空から来た援軍
柴田錬三郎氏の原作本『真田十勇士』巻の一(→[関連書籍]参照)、千姫の替玉を秀頼に嫁がせようとする徳川の画策を阻止すべく、幸村の命を受けて本物の千姫をつれ去った猿飛佐助の前に、百地三太夫と湖賊のあさぎが立ち塞がる…佐助、絶体絶命の場面で、こんな記述があります。
<巻の一P.136より> あわや、危機一髪、その一命が風前の灯となった――こういう瞬間に、意外な救い手が、出現するのが、この真田十勇士の物語の醍醐味である。読者の方も、佐助が、どういう脱出をするか、期待して、かたずをのんでいたところ。 ---<引用終わり> ここで現れた「意外な救い手」とは、巨鷲マンダラに乗って空からやって来た霧隱才蔵でした。 『真田十勇士』は決して勧善懲悪の物語ではありませんから(現に死なせなくてもよかった味方が何人も死んでいますから)、ピンチの折に必ず救いの手が現れるというヒーローものによくあるこのモチーフが、主人公の人徳の賜物であるかのように「正義は必ず勝つ」などという言葉で説明付けることはできません。 が、それでも、あわや、という瞬間に援軍が来るというのは、やっぱりわくわくするものらしく、作者もその手法は惜しみなく使われたのでしょう。 TV版でも、その点は同じで、味方の救いの手に心躍らせる場面が幾度あったことか。 ただ、その救い手の役を、才蔵が担うことが多かったように思うのは、果たして気のせいでしょうか… ここに、才蔵が味方のピンチを救った場面を、わたしが覚えている限り、列挙します。 (その一) まずは、先に述べた、千姫をつれた佐助を助けた場面。 上空から、窮地に陥る佐助を見つけた才蔵は、マンダラを使って佐助と千姫を救い出します。どんな風にして助けたか、全然覚えていないのですが、才蔵が千姫を抱えた佐助をマンダラに乗せて飛び去ったことは確かです。原作によると、マンダラの足に綱を結び付け、佐助を包囲している湖賊の上を一周させて、湖賊たちが弓につがえた矢を鳥モチのように一本残らず吸いつけたということです。 ちなみに、この頃はまだ、才蔵は真田に仕えてはおらず、佐助とは雌雄を決するべくライバルのはずなのですが、ライバルであればこそ他の者には殺させないという気持ち、あるいはライバルという名の友情…そんな気持ちも、わからないでもありません。 (その二) 次は、これも助けた相手は佐助です。 ただ、この場面は、いつの、どのエピソード中にあったものか不明です。(場面やセリフは記憶にあるのですが、記録はとっていませんでした。) 佐助を救う前に、ゴンドラに乗って飛んでいた才蔵を、からすに姿を変えた小天狗が見つけ、「どこへ行くのか」と問いかけたところ、才蔵が 「佐助の身に危険が迫っていると、テレパシーで感じたのでな」 と答えた場面があったように思うのですが、あるいは、それはまた別のエピソードだったかも知れず、定かではありません。 さて、敵の手裏剣に肩を刺された佐助。手裏剣には毒が塗ってありました。何とか天守閣の大屋根に逃れたものの、毒が回り始め身体の自由が利かなくなってきたところ、そこへ、ゴンドラに乗った才蔵が現れ、佐助を乗せて舞い上がります。 「猿飛佐助ともあろう者が不覚をとったな」 からかうように言う才蔵。佐助はぐったりしたままこう言います。 「わたしはお主のように人を殺すことに快感など覚えないのだ」 「わかった、わかった。どうもおまえは忍者にしては人が好すぎるぜ」(ここのセリフはちょっと記憶が曖昧ですが意味合いはこんな感じだったと思います。) それから才蔵は、小笹のいる曽呂利庵の前にゴンドラを舞い降りさせ、佐助をそこに降ろしました。 「ここにおまえの手当てをしてくれる娘がいるのだろう。おれは、ちゃあんと知っているのさ。じゃな、バーイ」 朗らかに言い残して才蔵は飛び去って行きます。 