18 月

  丸い月の中に、顔のある三日月が描かれ、月からは、光のしずくが大地に
 降り注いでいます。
  手前の水の中からザリガニが顔を出しています。その目の前には、山の
 向こう側へ続く一本道が描かれています。犬と狼、そして、2本の塔が道の
 両側に立っています。

  月の中に描かれている顔は、どこか神妙というか、少し苦悩しているよう
 にも見えます。それは、このカードが、とても曖昧で混沌としている状態を
 表わしているからかもしれません。

  ザリガニは、無意識を表す水から現れた何か。「17:星」で、無限の
 流れによって満たされた泉から浮上してきたのでしょうか。

  ザリガニの目の前にある道については、いくつかのことが見てとれます。

  まず、この道は、山を越え、背景の青空に向かっています。
  「水の中から現れた何か」は、直接、無限の流れに触れに行こうとして
 いるのかもしれません。そして、泉と空が道でつながっている所をみると、
 今度はどうやら、歩いていかねばならないようです。

  それから、この道は、水から出てきたザリガニの目の前にある、ただ一つ
 の一本道だということ。それは、他の道はないかと「考える余地もない」
 とか、「考えなくていい」ということかもしれません。

  この道が通っているのは、犬と狼の間や2本の塔の間。それは、「2極に
 偏らない状態」、言い換えれば、「どちらでもない」という、とても曖昧な
 状態を表しているのではないでしょうか。
  そして、道は黄色く塗られています。それは、道をはっきりと浮かび
 上がらせるとともに、私たちが余計なことを考え始めると、迷いや不安が
 生まれるということを表しているように思います。
  私たちは常に、いい/悪い、できる/できないというように、何事も
 分けて考えてきたため、分けない、偏らないことには慣れていません。
 そのため、この「どちらでもない」状態が長く続くと、これでいいのか、
 このままでいいのか、と不安を感じてしまうのです。
  けれど、逆に言えば、そんな不安を感じてしまう曖昧さこそが、山の
 向こう側への道をちゃぁんと歩いている証なのかもしれません。

  この道を阻んでいるものは何もありません。この道に沿って、ただ歩いて
 いくだけで、山の向こう側に行くことができるのです。
  月からの光のしずくも、この道を行くことを祝福してくれているように
 見えます。この道を行く限り、誰も何も行く手を邪魔することはないのです。

  迷うことのない一本道。今できるのは、その道をただ歩いていくことだけ。
  このカードは、今はとにかく、目の前のこと、今できることをただ淡々と
 やることだけが、山の向こう側の空につながる唯一の方法なのだ、という
 ことを教えてくれているのかもしれません。


  「18」。1+8=9。
  「9」もとても曖昧な数です。何かが形になる一歩手前の数でもあるので、
 つかみ所のない不安を感じるのかもしれません。
  私(1)に足りないものを補おう、何かを成し遂げよう(8)と必死に
 なればなるほど、この曖昧さ(9)は、単に不安を煽るだけのものになって
 しまいます。
  私(1)は十分満たされている、今のままでも十分なのだ(8)、という
 ことを感じていくなら、不安という概念すらなく、ただただ広がる世界(9)
 をそこに観るのではないでしょうか。



 (-.・)v〜 ぴゅるぴゅる 〜v(・.-)
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  もやもや もやもや する時は
  何もかもが分からない
  そして それを だぁれにも
  打ち明けられずに黙ってる

  もやもや もやもや する時は
  何も見えない 真っ暗闇
  だから そっと目を閉じて
  その暗闇に浸ってみる



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