19 太陽
裸の子供が、左手に赤い旗を持ち、右手を広げ、手放し状態で馬に乗って
います。頭には、花冠と赤い羽根。頭上には、顔のある太陽。
彼らの背後には、塀があり、その向こうにあるヒマワリの花がこちらを
向いているのが見えます。
太陽は自我。「私」が「私」たる所以とでも言いましょうか。それが、
子供の背後に大きく描かれ、彼を照らしています。
そして、太陽の背景は青空。私たちの本質の上に太陽(自我)があり、
その光を受けながら、自在に生きる。そんな構図がこの中にあるように
思えます。
彼は、空も太陽も見ていませんが、それは、見ていてもいなくても、意識
していてもしていなくても、必ずあるものです。太陽のある空と彼をつなぐ
ように描かれている赤い旗や彼の頭の赤い羽根が、彼がそのことに気付いて
いることを示しています。
子供は裸です。無邪気さとも生まれたての状態とも言えるかもしれません。
この新しい瞬間を純粋に楽しんでいるかのようです。
便宜上、「彼」と書いていますが、実際は彼とも彼女とも言えないのでは
ないかという気がします。「子供」が持つ性質や、性別(物事)が分かれる
前の状態を表しているのかもしれません。
子供が左手に赤い旗を持っているのは、意識的な所(右)から無意識(左)
に何かが手渡されたということだそうです。それはまさに、手放し運転。
習慣づいて、意識しなくてもそれができるようになった状態です。
彼は、馬を信頼し、馬が連れて行ってくれる場所へ行こうとしています。
何かしようとしなくてもできるようになり、ただ連れて行かれる所へ行く。
それはまた、結果を意識しない姿勢にも似ているかもしれません。
そして、彼は、その信頼と無邪気さで、着いた場所がどんな所であっても、
今と同じように楽しむことができるのではないでしょうか。
ヒマワリが、彼の方を向いているのは、そんな彼が、太陽よりも眩しい
ということなのかもしれませんね。
「10:運命の輪」の時と同じように、ただリラックスして、この時を
楽しむ。全てがこの瞬間にあるのだ、ということを彼は全身で感じているの
かもしれません。
「19」。1+9=10。
「私」(1)を手放す(9)。「私」(1)が、これまで旅を続けてきた
結果(9)、それが起こりました。そして、源、私たちの本質(0)が、
常に私という存在(1)とともにあることを知り、努力しなくても「本質」
を感じることができるようになりました。
1+0=1。
私という存在(1)と本質(0)。再び現れる「私」(1)は、「本質」
そのものである「私」なのかもしれません。
(-.・)v〜 ぴゅるぴゅる 〜v(・.-)
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「私」として始まった旅は
いつしか
「私」を通り越し
「私」は「私」ではなくなり
誰もそこにいなくなった
そしてまた
いないと知りながら
私は「私」を生きる