11 正義
一人の(男性かと思ったら)女性(らしい)が、右手に剣、左手に秤を
持ち、中央に正面を向いて座っています。
石の玉座とその背後の二本の石柱。二本の柱の間には、幕がかけられて
います。
剣は、マインド。秤は、公正さ。とすると、公正なマインドで判断を下す、
ということでしょうか。正義という言葉の一般的な意味を考えると、公正さ
は不可欠な気がします。
二本の柱が表わす二極性を背にし、目を見開いて正面を見据える彼女は、
白黒、左右・・・二極のどちらかに偏ることなく、目の前の出来事、もの、
人のあるがままを観ようとしているように見えます。
私たちは常にジャッジしていると言います。感情や思考(記憶?)に
捉われ、偏った所から物事を見、公正な判断からは程遠い所にいるのかも
しれません。
このカードは、公正さや偏らない、二極に捉われないことを教えるととも
に、意識していてもしていなくても、私たちは常に何かを判断し続けている
状態にあるのだ、ということを教えてくれているのかもしれません。
二本の柱の間にかけられているディープマゼンタの幕は、柱同士をつなぎ、
その後ろのイエローを覆い隠しています。ディープマゼンタは、私たちの源。
そして、イエローは、自我。
私たちの背後にあるのは、二極でも自我でもなく源だ、ということに
気付いていなさい、と言っているのかもしれません。
また、この段階では、私たちが源に気付いたとしても、それは、柱に
かけた幕のように取ってつけたようなものでしかない、意識していなければ
(「幕をかける」のは、意識的な行為だし) はがれてしまい、すぐに
二極、自我の世界に戻ってしまう状態なのかもしれません。
「11」。いわゆるゾロ目ってやつですね(いいのか?そんな説明で(^^;))。
「11」。私(1)が2人になっちゃいました。
1+1=2。「2」は、二極を表す数でした。私たちの内側にも二極の
世界があること(二面性)を意味するのかもしれませんね。
相反するものが誰の内にもあり、それらは決して切り離せず、同時にそこ
にあることができます。あえて、1を2つ並べることで、私たちの生きる
世界や私たち自身の在り方を示しているのかもしれません。
「11」は、電波を受信するアンテナのようにいろいろなものをキャッチ
することができます。2人に分かれた私がいるからこそ、そのどちらにも
偏らないものを受け取ることができるのかもしれませんね。
(-.・)v〜 ぴゅるぴゅる 〜v(・.-)
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私は白 私は黒
物事を分けることは とても簡単
私は黒 私は白
分けた物事は 一つにならない
? でも待って
白も黒も 色 だよね
分けたはずが ひとくくり
一緒になって戻ってきた
例えば プリズムのきらきらも
元をたどれば 一つの光
ほーら
みんな一緒なんだ