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第103号

2009年01月05日

「負けること勝つこと(59)」 浅田 和幸

   前号を書いてから三ヶ月近くしか経っていないのに、この年の暮れの日本社会の変化の大きさには驚きを通り越して、なにか悲しみといったものすら感じられます。

 日本人は何事も「台風一過」や「喉元過ぎれば熱さ忘れる」といった諺にもありますように、「忘却」ということを、精神安定剤のように常用しています。

 確かに、いろいろな悩みを抱え込むことは、精神衛生上においても良くないことで、「忘却」ということは、人間にとって必要な機能であることは十分認めた上で、少々、日本人の「忘却」は、犯罪的な匂いがすると思わざるを得ません。

 それは、あの小泉内閣の時代のことでした。「構造改革」という呪文の下に、それまで日本社会に張り巡らされていた「セーフティネット」を次から次へと破壊していきました。

 当時、この破壊に対して、反対する声もありましたが、マスコミを含め、大多数の日本人は、まるで熱にでも浮かされたように「構造改革」「民営化」と言った言葉を、金科玉条の如く信奉したものでした。

 しかし、その際、「セーフティネット」の必要性を語る人たもからは、こういう社会制度の破壊が、やがては大きな社会の不安要因となり、戦後の日本が績み上げてきた様々な社会的安全弁を失うことで、社会構造が流動化すると同時に、社会不安を引き起こすといった議論が提出されていました。

 だが、そういう声は「構造改革」「民営化」というスローガンに打ち消され、また、日本経済も景気の拡大という上昇基調に乗っていたこともあって、いつのまにか忘れ去られてしまいました。

 ところが、アメリカの「サブプライム・ローン問題」を発端にした金融危機が表面化し、世界全体が急速に信用収縮を起こしていく中で生じた実体経済の収縮により、わたしたちは「忘却」の彼方に置いていた「セーフティネット」の問題と正面から向き合わなくてはならなくなったのでした。

 それは、まず「構造改革」により、派遣労働の範囲を製造業まで拡大したことにより、今回の経済収縮の中で、大量の非正規雇用の労働者が一気に食と住まいを失うという事態が突然生じたのでした。

 これまでも、派遣労働者は、雇用の安全弁のように使われてきましたが、しかし、経済が拡大している限り、どこかの業種で、彼らの労働力が必要となり、この制度の持つ矛盾が表面化することはありませんでした。

 そういう意味で、つい先日までは、この製造業での「派遣労働」は、日本経済においては合理的かつ効率の良い制度と考えられ、評価されてきたということになります。

 ところが、それはあくまで経済が順調に拡大し、推移していくという前提条件があってのものであり、現在のように収縮していく基調の中では、企業にとっての合理性・効率性はありながら、労働者にとって、さらには社会全体にとっての合理性・効率性は無くなってしまうのでした。

 突然、解雇を言い渡され、その結果、職だけでなく住むところも失われるといった悲惨な状況が社会に浮上してきました。それも、今年の年末から年度末にかけ、10万人を越える労働者が、そういう状況を味わうと同時に、それ以外の労働者にも大きな影響を与えることになるという最悪の予測もされています。

 この非常事態に、連日マスコミは解雇された派遣労働者の巌しい現実を報道し、その対策に無策な政府、さらには使い捨てする企業を告発する姿勢を取っていますが、わたしに言わせると、まず反省しなくてはならないのはマスコミだと思っています。

 あの「郵政民営化」を巡る選挙戦を面白おかしく報道し、まるで「郵政民営化」が実現すれば、日本の社会の未来はバラ色となるとでも言ったような自民党のキャンぺ一ンに同調し、衆議院の三分の二を超える議席を与党に贈ったことを、わたしはまだ「忘却」していません。  当時、わたしはこの文章の中で、強引に進める「民営化」により、社会の一番弱い部分や弱い人たちが大きなツケを払うことになるが、そうならないことを期待したいといったような趣旨の文章を書いた記憶があります。

 しかし、残念なことに、わたしの予測は当たってしまいました。それも、その当時に想像していた以上に、大規模かつ深刻な状況を招いているのです。

 さて、わたし程度の人問でも理解できたことが、何故、もっと優秀な官僚や政治家といった人たちが理解できなかったのでしょうか?いや、多分理解できていたことと思います。逆に、理解できていたからこそ強行したということも考えられるのです。

 それは、冷戦が終結し、アメリカの一人勝ちが確定した20世紀の終わり頃から考えられていたシナリオだったように思えます。冷戦というものは、ある意味一つの枠組みの中で行動すれば良いという単純な社会でした。

