名もなき星たちの光

 かなわぬと知りながらも、滅びゆく豊臣家に味方したのは、真田の勇士たちだけではありませんでした。
 加藤清正、木村重成などの、豊臣方の武将として名高い彼らは言うに及ばず、この『真田十勇士』では、陰で勇士たちを支え、また協力を惜しまなかった、多くの脇役たちが登場しました。
 彼らの中には、伝説として語り継がれている者、あるいは、まったく無名の(おそらくは架空の)人物もいますが、勇士たちより先に非業の死を遂げた者も、少なくなかったように思います。
 ここでは、一部ですが、そんな脇役たちについて紹介したいと思います。


首比達と魔比達

 この二人については、『NHK連続人形劇のすべて』(池田憲章・伊藤秀明 編著 株式会社アスキー)から、そのまま引用させてください。もう、これしか説明のしようがありません。
<P.52より>
 南北朝将軍足利義満の時代に天竺から流れ着いた怪僧で、波羅門密教による秘術を具備している首比達とその末裔である魔比達。齢百歳近くの老境に至る魔比達は、もはや人間を超越した存在として勇士たちの行動を影で助ける。
---<引用終わり>

 初登場は最初の方、幸村の下に佐助が来る以前から、幸村の前に姿を現していた覚えがあります。魔比達の登場回数は数知れず、勇士たちに鉄の剣を授けたり、翡翠の玉で危機を救ったり、また、しょっちゅう幸村に助言を与えてもいましたね。
 最強の守り神的存在でした。

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曽呂利新左衛門

 豊臣秀吉の寵臣で、御伽衆としてとんちに富み、和歌・茶の湯にすぐれていたと伝えられていますが、実在の人物であったかどうかは定かではないとも言われています。(角川第二版『日本史辞典』高柳光寿・竹内理三 編 より)

 この劇では、最初、清海と十蔵に出会い、二人に真田家に仕えてはどうかと勧め、また、自分の庵を小笹と恵林尼(佐助の母)に提供したりする役回りでした。
 原作では、小笹を曽呂利庵につれて来たところで、寿命が尽きてあの世へ行ったことになっていますが、TV版では、もっと後まで生きていて、たびたび現れては勇士たちにいろいろ力を貸してくれました。その全部は覚えていませんが、いつも往来の民人に混じり突然ふらりと姿を見せていたような気がします。
 最後は、九度山の館が焼失した後、幸村の妻・美乃を預かってくれました。

 魔比達のような超常力を以ってではなく、さりげなく見守ってくれる心強い存在でした。物語の狂言回し的な役割になってもよかったと思いますが。

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呂宋助左衛門

 呂宋助左衛門といえば、1978年のNHK大河ドラマ『黄金の日日』の主人公で有名になりましたが、これもまた、詳しいことは明らかにされていない謎の人物です。

 助左衛門は、ルソン貿易で栄えた堺の豪商ですが、秀吉の怒りにふれて海外へ逃げ、後にカンボジアに住んだことは、原作の『真田十勇士』(巻の一P.78〜79)にも説明されています。
 幸村は、捕虜とした山田長政に、助左衛門宛の紹介状をしたためて、渡航を勧めます。そして、山田長政はシャムで才蔵に出会い、今度は長政が才蔵に、ひとまず助左衛門のところへ行くよう勧めました。
 その後、日本にやって来た才蔵は、世話になった助左衛門の復讐として、かつて助左衛門を陥れた納屋助四郎を討ち果たします。
 それから、呂宋助左衛門の名が登場するのは、物語も終わりに近い頃、敵の銃弾から辛くも逃れた才蔵と巨鷲ゴンドラ、それに大助と千代が、運よく助左衛門の息子・助五郎の船に出くわして、そのまま彼の船でシャムへ渡ることになりました。(実は、わたしは、もうずっと、この船に乗っていたのは助左衛門本人だと思い込んでいましたが、『NHK連続人形劇のすべて』のストーリーダイジェストを読んで、ここで登場するのは息子の助五郎だったと知りました。)

 『真田十勇士』の中で呂宋助左衛門が関わるのはこれだけなのですが、以上のとおり、話に出てきたのは間違いないけれど、これでは実際に登場したのかどうか怪しいものです。
 でも、なぜか、人形の顔をよく覚えているのです。あるいは、最後に船に乗っていた助五郎の人形の記憶かもしれませんが。(この時は間違いなく人形が登場してセリフもありました。)

