14 節制
天使が右足を水の中に入れ、左足は大地に置いて立っています。
両手に持っている2つの杯の間には水の流れがあります。額に太陽を表す
シンボル(円の中央に点)、胸には、□の中に△が描かれたシンボル。
2つの杯の間を流れる水を欲望や感情とするなら、欲しいと欲しくない
の間を行ったり来たりして、自分の欲望や感情を持て余している状態
でしょうか。もしくは、どちらにも偏らない、両方が程良く混ざり合った
状態。
そして、右足を水の中に左足を大地にという立ち方。
とある本にあったように、水は無意識、大地は意識だとすると、その
どちらも感じながらそこにいる、ということでしょうか。
だから、天使の額に、自我を表す太陽のシンボルが描かれているのかも
しれませんね。紛れもなく、まさに「私」として、そこにいる。統合された
状態とも言えるかもしれません。
胸のシンボルは、7(=□(4)+△(3))の象徴。
一つには、客観的な視点。杯の間の流れをただ見ている感じ。
それから、その流れ(欲望や感情)がどこからやって来たものなのかを
知っている感じ。シンボルが胸に描かれていることから、その理解は、
頭(思考)ではなく感覚的なものだということが分かります。
こうして見ていくと、「(「私」という)存在として在るということ」、
つまりは、「自然体であること」なのかなぁと思えてきます。
ところで、「節制」という言葉を辞書で引いてみたら、
「欲望を抑えて、度を越さないように慎むこと」
とありました。
でも、このカード、抑えるというよりは、ただ流している感じ。欲しい!
なら、あぁ欲しいんだな・・・と、時にはそれを手に入れたり、時には
そのままにしておいたり・・・。
「どちらにも偏らない」というのは、やじろべいがユラユラしながら
バランスをとっている状態なのかもしれませんね。そして、そうやって
揺らいでいるのが私たちなのかもしれません。
「14」。1+4=5。
「自然体」という言葉が出ましたが、「1」も「4」も「5」もある意味、
自然体な数と言えるかもしれません。
「1」はまぁそのまま、私だ!って感じだし、「4」は存在そのもの、
在るって感じ、「5」は私を生きているという感じ。
お?私(1)という存在(4)を生きる(5)? あはは。1+4=5って、
本当にそのままなんですね。
(-.・)v〜 ぴゅるぴゅる 〜v(・.-)
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こうして こうして ああやって
これだめ それだめ あれだめで
やっていいのは これとこれ
そのあと のこっていたものは
くるしい つらいし もういやだ!
あれも これもで それもそれっ
あれたべ これたべ それたべて
たべてないのは あれとあれ
そのあと きづいてみたならば
やっぱり やばいし これもやだ!
自由に ぼーけん シゲキ的
気ままに 自然に 暮らしたい
そしたら けっきょく どまん中
いつも通りが 新しい