 007の映画のように、アメリカ・イギリスは正義であり、ソ連・中国は悪である。こういった二分法が社会の基盤として成立していた時代でした。だから、日本は安心してアメリカの「核の傘」の中に入り、ソ連や中国と対立していれば良かったのです。

 ところが、冷戦構造が壊れたことにより、それまであった枠組みが一挙に流動化しました。つまり、正義と悪というものが、一方的なものではなく、多面的なものであり、それも状況によりどんどんと変化していくということに、世界中の人たちが気づかざるを得なくなったというものが、現在に至るわたしたちの生きている世界なのです。

 「冷戦後の世界」は、政治的な価値観の百八十度の転換ということと同時に、経済的な価億観の転換も生じました。それは、世界の経済が二つにブロック化されているのではなく、一つに統一され、巨大なものに膨れあがって行くことでした。

 つまり、「東西の壁」が破壊されたことで、それまで商品の購入者でなかったソ連や中国の何億人という人間が、商品の購入者・生産者としてアメリカ・日本の陣営に出現したわけです。

 実は、冷戦の終結とは、政治的な意味よりも、この経済的な意味の方が重要だったように思います。多分、政治家は、ウォール街の金融資本家たちの強力な要請を受け、この「多極的経済環境」というものを作り上げたように思います。

 壁の向こうにあったため、それまで見えなかった富の鉱脈が突然発見されたのです。その鉱脈は埋蔵量も巨大でした。その巨大さに目を付けた資本家達は、政治の閉塞を打ち破り、現在の一元化した経済社会を出現させました。

 但し、冷戦を終結する前に、アメリカやイギリスでは、「新自由主義」という、冷戦後を睨んだ経済政策が選択されました。それまでの労働党政府の下で国有化されていた企業を、次から次へと民営化する保守党のサッチャー政権。最終的には冷戦構造を破壊することになったレーガン政権による軍事費増大によるアメリカの赤宇国債の垂れ流しと新しい金融秩序の樹立。

 こういった「新自由主義」の思想による新たな経済環境は、それまで「イギリス病」と言われていたイギリス経済を立ち直らせ、また、ソ連を崩壊させるパワーとなったわけでした。

 しかし、現時点に立ち、冷静に現状を分析すると、実は、この「新自由主義」とは、一時的に経済を活性化することはするが、長い目で見て見ると、それまでの「古い形の資本主義」を崩壊させると同時に、社会に格差をもたらし、20世紀に人類が、社会の「セーフティ・ネット」として構築し、社会を安定させてきたシステムを破壊し、最終的にはその国の経済をも根底から揺るがす、とんでもない病原菌だったことに気が付くのです。

 近代社会において、覇権を手に入れたアメリカにしろイギリスにしろ、その覇権を保証していたものは、産業革命による生産力でした。つまり、軍事力というものを含め、社会の生産力がパワーの源泉だったのです。

 しかし、現在のアメリカはどうでしょうか?GMに代表される自動車メーカーが倒産の危機に瀕しています。かつて、アメリカの国力を誇示した産業が空洞化し、さらには地域経済を崩壊させる原因は、「モノ作り」を放棄し、金融工学の虚の世界にどっぷりと浸かり過ぎたためではないでしょうか?

 イギリスも同様です。現在、イギリス経済はボロボロになっています。この国も「モノ作り」から、金融工学の虚の世界に魂を売り渡し、それにより「イギリス病」を克服したと錯覚したツケを、これからしっかり支払っていかなくてはなりません。

 そして、日本も同様です。まだ、出発が遅かったため、上記の二国ほどではありませんが、実は、ヒタヒタとそういう方向へ進みつつあるのです。コンピューターを駆使し、虚の数字を弄んでいた「投資銀行」が、破綻した後に残ったものは、現在のこの悲惨な状況です。

 六十三年前、日本は敗戦により国土の大部分が焦土化し、まさに飢えに苦しめられるところから再建の第一歩を踏み出しました。食べるものも住むところもない悲惨な状況から、早く抜け出そうとして、日本人は勤勉に働き、世界にも例を見ない経済成長により、豊かな社会を実現できたのです。

 それが、いつの間にか、食べるものも住むところも無い、不安定な日々を送らなくてはならない何万もの人間を生み出してしまったのです。かつて、全ての人間が貧しく飢えていました。

 しかし、いまは違います。街にはクリスマスの華やかな照明が灯り、ショー・ウインドウにはブランドの品物がキラキラと飾られています。ー人数万円もするレストランで食事を楽しむ人と同じ街に、百円硬貨を握りしめ、今晩の食事と寝るところを心配しなくてはならぬ人がー緒にいるのです。

