ホーム ニュース 地球アーカイブ 地球とは? ご意見・ご感想 寄稿

第104号

2009年04月20日

【編集あとがき】

  第104号を、2009年04月20日、無事発行することができました。

以下、一読者としての感想を述べさせていただきました。

 浅田さんの論文=北朝鮮のロケット発射実験については、日本政府は北朝鮮に対して、どのような警告申し入れを、誰が行い、それへの北朝鮮からの回答がどのようなものであり、日本政府としてどのような対応を決断したのか、といった経緯が説明されないままに、万一のロケット墜落に対し、どのような打ち落とし体制をとるかといったことのみが、しきりに報道されたように感じました。マスコミも、そうした対症療法的な報道ばかりに終始することに後ろめたさは感じないのかといぶかしく思いました。そこには、なんとなく、これをチャンスに軍備費や防衛省の組織権限の拡大を図りたいという意図が見え隠れしているようです。民主党小沢代表の公設秘書逮捕の報道に関しても、検察からリークされる情報が連日、報道されましたが、誰がどのような権限と責任においてマスコミにリークしているのか明らかではありませんでした。リークの内容に偏りはないのか、といった点についての吟味はまるで感じられませんでした。しかし、最近になって、官僚組織の天下り実態や独立行政法人の無駄遣いが報道されるにつれて、改善の方向にはあるような印象ももっています。しかし、「かんぽの宿」の安易な設立経緯や障害者団体向け郵便料金割引制度の悪用など、こんなことがまかり通っていたのかと思われるような出来事を次から次に眼にするにつけ、日本の社会は、まだ市民社会になっていないと感じてなりません。満州国建国についてですが、日中戦争に突入する以前から、日本の国内には、世界恐慌に端を発する経済危機を乗り切るには、満州国建国とその植民地化しか手段はないといった風潮が社会全体に溢れていたようです。それを陸軍組織の権力者が組織権限の拡大のため便乗したという印象です。社会全体が一つの風潮に染め上げられるとき、その問題点を冷静に吟味するような風土を普段から作る工夫が必要そうです。一方、日本の社会には、まだ、きちんとした意識をもつ人々も残っていると感じます。拙文で言及した真の科学の意識とか、科学に伴う神の概念などが吟味される中、日本は地球社会の中で、大切な役割を果たしていくべきではないかと感じてなりません。

 薗部さんの論文=内発的と外発的とは少し逆説的になりますが、西洋文明においては、いろいろな現象の側面から分析的に対象を理解し、そこから美をみいだそうとする外からのアプローチをとり、それに対し、東洋文明においては、対象を一つのものとして内側から総体として一気に捉え、そこに美をみいだそうとする内からのアプローチをとっているように感じます。外からアプローチした美と内からアプローチした美とにどのような相違があるのかは、定かではありませんが、それは、それぞれの固有の文明に根ざした美として両方を認めるべきではないかと感じます。むしろ、東洋的なアプローチと西洋的なアプローチによってそれぞれ捉えられた美を、どのように止揚するかといった点が課題とされるべきではないかという印象も受けます。拙文にも、二つのアプローチのことに触れましたが、総体を一つのものとして一気に把握するということの方が、言葉による説明では困難さを感じます。禅の悟りの不立文字のような印象があります。「科学」意識における説明不可能性と私たちの美意識との関係はどのようなものかとか、疑問は尽きません。東洋の美を、東洋から西洋に説明することは、桜沢如一氏に限らず、大きな困難が伴うようです。禅の鈴木大拙氏においても、果たして、どこまで成功しているのか、はっきり分かりません。しかし、互いが理解しあうことも大切かもしれませんが、互いの文明の根っこを互いに尊重するという態度が基本的要請かもしれません。問題は、両方のアプローチを相剋した新たなアプローチの道を探るということなのでしようか。

(以上 記 深瀬)

「負けること勝つこと(60)」 浅田 和幸

「問われている絵画(96)-絵画への接近15-」 薗部 雄作

「人類社会の急変貌〜科学と神の座標軸からの吟味」  深瀬 久敬

- もどる -

編集発行:人間地球社会倶楽部

Copyright © Chikyu All rights reserved.
論文募集