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山田長政

 山田長政については、「彼らがやって来た日」にも少し書きましたが、関ヶ原の戦いの半月ほど前、敵ながら図々しくも上田城内を通してくれと幸村に頼み、逆に佐助の計略にはまって捕虜となりました。潔く負けを認めた長政は、幸村の勧めでカンボジアへ渡ることとなりますが、渡航直前、佐助に「お主の競争相手となる若者を見つけて寄越してやる」と約束します。そして、シャムで才蔵を見つけ、約束どおり、彼を日本へと送るのでした。
 カンボジアの呂宋助左衛門宛の手紙を持って日本を発った長政がシャムを訪れたのは、カンボジアへ向かう途中か、それともその後かは不明ですが、山田長政といえば、シャムの日本町を背景に活躍し、シャムの王室に重用されて後にリゴールの太守となったことで知られています。(わたしの歴史の教科書にも載っていました。)
 原作では巻の五で、大坂夏の陣の直前に、幸村の命を受けた才蔵がシャムへ飛び長政に再会して、万一の場合はシャムで秀頼を匿ってほしいと頼みます。が、その後シャムで内乱が起こり、その約束は取り消され、長政もその乱の最中で戦死しています。
 一方、TV版では、山田長政は才蔵を日本に送った後は、登場することはなかったと思います。

 ただ、この『真田十勇士』における山田長政の逸話は、だいぶ作者が潤色を施しているのではないかと思われます。
 辞典で調べたところ、長政の没年は1630年、大坂夏の陣より15年も後のことです。それにシャムへ渡ったのも1611年か1612年頃と推定されています。(角川第二版『日本史辞典』高柳光寿・竹内理三 編、山川出版社『日本史小辞典』坂本太郎 監修 等より)
 もっとも、歴史上の事実というものは、結局のところ誰にも確かなことは断言できないものだと、わたしは思っているのですが。

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冴香

 この名をいったい何人の人が覚えているでしょうか。目立たない存在でしたし、特に勇士たちの役に立ったわけではありませんが、わたしには、ちょっと気になる人でした。

 冴香は、公家の八条大納言の姫君。秀頼と千姫の縁談が整いつつあった時、家康は、千姫の替玉を秀頼と婚礼させようと画策します。その替玉に利用されたのが、この冴香姫でした。
 冴香姫が人さらいに遭ったと聞いた才蔵が、巨鷲マンダラに捜索させたところ、冴香は伏見城に捕らわれの身となっていることがわかりました。暗い部屋に一人閉じ込められた冴香の許に、マンダラが慰めに来ます。そのたびに冴香は元気づけられ、やさしくマンダラに話しかけるのでした。
 勇士たちの活躍により、家康の千姫替玉作戦は失敗に終わりました。が、その後、再び冴香は千姫の替玉として賊にさらわれてしまいます。その時は、偶然通りかかった小天狗たちに救われました。

 次に冴香が登場したエピソードについては、わたしの記憶はおぼろげなのですが、『NHK連続人形劇のすべて』(池田憲章・伊藤秀明 編著 株式会社アスキー)のストーリーダイジェストに記されています。その部分のみ、引用します。
<P.128より>
 お鶴を預かったため謎の脅迫を受ける玉木六之進と冴香姫夫婦…(中略)…諏訪湖は藩主・蟹沢右京之介の監視下におかれていた。病の姉のため宝を取ろうとした少年・真吉は右京之介に捕まり、真吉を匿ったために六之進の屋敷は焼き払われ六之進と冴香は死んでしまう。
---<引用終わり>
 どういういきさつでお鶴を預かったのか、それについての情報はなく、謎の脅迫についても不明のままです。(ご存知の方、ご一報を。)それにしても、何も冴香たちを死なせなくても…!

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大阪屋惣兵衛

 大阪屋惣兵衛は、南蛮貿易を手がける豪商で、多くの勇士たちと関わりがありました。
 初登場は、湖賊にさらわれた娘の千代を、佐助が救い出して親元まで送り届けてくれた時でした。ちなみに、佐助は千代を助けた折に湖賊の頭領を殺してしまい、以後、その娘・あさぎに父親の仇として狙われる羽目になるわけです。
 また、ちょうどその時、惣兵衛の屋敷には清海がいて、佐助と清海はここで知り合います。清海と惣兵衛が、どのような間柄だったのかは不明ですが。

 それから後、惣兵衛は今度は才蔵と知り合います。たまたま才蔵(正確にはマンダラ)が惣兵衛に飼われていたオウムを見つけたのが縁で、惣兵衛は才蔵を屋敷に招き入れ、ワインを飲み交わしたりするようになりました。惣兵衛の屋敷には南蛮渡来の物が多くあり、才蔵も懐かしく感じたようです。
 また、その後で、才蔵が鎌之助と一緒に江戸へマンダラの墓参りに行った際に再び惣兵衛父娘を訪問していますから、ここで惣兵衛は鎌之助とも出会っていたわけです。

 さらに月日は流れ、九度山の真田館が炎上した後、幸村、大助、自然坊は大阪屋惣兵衛のもとに身を寄せます。そして、大坂夏の陣の直前のこと、惣兵衛は、あさぎが大坂城に潜入するのを見逃した千代の責任をかぶって自害してしまいます。このことがあって、佐助と同じ立場になったあさぎは、ようやく心を入れ替えるということです。(『NHK連続人形劇のすべて』ストーリーダイジェストより)

 惣兵衛の自害の場面は、あまり覚えていないのですが、これもまた、何も死ななくても…という気がしないでもないですね。まあ、あさぎ改心のために死なせたのでしょうけど。気の毒な。

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後藤又兵衛

 後藤又兵衛が最初に現れたのは、原作では、夢影が佐助について木曽谷を出、美濃山中の養老の滝に来た時のこと(巻の二)ですが、どうも記憶にありません。(覚えている方、ぜひ、情報を!)