 そして、大多数の日本人には、こういう結果を生み出したのは、その本人の「自己責任」であり、あくまで個人の問題として処理され、「負け組」にならなかった自分を少し誇らしく感ずるといった価値観が支配しています。

 今から二十数年前。バブルの前に日本では「ー億総中流」という書葉がマスコミを賑わしていました。もう貧しい人はいない。日本人はみな豊かになり、中流の生活を楽しむことができる。

 そういう現状を、わたしはある論文の中で、「日本ほ最も社会主義が成功した国だ。国民は公平かつ平等に富を享受している。」という言い方で表現しました。その時、わたしは日本が戦後の社会の中で築いてきた理想的なあり方を肯定して、そういうふうに評価したのですが、実は、それを不満に思っていた人たちが、日本の中には多くいたようです。

 その代表的な勢力は、後に小泉総理の下に参集し、「構造価格」や「郵政民営化」を描し進めた勢力でした。それは、多分、彼らにとって「公平かつ平等」という状態は、ダイナミズムが欠如した社会というマイナス評価だったように思います。

 つまり、現在のように格差を強く作ることで、穏和で安定した社会の秩序を攪乱し、それにより大きなエネルギーを生み出すことで、経済を活性化し、自分たちの利益を増幅していくといった戦略ではなかったかと思います。

 確かに、戦後に日本で作られた制度は、出来上がって五十年を経過した辺りから、必ずしも効率の良い合理的なものではない制度となっていたことは間違いないと思います。ただ、それではその制度を破壊すれば、その先になにか新しいものが生まれてくるかと言うと、それも間違いだったように思います。

 かつて、わたしが大学生の頃に、学生運動の中で「造反有理」という言葉がスローガンとして掲げられました。なにかに反対することは意味がある、破壊からなにか生まれるといった、そういう思想でした。

 しかし、残念なことに、何一つ生まれてきたものはありませんでした。いや、一つだけありました。それは、「若い世代が政治を語ることは悪だ」ということでした。それ以降、「政治」を語り、「社会活動」を行うことは控えなくてはならぬこととなりました。

 その結果が現在の為体です。企業から解雇を言い渡されても、それに反抗することも抵抗することもなく、唯々諾々と従っている羊のように従順な若者たちの婆です。自分たちの権利すら主張することもできず、戦うことなく流されていく多くの若者達。そういう姿を眺めるにつけ、「造反有理J というスローガンが犯した罪を思わざるを得ません。

 勿論、この著者の婆をわたしが悪し様に言う権利がないことも理解しています。こういう社会を作り上げた一翼をわたしも担っていたわけです。かつて、「学生運動」に少しでも関わりながら、最終的には就職し、社会の保守的な価値観を共有することで、豊かさを享受してきた世代であることに目を瞑る積もりもありません。

 ただ、ここまで悲惨な状況を生み出しつつある日本の状況を見ると、自分を含め、戦後の日本に生まれ、生きてきた自分たちの人生とは、一体全体なんだったたのだろう?と思ってしまいます。

 小学生の頃、アメリカのテレビ映画で描かれているアメリカの家庭の豊かさに憧れ、いつかああいう豊かさを手に入れたいと求めてきたことが、日本の高度経済成長を支えた原動力であったように思えます。

 それは、年を一年経るごとに、新しい便利なモノが家に増えていく、それを「幸せ」と感じて一層労働に励むのが、わたしを含め、戦後の大部分の日本人の価値観ではなかったでしょうか?

 しかし、高度経済成長により、世界で最も豊かな国の一つになったはずの日本で、職を失うと同時に、食べ物も住まいも事欠く人間がこれほど大量に存在している現状を見るにつけ、どこか歯車が狂ってしまったのではないかとすら思えてきます。

 多分、歯車が狂ってしまったのでしよう。狂いだした歯車は、どんどん勝手に回り始め、わたしたちが向かっていると信じていた世界とは、正反対の方向へとわたしたちを押しやろうとしているように思えます。

 さらに、この格差は将来に向けて、尚、一層巌しく高い壁のようにわたしたちの前途を遮るように思えます。こうして、生じた格差の中で、社会は不安定化し、根底から揺るがす邪悪なマグマが噴き上がってくるという最悪のシナリオも想定せざるを得ません。

 ここは、もう一度冷静な目で、現代の社会に必要な「セーフティネット」がなにであるのか、そして、それを再び構築していくためには、なにが必要なのかを、もう一度日本人自身が問うてみる必要があるのではないでしょうか?

