幾歳月

 『真田十勇士』の物語は、天正十年(1582年)幸村十五歳から始まりますが、それから幾歳月を経て、実に様々な勇士が幸村の前に姿を現します。
 『新八犬伝』の八人の犬士たちに比べると、この『真田十勇士』の勇士たちは、多種多様、非常に個性豊かです。出身、生い立ち、性格、いでたち、そしてたぶん年齢も。
 「たぶん」と言ったのは、雰囲気からして年齢差がけっこうあるように思えるのだけれども、ほんとうのところはわからず、また、年齢が判明している勇士についても、どうもその数字に納得がいかなかったりするからです。
 ここでは、彼らの年齢について調べたことを書き記します。

 まず、原作本『真田十勇士』(柴田錬三郎・著 日本放送出版協会)から、幸村と真田館の面々の年齢を示す手がかりとなる記述や年号の記載を抜書きしてみましょう。

巻の一 P.3,5   天正十年(1582)  幸村15歳 
    P.4    天正十年(1582)  佐助、生まれる 
    P.19             佐助10歳
    P.38    天正十一年(1583) 清海11歳 
    P.21,26  慶長元年(1596)  小天狗16歳 
    P.30              佐助「十五年間育ててくれた…」(15歳?)
    P.37              清海24、5歳、佐助に会う 
    P.49〜52  慶長三年(1598)  佐助、小天狗、上田の幸村の下へ来る 
    P.53,56  慶長四年(1599)  十蔵13歳、清海に会う 
    P.70    慶長五年(1600)  八月一日
    P.71             九月一日
    P.73              「その時」幸村30歳、美乃を娶る 
    P.74              佐助16歳、山田長政を生け捕りにする 
    P.80              昌幸と幸村、九度山に隠棲
巻の三 P.4              「…九度山へ、流されたのと同じ頃」大助1歳 
巻の一 P.80             「その頃」山田長政、シャムで才蔵に会う 
    P.81             「二年後」才蔵、日本に向かう 
    P.83    慶長八年(1603)  才蔵と佐助、出会う 
    P.116              鶴姫12、3歳 
巻の二 P.5              幸村と佐助、小助に会う 幸村35歳、小助20歳 
    P.6〜29            「時を同じくして」半蔵、子影をつれて若狭へ 
    P.32              影大将の告白「五年前のこと…慶長五年十月」 
    P.43    慶長九年(1604)   
    P.61   慶長九年(1604)  五月五日、十蔵、鯉のぼりの術 
    P.64   慶長十年(1605)   
    P.140   慶長十年(1605)  五月十日、宮本武蔵、吉岡道場に試合を挑む 
巻の三 P.22   慶長十六年(1611) 三月二十八日、秀頼、二条城で家康と対面 
    P.44              大助11、2歳 
巻の四 P.24             「十年前―。五歳の大助」 
    P.31              大助14、5歳 
    P.67   慶長十九年(1614)   
    P.91              大助14、5歳 
    P.122   元和元年(1615)   
巻の五 P.1    元和元年(1615)早春 
    P.65   元和元年(1615)晩春 
    P.74              大助15歳 
    P.87   元和元年(1615)  五月一日 
    P.130   元和元年(1615)秋 
    P.151   元和二年(1616)  四月十七日。家康75歳、死去。 


 一番はっきりしているのは佐助で、生年1582年とわかっています。
 同じ時「十五歳の真田幸村」とあるので、幸村と佐助の年齢差は15歳とみていいでしょう。
 ただ、十五歳というのが数え年だとすると、差は14歳。以下、同様に、1年の誤差はつきものと考えてください。

 1596年小天狗16歳。1582年生まれの佐助はこの年14歳と考えられますから、小天狗は佐助より2歳年上となります。

 佐助が「十五年間育ててくれた恩師に別れを告げて」上田へ向かう途中(佐助15歳と考えられますが)、24、5歳の清海と出会います。すると清海は佐助より10歳ばかり年上ということになります。