 又兵衛登場がはっきりしているのは、大助がまだ父・幸村を許せずにいた頃、共に木曽の山賊退治に出かけた時からです。このエピソードは、原作巻の四にも載っています。
 又兵衛は、木曽山中に巣食う山賊退治に一緒に行かぬかと、たまたま出会った大助を誘います。又兵衛が山賊退治を思い立ったのは、その山賊・死神毒太郎が持っている名馬・花吹雪を奪い取りたかったからでした。そして、大助の力を借りて、毒太郎一派の退治に成功した又兵衛は、名馬・花吹雪を手に入れることができたということです。

 それから後、又兵衛は大坂夏の陣で豊臣方に味方して参戦します。そこでも大助と行動を共にしました。
 茶臼山の家康本陣に向かって突撃を敢行し、ついに家康を討ったと思ったのも束の間、それが家康の替玉だったと、空から見ていた才蔵から知らされます。それを聞いて又兵衛は、再び敵陣に突撃しました。しかし、何十人もの敵兵に囲まれ悪戦苦闘、とうとう無数の矢を体に受けて絶命します。
 又兵衛を乗せた名馬・花吹雪が大助の所に戻って来ました。すでに息絶えていた又兵衛の亡骸を見て愕然とする大助。しかし、その悲しみを怒りに変えて、大助は又兵衛の仇をとることを誓うのでした。

 現在の奈良県宇陀市大宇陀区本郷に、樹齢三百年ともいわれるシダレザクラの大木があります。この桜は、後藤又兵衛の屋敷跡にあることから、「又兵衛桜」と呼ばれて親しまれています。

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岩見重太郎

 伊予海賊の岩見重太郎は、髭面の大男で腕力自慢の豪傑でした。

 ある日のこと、徳川に反感を持つ重太郎は、幸村を訪ね協力を申し出ます。幸村は、重太郎の力を借りて、佐助と才蔵たちに、徳川が建造中の軍船を爆破するよう命じました。そして一行は、服部半蔵の妨害を退け、軍船爆破に成功します。

 その後も幾度か、重太郎は勇士たちに味方すべく姿を現します。
 オランダ軍艦アムステルダム号の副船長ペパードが、徳川と密約を結んで大坂城に攻撃を仕掛けた時も、勇士たちと共にそれを阻止し、海戦に臨みました。
 また、軍用金の在処を突き止めようと、鎌之助とお鶴と行動を共にしたことも、確かあったと思います。

 重太郎の最期は、見たはずなんですが覚えていません。『NHK連続人形劇のすべて』のストーリーダイジェストによると、徳川の軍船の舟底に穴を開けるという作戦を十蔵と共に実行に移したが、百地三郎太らの抗戦に遭い、敵船に乗り込んだ重太郎は兵たちの銃弾をくらい自決してしまう、ということです。

 現在、日本三景の一つである京都府の天橋立に、「岩見重太郎 仇討ちの場」という伝承地があり「試し切りの石」も残されています。しかし、それも伝説に過ぎず、岩見重太郎という人物が実在したのか、あるいは誰かモデルとなる人物がいたのか、確かなことはわかりません。

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リコマップとクンネ

 この二人は、原作には登場しない、TV版オリジナルのキャラクターです。

 幸村の命により、秀頼の隠匿先を求めて、偵察に遠く蝦夷へやって来た佐助と才蔵。二人はそこで、リコマップというアイヌの少年と出会います。行方不明の姉を探しているというリコマップを手伝う二人。やがて、かつて勇士たちに協力してくれた女乞食おちゃらと再会しますが、彼女こそリコマップの探していた姉クンネであることを知るのでした。
 そして、リコマップとクンネ姉弟は、見知らぬ蝦夷の地で秀頼の安住の地を探す佐助と才蔵に、案内役として協力してくれました。
 それから、大坂夏の陣を経て、勇士たちは秀頼を蝦夷へつれて行きます。秀頼は後日北の国へ逃れることになるのですが、それまでの間、リコマップとクンネは、秀頼と勇士たちの世話をしてくれたのでした。(このことは、現存するVTR4回のうちの一つ、第443回にあります。(→[関連書籍]参照)

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この記事は、原作本『真田十勇士』(柴田錬三郎 著 日本放送出版協会)及び『NHK連続人形劇のすべて』(池田憲章・伊藤秀明 編著 株式会社アスキー)を参考にして、TV人形劇を見た記憶を補い、内容を要約したものです。

(2007.1.3)


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