人形たちの行方〜ジュサブロー館を訪問して〜

 東京の日本橋人形町に、『真田十勇士』の人形を製作された辻村寿三郎さんの美術館「ジュサブロー館」があります。
 そこに訪問した折に、いろいろとお話を伺いました。

 製作過程の人形のサンプルを見せていただきました。
 頭の部分、木毛を詰め込み包んで縫い合わせ、縫製により凹凸を作って目鼻立ちをこしらえ、それに顔布を貼ってありました。
 ただ、『新八犬伝』や『真田十勇士』の人形の場合は、動かしやすく軽くするため、紙で作られたとのお話がありました。
 人形の頭部の型を再利用することもあり、『新八犬伝』と『真田十勇士』の人形も、型を基に別の人形に作り変えられたものもあるとか。また、『新八犬伝』の犬江親兵衛の頭と『真田十勇士』の猿飛佐助の頭は、同じ原型を使っているとのこと、意外でした。(言われてみれば…?)
 頭髪には、だいたい木綿糸か絹糸が使われていますが、猿飛佐助の人形には本物の人毛が使われていたそうです。

 胴体の方ですが、実は着物の中は空洞だったんですね。なで肩の和服姿の人形は、袖口に手首から先の部分が付いているだけなのです。これは、驚きです。
 では、真田十勇士に多く見られる半裸の人形たちはどうなのかというと、あの胴体はスポンジでできていて表面を布で覆っていたのだそうです。
 だから、とても脆いのですね。それで、結局、『真田十勇士』に登場した人形たちは、ほとんどが失われてしまったのです。

 『真田十勇士』の人形で現存することが判っているのは、信州の真田館にある真田信幸の人形と、広島の三次にある真田昌幸・幸村親子の人形くらいです。そのほか、由利鎌之助や千姫など、個人的に交渉されて人手に渡った人形たちもあるそうですが、その詳細は不明です。
 なお、ジュサブロー館には、猿飛佐助、劇中使われることの無かった成人した佐助、魔比達、四代目からすの四体の人形の頭のみが展示されていました。

 文楽のように二、三人で操る人形は大きな動きができますが、一人で操る棒遣い人形は、大きな動きは出ないけれど、細やかな情感が表現できるとお聞きしました。
 そういえば、『真田十勇士』でも、さりげないところで丁寧な動きが見られ、時には、人形だということを忘れるほどに表情が動いたように思えたものです。叫んでる様子、笑っている様子、がっくりと肩を落とし意気消沈した様子、愁い顔、かすかに微笑んだような顔…など。
 ちなみに、寿三郎先生も人形を作るだけでなく遣ってもいらっしゃいました。『新八犬伝』では玉梓など悪女の役が多かったとか。『真田十勇士』では、由利鎌之助や亡霊道士などなど、いろいろと操作していらっしゃったそうです。

 ところで、『新八犬伝』に比べて『真田十勇士』の人形は、地味な渋い色合いに感じられますが、これは白黒放送という意識で作られたわけではなく(当時のTVはもうすでにカラー放送ですから)、原作の物語の雰囲気に合わせたということのようです。
 それにしても、家康や千姫などの人形にはいい織物を使っていると当時のわたしには感じられましたが、材料の布地も今はなかなか手に入りにくく、今ある布地はほとんど先生がお若い頃に集められたものだとか。
 物は大切にしたいですね。布も、何度も再利用してあげれば、きっと喜んでいるでしょうに。

 この記事は、平成19年2月10日にmixiの「NHK人形劇『真田十勇士』」コミュニティのメンバーでジュサブロー館を訪問した折の情報を基に書きました。
 辻村寿三郎先生はじめジュサブロー館の皆様、ほんとうにありがとうございました。また訪問にご一緒させていただいたメンバーの皆様にも御礼申し上げます。

(2007.2.11)

※ジュサブロー館は、美術館としては2011年末をもって閉館となりました。

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