この場面は原作にもあり(巻の三 P.30)、佐助の「わたしはお主のように人を殺すことに快感など覚えないのだ」というセリフは、記憶している人も多いのではないでしょうか。佐助と才蔵の性格を対比させた印象的なセリフです。 (その三) 次は、地獄百鬼の最期の場面です。これまた、助けた相手が佐助でした。 お鶴を預かった玉木六之進と冴香夫婦の警護を幸村から命じられ、諏訪湖へ立ち寄った佐助。けれど宇喜多秀家とお鶴父子は、地獄百鬼によって連れ去られてしまいます。百鬼の仕業を知った才蔵は、夢影を伴って佐助の所へ馳せ参じました。そして、魔比達に啓示された銀の十字架で作った弾で撃退、百鬼は最期を遂げたのでした。 ここで気になるのは、才蔵は夢影を伴って行ったことです。地獄百鬼(影大将)に育てられた夢影をつれて行ったのは、幸村の命だったか、それとも夢影自身の意志だったか…残念ながら、わたしの日記には、ただ才蔵が夢影とともに百鬼のところへ駆けつけたことしか記されておらず、その辺のいきさつもセリフもわからずじまいです。(覚えている方、ぜひご一報を!) (その四) 慶長十九年十一月。淀君が誘拐され、木村重成が休戦協定の使者として家康の本陣に向かった時のこと。 重成は佐助と小助と共に敵に囲まれてしまいます。その時、才蔵がゴンドラに乗って飛来し、敵の囲みを倒して三人の危機を救ったのです。(これもまた佐助がいたりする…)そのまま才蔵はゴンドラで飛び去り天守閣に降り立ちました。(才蔵のセリフは一言もなかったのですが、素敵でした。) (その五) 九度山の館を爆破した後のこと。 勇士たちは、女乞食おりゃくたちの協力を得て、コロリ騒ぎを起こし、大坂城の壕の埋立て工事の遅延を目論みますが、計画を嗅ぎつけた佐々木小次郎たちに、おりゃくは斬殺されてしまいました。才蔵はゴンドラに乗っておりゃくの所に駆けつけましたが、すでに、おりゃくは首を刎ねられた後でした。しかし、幸村の活躍で小次郎とあさぎは去って行きます。そして、才蔵はおりゃくの遺体を運び埋葬したのでした。 (その六) 大坂夏の陣の折。 隠された軍用金の獲得のため二条城にやって来た大助ですが、敵に捕らえられ危ういところをゴンドラに救われました。その後、魔比達の力を借りて二条城から軍用金を持ち帰った大助は、さらに後藤又兵衛とともに茶臼山へ向かおうと、今、大坂城の前を出発するところでした。快い羽音と共に、ゴンドラに乗って才蔵が来ました。才蔵は、大助の愛馬・菊千代を撫で、二人を見送ります。 「では、わたしももうひと働きしてきます」 大助と又兵衛が出発すると、才蔵はそう言って、再びゴンドラに乗り茶臼山へ向かったのでした。 ほかにもあるかもしれませんが、わたしが覚えているのは以上の6件です。これだけでも、けっこうあったなという感じはします。 ただ、こうしてみると、才蔵が救い手の役を担ったことに、特別な意味があるようには思えません。突如として空からやって来た援軍(才蔵)に敵は戸惑うかもしれませんが、才蔵が何か得意の技を披露するわけではなかったし、つまりは空から突然来るというだけのことなのです。 味方の救出に限らず、偵察や報告、誰かを移送する場合などにも、何かというと才蔵(とゴンドラ)がその役目を負いました。 空を飛べるということは便利なことだったわけですね。 散々な言い方をしましたが、才蔵ファンのわたしとしては、何にせよ才蔵の出番が増えることは喜ばしいことでした。マンダラとゴンドラのおかげですね。 この記事を書くにあたり、一部、原作本『真田十勇士』(柴田錬三郎・著 日本放送出版協会)及び『NHK連続人形劇のすべて』(池田憲章・伊藤秀明・編著 株式会社アスキー)を参考にさせていただきました。
(2007.4.28)
|