 考えてみれば、わたしたち日本人は、焦土化した国土を複興させ、豊かな国へと変えてきた歴史を持っています。つまり、それだけの潜在力を秘めた国民だということです。そういうパワーをもう一度手にすることが出来れば、この苦境から脱出することは可能に思えます。

 六十年代後半から七十代初頭にかけ、学生運動の中で、「革命」という書葉が語られました。戦後の「日米安保体制」を打破し、新たな秩序を生み出すというためには、暴力的な「革命」が必要だという理論でした。

 しかし、冷戦構造の中で、経済的豊かさを感じ初めていた大多数の日本人は、現体制に幾つかの矛盾は感じながらも、それを破壊するという選択を選ぼうとはしませんでした。

 その結果、大衆の支持を失った活動は、次第に凶暴な暴力に身を任せるようになり、「連合赤軍事件」に代表される犯罪を犯し、自滅していってしまったのでした。

 それ以降、「革命」という書棄を口にすると、その背後には凶暴な暴力の匂いと犯罪臭により、社会を変革すること自体が、なにか犯罪であるかのように批判されて来ました。

 ただ、歯車が狂い始めた日本の社会を目の当たりにする中、凶暴な暴力を伴わずに、社会を変革していく道を、今こそわたしたちは考え、求めなければならないように思えるのです。

 かつて、明治維新という変革の時代がありました。これについて毀誉褒貶は様々あります。しかし、歴史的には「徳川家」を中心にした秩序を大きく変化させた変革でした。

 そして、「幕藩体制」という旧来の制度においては、低位な階層にいた若者たちが、「維新」の持つ変革のエネルギーに乗じ、「身分制度」という格差を克服し、新たな国のリーダーとなっていったということは、曇りのない事実であります。

 徳川幕府の時代は、島国という特性を活かし、「鎖国」という情報管理を徹底的にすることで、二百数十年という長期に渡り、一つの体制を維持できたわけですが、現在はとてもそういうわけには行きません。

 第一、事件や情報、思想や価値観も、インターネットというツールにより、瞬時に地球全体を駆けめぐる時代において、戦後の六十五年前に誕生した制度や組織や考え方はとうに賞味期限を過ぎたものと考えても良いように思います。

 ところが、そこには「既得権」が存在し、その「既得権」により、経済的にも社会的にも優位に立てる力がある限り、それを手放す人間はほとんどおりません。

 現在、国会議員は、共産党など一部の政党を除き、そのほとんどが二世、三世議員で構成されています。つまり、これは新たな「身分制度」と言っても良いくらいに固定化です。

 この秋に、「構造改革」を唱え、果敢に、戦後社会が温存してきた「既得権」にメスを入れ、それが大衆の支持を呼び、念願の「郵政民営化」を実現した小泉首相が、次期の選挙は自身は引退し、次男を後継者として出すということで、彼の二枚舌が明らかとなる事件がありました。

 彼自身、三世議員として「議員」を家業としてここまで生きて来たわけですが、「議員」が家業に相応しいとはどう考えても思えません。こういった固定した身分制度は、彼が中心となり強行した「新自由主義」においても、最も忌むべき考えだと思えます。

 つまり、身分の固定化・職業の家業化は、社会のダイナミズムを奪い、本来、有為である人材を育てぬ点で、ある意味犯罪的な制度にすら思えます。かつて、福沢諭吉が「身分制度は親の仇でござる」と喝破したように、社会を停滞させる元凶の一つということです。そういう意味からも、こういった「既得権」を保証する制度の撤廃こそ急務のことに思えます。

 かつて、わたしが、学生時代にイメージしていだ「革命」とは、社会の根幹を崩壊させ、新しい秩序を構築するものでしたが、多分、それから何十年も生きてきて、以前のように単純な思考が誤りであることを理解できるようになりました。

 いま、わたしが描いている「革命」とは、そういう根幹を崩壊させるものでも、新しい秩序を構築するものでもありません。古い秩序の「崩壊」ではなく、古い秩序が保証していた「既得権」の見直しと訂正であります。

 また、新しい秩序の構築ではなく、古い「既得権」に変わるこの時代に適合した合理的な「権利」の導入といったものです。いずれも、暴力を伴わず、「選挙」や「議論」といったものを通して実現できるものなのです。

 来年、アメリカは新しい大統領オバマ氏を国のリーダーとして出発するわけですが、彼が選挙戦の中で口にした「チェンジ=変革」とは、いまわたしが書いてきたものとほぼ同様の意味を持つものではないかと勝手に思っています。そして、わたしを含め、この国が来年は良い意味で「チェンジ」することを心より願っています。(了)

「問われている絵画(95)-絵画への接近14-」 薗部 雄作

「これからの日本の社会、地球社会のあり方を考えるための三つの側面からの検討」 深瀬 久敬

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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