清海に助けられ大凧に乗って飛んでいた場面とその折の二人の会話は、たしかにこのとおりだったと記憶しています。ただ、清海と十蔵が幸村の下へ来た時の場面は全く覚えていませんし、原作本にもその場面はありませんでした。(もともと無いのかもしれません。)

 一方、鎌之助、小助、大助、夢影については、ほとんど覚えていません。
 鎌之助登場のところは、あるいは見逃したのかもしれませんが、小助、夢影、大助登場のところは間違いなく見ていたはずなんですが、小助が幸村の右腕となるという高札が立てられていた場面と、大助が素直になれず幸村の悪口を叩いていた場面が、うっすらと記憶にあるのみです。
 ですから、ここに記した四人の記事は、ほとんど上記の参考本をもとに要約したことをお断りしておきます。

 反対に、才蔵と為三が江戸でマンダラの死に直面したエピソードは、セリフの一言一句かなり覚えていて、むしろ10行程度に要約するのに苦心しました。(それは記すと長くなるので、また別の機会にでも。)ただ、それにしては不思議なことに、才蔵が真田館にやって来て何を話したか、なぜかその場面の記憶が空白になっているのです。

 ところで、こうして書き綴ってみると、勇士たちのほとんどが誰かに誘われて真田家に来たということに気づきます。
 小助は幸村自身から、佐助は師匠から、小天狗は父親から、清海と自然坊と才蔵は佐助から誘われ(自然坊の場合言い出したのは幸村ですが)、十蔵は清海に、為三は才蔵について来たという感じです。
 鎌之助にいたっては、まるでわかりません。最初、佐助と行動を共にしていますから、あるいは佐助が誘ったかもしれませんが…?

 それにしても、ただ誘われたくらいで、滅びるとわかっている豊臣家に味方して命を賭して戦うでしょうか。
 実子の大助は、父に従うのも当然といえば当然でしょうし、小天狗の場合も、代々の家訓と父の遺言ですから、それに従うのもわかります。
 しかし、豊臣を父の仇とまで思っていた清海はどうでしょうか。
 父の遺言を理由に、いったんは幸村を拒んだ小助は?
 また、徳川に恨みを持ったにしても「家来になるなどまっぴらだ」と言い放っていた才蔵は…?

 曖昧な動機、いつのまにか真田の許にやって来ていた勇士たち。
 わたしは、こう思うのです。みんな、きっと、幸村に惹かれていたのではないかと。あるいは孤独な心と心が互いに引き合い仲間たちが結びついたのではないかと。それは、彼ら自身も意識していなかったことでしょう。
 星の運命とは、もしかしたら、そういうものだったかもしれません。

(2006.12.12)

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