丸い月の中に、顔のある三日月が描かれ、月からは、光のしずくが大地に
降り注いでいます。
手前の水の中からザリガニが顔を出しています。その目の前には、山の
向こう側へ続く一本道が描かれています。犬と狼、そして、2本の塔が道の
両側に立っています。
月の中に描かれている顔は、どこか神妙というか、少し苦悩しているよう
にも見えます。それは、このカードが、とても曖昧で混沌としている状態を
表わしているからかもしれません。
ザリガニは、無意識を表す水から現れた何か。「17:星」で、無限の
流れによって満たされた泉から浮上してきたのでしょうか。
ザリガニの目の前にある道については、いくつかのことが見てとれます。
まず、この道は、山を越え、背景の青空に向かっています。
「水の中から現れた何か」は、直接、無限の流れに触れに行こうとして
いるのかもしれません。そして、泉と空が道でつながっている所をみると、
今度はどうやら、歩いていかねばならないようです。
それから、この道は、水から出てきたザリガニの目の前にある、ただ一つ
の一本道だということ。それは、他の道はないかと「考える余地もない」
とか、「考えなくていい」ということかもしれません。
この道が通っているのは、犬と狼の間や2本の塔の間。それは、「2極に
偏らない状態」、言い換えれば、「どちらでもない」という、とても曖昧な
状態を表しているのではないでしょうか。
そして、道は黄色く塗られています。それは、道をはっきりと浮かび
上がらせるとともに、私たちが余計なことを考え始めると、迷いや不安が
生まれるということを表しているように思います。
私たちは常に、いい/悪い、できる/できないというように、何事も
分けて考えてきたため、分けない、偏らないことには慣れていません。
そのため、この「どちらでもない」状態が長く続くと、これでいいのか、
このままでいいのか、と不安を感じてしまうのです。
けれど、逆に言えば、そんな不安を感じてしまう曖昧さこそが、山の
向こう側への道をちゃぁんと歩いている証なのかもしれません。
この道を阻んでいるものは何もありません。この道に沿って、ただ歩いて
いくだけで、山の向こう側に行くことができるのです。
月からの光のしずくも、この道を行くことを祝福してくれているように
見えます。この道を行く限り、誰も何も行く手を邪魔することはないのです。
迷うことのない一本道。今できるのは、その道をただ歩いていくことだけ。
このカードは、今はとにかく、目の前のこと、今できることをただ淡々と
やることだけが、山の向こう側の空につながる唯一の方法なのだ、という
ことを教えてくれているのかもしれません。
「18」。1+8=9。
「9」もとても曖昧な数です。何かが形になる一歩手前の数でもあるので、
つかみ所のない不安を感じるのかもしれません。
私(1)に足りないものを補おう、何かを成し遂げよう(8)と必死に
なればなるほど、この曖昧さ(9)は、単に不安を煽るだけのものになって
しまいます。
私(1)は十分満たされている、今のままでも十分なのだ(8)、という
ことを感じていくなら、不安という概念すらなく、ただただ広がる世界(9)
をそこに観るのではないでしょうか。
(-.・)v〜 ぴゅるぴゅる 〜v(・.-)
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もやもや もやもや する時は
何もかもが分からない
そして それを だぁれにも
打ち明けられずに黙ってる
もやもや もやもや する時は
何も見えない 真っ暗闇
だから そっと目を閉じて
その暗闇に浸ってみる