2 女教皇
一人の女性が、書を手に座っています。背後には、白と黒の2本の柱。
足下には、月。そして、冠にも月が象られています。
月は、女性性。受容性や直感的であることなどを表しています。彼女の頭と足下
の両方に月があるということは、彼女が受容的で、来るものに対してオープンである
こと、そして、既に何か(直感など)を受け取っているということ。
彼女は、ただ悠然と座っているように見えます。何かがやってくるのを静かに
待ち、やってきたものをただ受け取っているのかもしれません。
また、彼女は、手にしている書を見ていません。それは、受け取っているものが
「何」であるかを知る必要や名前を付ける必要はない、ということを表しているの
ではないでしょうか。
さらに、彼女は、2本の柱を背にしています。それは、受け取ったものに名前を
付けないのと同様に、それらを判断しない、ということではないでしょうか?やって
くる「何か」には、いいも悪いもなく、それらを区別したり、判断しないことで、
彼女は、この2極の世界を超越しているかのようです。
魔術師(1)のカードは、いかにも、「俺はやるぞ!」的でした。
それに対し、このカードは、「どうぞおやりなさい」と静かに見ている感じ。
知識・知恵(書)も持っているから、知ろうとしたり、やろうとすれば、きっと何
でもできるのです。でも、あえて、まず、受け取ろうとしている、もしくは、その
知性溢れる瞳で、「何か」を静かに見守っているのかもしれません。
受容的であること。それには、まずオープンであること。直感などを受け取り、
そこから起こることをただ見る。そんなカードなのではないでしょうか。
「2」。たった1つだった点のそばに、もう1つの点が現れます。そして、2つ
の点を結ぶことで線が生まれました。
自分以外の何かとつながることで、「流れ」が生まれます。相手から流れてくる
ものを受け取ったり、逆に相手に流したり。2つの間で、その流れは行ったり来たり
しています。それは、まるで、呼吸のようです。吐いて・・・吸って・・・。呼吸
は、私たちの肉体と(何もない)空間との間の流れではないでしょうか?
また、2つの点は、つながってはいますが、分けてみることもできます。どちらかに
意識を置いて、そちらを自分とする。そうすることで、もう一方の点を相手として
認識し、見ることができます。まぁ、これが通常の私たちの感覚ですよね。
けれど、そこから離れて、2つを同時に見てみると・・・まず、何もない空間に
2つの点が浮かんでいるのが見えるでしょう。点から離れた意識から見れば、
どちらも同じ点。一方を「自分」とするなら、もう一方もまた「自分」。
それから、2つの点が線でつながっているのが見えます。つながって、1つに
なっています。やはり2つの点は、別々のものではないのです。
つながって1つになった点同士は、互いに応答しあっています。片方から来た
ものを片方が受け取る。1つのつながりの中に流れがあります。
そうして、それを同時に見つめる視線があります。実は、それこそが、2極を
超えていくヒントなのではないでしょうか。
(-.・)v〜 ぴゅるぴゅる 〜v(・.-)
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視点が違うと、話がかみ合わない
何かに対して
一人は、 「 同 じ だ 」 と言い
一人は、 「 違 う 」 と言う
当たり前だ 見る角度が違う 見ている位置が違う
ということは
誰かと本当に 話がかみ合う ということは
ないのかもしれない(って言うのは、寂しすぎる?)