 1599年十蔵13歳で、清海に出会います。清海は1583年11歳ですから、この時は27歳。

 …と、まあ、ここまでは特に矛盾はないのですが、次に出てくる年齢の記述、巻の一P.73「幸村その時、ちょうど三十歳」というのが引っかかりました。
 「その時」というのは、幸村が美乃を娶った時のことですが、山田長政が上田城を往復するエピソード中に、突然この幸村結婚の記述が挿入されています。この3ページ前に「慶長五年」「八月一日」、その次ページに「九月一日」とあって山田長政が登場していますから、P.73の「その時」というのは慶長五年、つまり1600年と見るのが妥当でしょう。
 しかし、1582年幸村15歳なら、1600年には33歳のはずです。3歳も若返っているんですね。さらに、その次のページ、山田長政を生捕ってみせよと幸村から命じられた佐助は「まだ十六歳」とありました。佐助もこの年は18歳のはず、2歳若くなっています。

 ところが、次に幸村の年齢が記されているのは、巻の二の小助と対座した時ですが、幸村35歳とあります。
 この年が西暦何年かはっきりとは記されていないのですが、巻の一P.83に「慶長八年」、巻の二P.43に「慶長九年」とあり、この間、話が前後した形跡はないので、1603年か1604年の頃でしょう。1603年とすると、1582年15歳の幸村は36歳のはずですが、まあ35歳としても1年の誤差なら許容範囲でしょう。
 ただ、「時を同じくして」子影(=夢影)が登場していますが、その時に子影を育てた影大将が「五年前のこと…慶長五年十月」と告白しています。普通に考えれば、慶長五年の五年後は1605年、う〜ん、2年の誤差…。

 多少の誤差は捨て置いて、次に小助をみてみましょう。
 幸村と小助が出会った時、幸村35歳、小助20歳とあり、その年齢差は15歳です。と、すると、小助と佐助は同い年、さらに言うなら、清海は小助より10歳も年上…?
 幸村の右腕として十勇士のリーダー的存在だった小助がそんなに若いというのは、ちょっと納得しがたいものがありますが、この小助登場の場面で「穴山小助は、まだ二十歳ながら、三十五歳の真田幸村に、いささかもひけをとらぬ風格と態度を持って」と書かれてありますから、つまりは、人の年齢は見かけではわからない、というより、年齢から人の中身を推し量れない、ということでしょうか…。

 この後の年齢の記述は、ほとんど大助のものです。
 巻の三P.4、沢庵和尚が回想の中で「真田幸村殿が父上昌幸殿と、高野山麓九度山へ、流されたのと同じ頃…一歳ばかりの嬰児を抱いた美しい若い女人に出会うた」と、幸村の子について触れています。これにより、大助は1600年頃1歳ばかり、そしてP.44に大助11、2歳(1611年)、巻の四P.91に14、5歳(1614年)、巻の五P.74元和元年(1615年)に15歳ですから、細かく言うと最初の1600年1歳というのに誤差が生じますが、だいたい、つじつまは合っています。

 さて、以上のとおり、幸村のほか、年齢が判明しているのは、佐助、小天狗、清海、十蔵、小助、大助の六人です。年齢順に表すなら、次のとおりです。

    幸 村
     |(5年)
    清 海
     |(8年)
    小天狗
     |(2年)
    小 助
    佐 助
     |(4年)
    十 蔵
     |(14年)
    大 助
      *( )内の年数は年齢差

 このほかの勇士、才蔵、自然坊、鎌之助、為三の四人については、年齢を表す記述がありませんでした。
 自然坊は、その風貌からすると、けっこう年配かなとも思いますが、先の小助の例がありますから、何とも言えません。
 才蔵と鎌之助は、小天狗や佐助と同じくらいとみて、いいんじゃないかと思いますが…。
 それにしても、清海がとびぬけて年上になってるのが、やっぱり気になりますね。

 結局のところ、たいしてわからないままでした。こんな年表作っても、『真田十勇士』の内容を知る材料にはならないでしょうが、参考までに。

(2006.12.17)

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