プライド

 遥か海を越えて日本にやって来た才蔵は、運命的に佐助と出会い、いきなり果し合いに臨みます。
 試合などやめて真田の家来にならぬかという佐助の誘いに対し、才蔵は「おまえがおれにかすり傷ひとつでも負わせたら家来になってやる」と激しく拒みました。(→「彼らがやって来た日」参照)
 才蔵は、良く言えば、自尊心が強い。悪く言えば、自信過剰。

 かけがえのない相棒の巨鷲マンダラが死んだ時、才蔵は敵討ちに江戸城へ引き返し、逆に敵に取り囲まれて窮地に陥りますが(→「目は涙」参照)、後を追って城内に潜り込んでいた佐助が、密かに才蔵に声を送ります。
「霧隱才蔵、今はしかたがない、降伏しろ。わたしは猿飛佐助だ。後で救い出してやる」
 その声に対する才蔵の返答が、こうでした。
「ばかにするな! 貴様ごときやつに助けられてたまるか!」

 真田の勇士の一員になってからも、この自尊心もしくは自信過剰は消えません。

 慶長十年正月のこと。家康は上洛して秀忠に将軍職をゆずるべく朝廷に奏上することを考えている…という情報が、九度山の真田館にもたらされました。為三が江戸城から盗み出していた詔勅状(→「彼らがやって来た日」参照)は、すでに柳生但馬守によって取り返されてしまっています。
 その時、九度山にいた面々…数名の勇士たちは、上洛する徳川家の行列に暴れ込んで詔勅状を奪い返そうと企て、主人・幸村の許可を得ることなく実行に移しました。
 才蔵、清海、自然坊の三人は、日頃やりがいのある任務を与えられないことに不満を抱いていました。その自信過剰から生まれる不満が、こういう行動に結びついたわけですが、もちろんそんな無謀が成功するはずもなく、この計画は失敗します。
 ちなみに、この暴挙(?)に誰が加わったか。よく覚えていないのですが、原作(巻の二)では、小助と佐助、それにまだ登場していなかった大助の三人を除く七勇士、さらに夢影を加えた八人でした。が、TV版では、才蔵がいたのは確かですが、鎌之助は加わっていなかったような気がします。(記憶違いだったらごめんなさい。)あと夢影は…いたかどうか?

 家康襲撃計画が失敗に終わり、詔勅状も奪い取れず、勇士たちは散り散りになっていました。
 土地勘がない才蔵は、ひとり途方にくれて道端に座っていたのですが、そこへ、たまたま鎌之助が通りかかり、渡りに舟とばかりに才蔵は鎌之助を呼び止めて、そこからは共に阿弥陀ヶ峰にある太閤秀吉の神廟へと向かいました。
 神廟にたどり着くと、二人はそこで、数人の家来を従えた若武者と出会いました。
 若武者は太閤の忘れ形見・秀成と名乗り、大坂城城主となる権利を主張していましたが、才蔵は訝しがります。「おかしいじゃないか」と疑問を投げかける才蔵の態度が気に障ったのか、対話を続ける中で、その若武者は相手を侮蔑する言葉を浴びせました。
 それを聞いて、才蔵はいきなり剣を抜き放ちます。
「さ、才蔵、やめろ」
 鎌之助が慌てて止めようとします。その時、才蔵はこう叫びました。
「うるさい! こっちにもイギリス海賊としてのプライドがある。そこまで言われて黙ってられるか!」

 …妙に印象に残るセリフでした。
 また「プライド」と英語を使ったことが、才蔵独特の響きを持たせました。
 相手の若武者が何て言ったのか忘れましたが、それはどうでもいいのです。才蔵の「イギリス海賊としてのプライド」という言葉に意味があるように思うのです。
 才蔵は、何にプライドを持っていたのか。
 それは、剣術や戦いの腕前ではなく、また出自でもない。勇敢で自由な生き方にプライドを持っていたのではないかと…。
 このセリフには、これまでの自信過剰とはちょっと違う、才蔵のそんな魅力が感じられます。あくまでも、わたし個人の勝手な解釈ですが。

 ちなみに、この時の若武者は秀吉の子などではなく実は盗賊の一味であり、太閤の遺児に成りすまそうとした偽者だと、後から現れた幸村に見破られて、事件は終わるのでした。

(2007.1.28)

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