10 運命の輪

  中央に大きなディスク(円盤)が描かれています。
  それを背に乗せて飛んでいるかのような奇妙な生き物(アヌビスらしい)。
 ディスクの横を下降していくヘビ。そして、ディスクの上の剣を持った
 スフィンクス。
  背景の空には雲がかかり、カードの四隅にそれぞれ、鳥、人、獅子、牛。
 全て羽があって、本を読んでいます。

  「運命」という言葉は、どちらかというと少し重い響きを持っている気が
 します。そして、「運命の輪」というと、なんとなく回すものだという気が
 してしまうのは、私だけでしょうか?
  それはもしかすると、運命とは自分ではどうすることもできないもの、
 逆に、運命は自分でなんとかしていくもの、というイメージがあるからかも
 しれません。
  どちらにしても、なんだか疲れちゃいますね。
 
  さて、このカードの四隅に描かれているものはみな、中央のディスク
 (運命の輪?)を見ているわけでもなく、思い思いの時間をのんびり
 過ごしているように見えます。
  自分の運命をどうにかしようとしなくていいのでしょうか?
  自分の運命に振り回されたりしないのでしょうか?

  ・・・思うに、彼らはこう思っているのではないでしょうか。

   「どうにかなるさ」

  ここで、示されている在りようは、ここから先もとても大切。
  起こることは全て、いいも悪いもありません。でも、敢えて言うなら、
 何も間違ったことは起きていない、私たちにとって必要なことが起こって
 いるだけと言えます。
  それならば、何も、怖がったり不安になったり、躍起になったり焦ったり
 する必要はありませんよね。
  辛い時も嬉しい時も悲しい時も楽しい時も、どれもただそうあるだけ
 なんだな、どれも同じように過ぎ去っていくものなんだな、という少し
 距離を置いたような穏やかな気持ちで、リラックスして過ごせるのでは
 ないでしょうか。
 

  「10」。1と0。始まりとその前の世界。それが一緒になっています。
  でも、なぜか始まりが先。自分(1)とその源(0)と考えても、自分が
 先に立っています。だからでしょうか? 私たちが、自分が運命を動かして
 いるのだ、と思うのは。
  でも、別の見方をするなら、「1」(自分)の背後に「0」(その源)が
 ある、と見ることもできます。もしくは、私(1)の横に運命の輪(0)が
 ある。本来のそれ(輪)は、ちょうど良い距離を保ちつつ、ただ眺めるもの
 なのかもしれません。

  足したら、「1」。私だけになっちゃいました。
  0は、「何もない」とも「全てある」とも言える数。「10」と表面に
 出ていても、「1」のように表面には出ていなくても、その存在がそこに
 あることに変わりはないのです。

  

 (-.・)v〜 ぴゅるぴゅる 〜v(・.-)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ぐるぐるぐるぐる回ってたら
  目が回って目が回って
  何も見えなくなっていた
  回ってることすら忘れるほどに
  いつからかいつまでも回る回る


  ・・・はて?私はどこを回っているんだっけ?・・・


  途端に

  私 は 台風の目になる

  ぽかん と ただ 浮かんでいる

  そして ぐるぐる は

  ただの うずまき

  もう 私 を 回すこともなくなった



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