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第107号

2010年02月08日

「負けること勝つこと(63)」 浅田 和幸

   政権交代という歴史的な事件が八月に生じた二千九年も終わり新しい年を迎えました。かつて、世界が資本主義国と社会主義国の二つに分断されていた「冷戦の時代」、自分が生きているうちに東西冷戦構造が崩壊するなど予想もしていませんでした。

 ところが、ベルリンの壁が崩壊し、ソビエト連邦が消滅し、新しい世界の秩序が生まれてみると、なにかそれがフツウのことであり、それまでの過去が異常なものであったと感じてしまう自分に気づかされたものでした。

 多分、それが「歴史」ということなのでしょう。自分が事態の渦中にいて、客観的に世界を見ることが出来ないということを「現実」と呼び、そうでなく、客観的に見ることが出来るようになった時、それが「歴史」として認識されるというわけです。

 そういう意味で、多分、あと二、三年もすれば、この「政権交代」という言葉も、なにか古びて、当たり前のものとして認識されるのではないかと予測しています。

 しかし、現実に「政権交代」が起きてみると、実は、ほとんどの人が本気で予想していなかった事態だったということに気が付いたのではないでしょうか?特に、マスコミの動揺ぶりには苦笑を禁じ得ません。

 新聞にしても、テレビにしても、週刊誌にしても、衆議院選挙の前には、この選挙により「政権交代」が起きる可能性があると盛んに報じていました。さまざまな予測が出され、それに関してのコメントも各種溢れていました。

 でも、そういう風に報道しながら、本音の所では、「多分、政権交代は起きないだろう」という楽観的な空気が支配していたように思います。つまり、自分たちがこれだけ煽れば、国民の投票行動が変化し、「保守バネ」といった力が作用して、ギリギリの所で、自民党と公明党の与党が踏みとどまるといったシナリオを予想していたように思います。

 ところが、そういった楽観的な予想を覆し、地滑り的な状況で「政権交代」が行われたことで、国民もさることながら、マスコミの狼狽振りには正直なところ驚かされました。

 まさに、彼らにとっては「晴天の霹靂」、「未曾有の出来事」であったように思います。そして、それで、彼らのプライドが大きく傷ついたようです。それは、事前の予想が覆ったということもさることながら、自分たちの報道が、国民の投票行動にほとんど影響を与えることが出来なかったという事実によってです。

 考えてみれば、マスコミは官僚や大企業といった組織を、「既得権を持った組織」として批判してきましたが、実は、彼らマスコミも、その「既得権を持った組織」、それも相当大きな「既得権」を持った組織だったということです。

 例えば、官庁における「記者室」。それは、公の施設である庁舎の中で一私企業であるマスコミ各社が、独占的に占有している場所であるわけです。また、「記者クラブ」に属していない限り、情報を得ることも難しいですし、記者会見など公式な場所に入ることすら出来ないシステムです。

 つまり、彼らは日本の政治・経済の重要な情報を独占的に手にすることが出来る立場を、戦後一貫して保持してきたということになります。これを「既得権」と呼ばずになんと呼べば良いでしょうか?


 いずれにしても、彼らマスコミは、戦後の日本社会に君臨してきた「自民党」と付かず離れずといった距離感で、自らの「既得権」を守ってきたことは間違えありません。

 だから、鳩山政権が新たに問題とした沖縄の米軍基地問題。この基地の県外移転等を巡って、これまでの従来の日本政府の方針を転換しようとしたことについて、ほとんどのマスコミは拒絶反応を起こしました。

 ひどいところでは、「こんなことを言ったらアメリカが怒る」といった小学生並みのコメントを載せたところもありました。つまり、これを書いた当事者は、千九百六十年に締結した「日米安全保障条約」を金科玉条の如く絶対視しているということのようです。

 しかし、東アジア情勢が「冷戦構造」に固定され、ソ連、中華人民共和国といった社会主義国と対峙する前線基地としての沖縄米軍基地。しかし、「冷戦構造」が崩壊した現在、そういう軍事的位置づけは、もうほとんど意味をなさないと言って良いのではないでしょうか?

 現在、日本の近辺に軍事的な問題があるとするなら、それは「北朝鮮問題」であり、それに対処するということであれば、沖縄より東北あるいは北海道に基地を持って行く方が合理的に思えます。

 ただ、それはあくまでも日本の問題であり、アメリカの軍事的な問題ではないというのが現実ではないでしょうか。アメリカは、「六カ国協議」という枠組みを設け、「北朝鮮問題」を中国が中心となり解決するように求めています。

 アメリカにとっては、「北朝鮮問題」より、イラン・イラク・アフガニスタンといった西アジアから中東にかけての軍事的問題が優先されているのです。

 ところが、日本ではあくまでもアメリカとの関係を重要視し、それ以外の国際関係を構築することに消極的でした。基本的に、アメリカの意向のままに選択し行動するということが、日本の国益に叶うというスタンスでした。

 そういうこれまでのスタンスを、もう一度見直し、新たな日米関係を模索していく第一歩として、この沖縄の「普天間基地移設問題」の再検討に対して、上記のような小学生レベルの反応しか出来ないところに、「既得権」にまみれた日本のマスコミの限界があるように思えてなりません。

 それは、かつて日米開戦を前にして、日米の軍事・経済的な隔たりを無視して、ひたすら精神論で開戦へと導いたマスコミの扇動振りを想起させます。

 客観的な分析より、主観的な思いこみで国民感情を煽り、「非戦」に傾こうとする勢力を徹底的に「臆病者」と糾弾し、一部冒険主義者を賞賛することで、無謀な戦争へと導いた過去があったことを、もう少しマスコミに携わる人たちは、謙虚に反省すべきではないかと思います。

