裏切り者〜アムステルダム号戦記(三)〜
心が通いはじめた才蔵とイサベラ。けれど、事態は思わぬ方向へ進みます。
アムステルダム号に戻って来たイサベラは、あらためて徳川方と会見しました。 ですが、キーリィ・サイゾに味方したいイサベラは、もう大砲と鉄砲を徳川方に売りたくなかったので、 「気が変わったのです」 と、何とか柳生但馬守を諦めさせる方向に話を持っていこうとしました。 けれど、どう言えばいいか。イサベラは、そこでわざと無理な条件を提示します。 「そうですね。百万両出すというのなら、お引き受けしましょうか」 これだけ値をつり上げればいくら何でも諦めるだろうと、イサベラは思ったのです。が、但馬守は少し考えてから意外な返事を出しました。 「よろしい、買いましょう」 イサベラは驚きのあまり絶句します。 ここまできたら、もう、どうしようもなかったのでしょう。契約成立です。 アムステルダム号が徳川方と大坂城撃破の契約を結んだという報せは、才蔵たちの耳にも入りました。 「イサベラ、敵になってしまうのか…」 哀しげにつぶやく才蔵。 夜も更けた頃、アムステルダム号の甲板で、イサベラはひとり寂しげに、船縁から海を見つめて立ち尽くしていました。 服はドレスに着替えていましたが、無意識のうちにか、手に羽根飾りの帽子を持っていました。才蔵がこの船で被っていた帽子です。 イサベラは、今になってようやく、才蔵に恋していることを悟ったのでした。 船室に戻ると、ジョージ・ペパードが姿を現しました。 実は、ジョージはイサベラに横恋慕していましたので、才蔵とイサベラの二人を引き離そうと、イサベラに嘘を吹き込みます。 「あの男は、あなたのことを何とも思っていません。あなたを人質とした時、大砲と鉄砲との引き換えで、あなたを返すと言ったのです」 それを聞いて、イサベラは思わず叫びました。 「嘘! 嘘だわ! あの人がそんな…!」 「嘘じゃありません。わたし、この耳で聞きました」 「嘘…あの人が…」 イサベラは呆然としました。 けれど、ジョージがあまりにもはっきりと言うので、ついにはその嘘を信じてしまいます。 「フ、そうだったの…わたしがばかだったわ、信じてしまって」 イサベラは小声でつぶやき、それから意を決したように、顔をゆっくりと上げながら、鋭く激しく叫びました。 「ジョージ、大坂湾へ行くわ! わたしの恨みを込めて、大坂城もろとも吹き飛ばしてくれる!」 夜の海辺。そんなことがあったとは何も知らない才蔵が、岩に腰掛け、頬杖をついて、遥か沖の方を見ていました。 暗い夜、月明かりにか、それとも僅かな灯火にか、波頭が微かにきらめいています。小波の音が聞こえるばかりの静かな海。どこか寂しげな才蔵の影…。 (第225回より)
この回は、イサベラの心情描写が中心ですが、脚本にも演出にも人形の演技にも、その切ない思いがさりげなく表現されていて、すばらしい出来だったと思います。 キーリイ・サイゾに惹かれ始めたイサベラが、何とか徳川方との契約を回避しようとする様は、冷静沈着な船長らしくもない、その揺れ動く心情をジョージに読み取られてしまったのも、うかつでした。 その後、船縁でひとり立ち尽くすドレス姿のイサベラは、恋する女性そのものでした。 寂しげな後姿(そう、たしか後姿でした)から、恋心を悟った彼女の後悔の念と辛い気持ちが、見ている者にも伝わりました。 そして、これは非常にさりげなく心にくい演出だと思うのですが、この時イサベラは、才蔵が被っていた帽子を両手に持っているんです。このことは、セリフでもナレーションでも説明していなかったので、気がつかなかった人も多いかもしれません。イサベラ自身おそらく知らず知らずのうちにだったのではないかと思いますが、これこそ慕情の表れです。切ないですね。 そして、いよいよ波乱の幕開け。副船長ジョージの裏切りです。 冷静だった船長イサベラが、とうとう感情をむき出しにします。 思わず叫んだこのセリフ「嘘! 嘘だわ! あの人がそんな…!」 この「あの人」と言うところに、ハッとさせられます。才蔵に好意を持った言い方です。これまた、さりげなく心にくい脚本ですね。 才蔵を疑いたくないイサベラですが、なにぶん彼女は、才蔵がジョージに「イサベラなら無事に帰す」と約束したところを見ていません。実際、才蔵が自分をさらったのですから、ジョージの嘘を信じてしまうのも無理もないことでしょう。 イサベラの激しい叫びの場面「大坂城もろとも吹き飛ばしてくれる!」…ここは、人形操作も声優さんも、見事な熱演でした。 …ただ、わたしは思うのですが、裏切り者は誰なのでしょうね。 副船長の船長に対する裏切り? でも船長としての責務を忘れて私情をまじえたイサベラも、ある意味アムステルダム号に対する裏切りではないでしょうか。そして、仲間の手からイサベラを助けた才蔵も、小助たちからすれば裏切り者だったかもしれません。 この後の展開で、才蔵とイサベラがお互いを裏切り者呼ばわりする場面があるのですが、単純に善悪の区別はできない人間関係の哀しさを見たような思いです。 アムステルダム号編の前半一週間のラストシーンは、夜の海辺で、ひとり、もの思う才蔵の姿でした。 才蔵は、この時はまだ、イサベラと心が通じ合っていると信じています。徳川と契約したのも仕方なかったのだと。 静かな夜の海は、まさに嵐の前の静けさと言うに相応しく、これから起こる波乱を暗示しています。 この海辺の景観がまたすばらしい! 人形劇の舞台とは思えない、実写か絵画のようで、息を呑むほど美しいものでした。ええ、もう…言葉では言い表せないのが、どうしようもなく残念です。 (2007.3.24)
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