 さて、マスコミに関していろいろ書いてきましたが、実は、マスコミ以上に「政権交代」により茫然自失となっている組織があります。それは、八月まで政権与党であった「自民党」です。

 麻生政権の末期の頃、自民党の内部では、麻生総理大臣を内部批判することで、新たな求心力を生み出そうという動きがありました。それは、かつて、中選挙区制度の時代、有力な政治家が派閥を作り、その派閥が党内で対立するエネルギーを燃料に、政権を維持してきたというやり方に習っての動きであったように思います。

 ただ、小選挙区制度という新しい選挙方式に変わり、一つの選挙区からそれぞれの政党を選択するという現在の制度の下では、党内力学による燃料補給は弾切れであるということは、もう随分以前から分かっていました。

 しかし、自民党はそれを抜本的に改革するという方法を選択せず、公明党という連立政党の助けを借りるという姑息な手段で、辛うじて政権与党の座に座って来たというのが、客観的な見解であったように思います。

 そして、本当に危機的な状況を目の前にしながら、結局のところ、再び同じ方法で延命しようと試みたわけです。しかし、結果は惨憺たるものでした。勿論、マスコミ等を通じて厳しい状況への認識はあったと思います。

 でも、先に書きましたように、マスコミと同様、自民党の代議士もどこか楽観的に思っていた節が見受けられます。「まさか、これほどひどく負けることはあるまい」と。確かに、その気持ちは理解できます。

 自分たちがこれまでにやってきたことが、これほどまでに陳腐化し、国民に拒絶されているとは想像してもみなかったのです。この意識のギャップというものが、「現実」を客観的に把握する目を曇らせるということでしょうか。

 多分、戦前の日本の軍隊も同じような意識の罠に嵌っていたように思います。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦といった戦争に負け知らずにきたことで、いつのまにか自分たちのやり方が最善であり、それ以外のやり方は存在しないという「妄想」です。

 いま、わたしは「妄想」という表現を使いました。国語事典で意味を調べてみますと、「誤った確信」という意味が記載されています。ただ、誤っているなら「誤解」という言葉が適当だと思いますが、「妄想」というものは、「誤った確信」というように、一種の信仰に似たものなのです。

 だから、第三者的な立場で、客観的にそのことについて論じても、決して「聞く耳」を持たないということになります。それどころか、そういう「耳障りな言葉」を発する人間を、拒絶し、否定しようとさえするのです。

 その結果、客観的状況が理解できなくなります。そして、自分にとって都合の良い情報のみを集め、それにより生み出されたものを「現実」と勘違いします。

 これは、別に戦前日本の軍隊だけが陥った思考の罠ではありません。近いところでは、地方都市にある現在「シャッター通り」など呼ばれている商店街の店主なども同様の成功体験により、判断を誤り、商売に失敗しているのです。そして、それが昨年の夏に「自民党」にも降りかかってきたわけです。

 さて、戦前の「日本の軍隊」の誤りとは、二十世紀に起きた第一次世界大戦」で行われた「総力戦」に関しての認識が甘かったため、第一次世界大戦をさらに超える「総力戦」となった第二次世界大戦を戦える体力を持たぬまま、開戦へと踏み切ったということが上げられると思います。

 それでは、「自民党」はなにを誤ったのでしょうか?それは、高度経済成長の後に、一貫して続いてきた公共事業による「地方重視」という政策の方向転換が出来なくなったということだと思います。


 日本の「高度経済成長」は、地方に余っていた大量の若い労働力を都市部に集め、第二次産業を中心とした「産業転換」により、工業化に成功し、それにより物質的に豊かな生活が実現できたのでした。

 しかし、それにより地方は疲弊し、過疎化・高齢化という問題が生じたことで、それを補償するということで、地方への公共事業を行ってきました。

 それは、既設の道路を拡幅・舗装するといったことから始まり、新たに自動車道路を造る、橋を造る、ダムを造るといった、現在さまざまな問題として取り上げられている地方の公共事業は、そういう意味合いの下に税金が投入されてきました。

 そして、その公共事業の振り分けを巡って、自民党の国会議員がさまざまな形で影響を与えてきました。選挙で票を入れてもらう見返りとして、その地方に新たな公共事業を持ってくる。農業や林業や漁業といった零細な産業しかなかった地方にとって、この公共事業は重要な産業になったのでした。

 大きな土木事業は大手ゼネコンが発注を受け、それを地方の大・中・小の土木業者に下請けとして発注していくというシステムで、産業らしい産業もなかった山村や漁村に現金収入の仕事と雇用が生まれ、都市部と変わらぬ物質的にも豊かな生活が実現することになったのでした。

 勿論、このシステムは始まった当時は合理的なシステムでした。公共事業により、地方の環境は大きく改善され、所得も増え、都市部とは変わらぬ快適な生活も手に入れることができました。だから、多少の問題はあったとしても、多くの選挙民は、自民党を支持し、彼らに投票してきたのでした。

 ところが、千九百九十年代に入いる頃、その地方での公共事業も、必要とされるものが終わって来た時代を迎えることになりました。つまり、公共投資をしても、その投資が新たな経済的効果を生み出せなくなっていたのです。

 しかし、長年に渡り機能してきたこのシステムは、そう簡単には変えることが出来ませんでした。その結果、必ずしも必要でない道路や橋やダムといったもの、あるいはホールや文化施設と言った箱物が計画され、それに予算をつけるということを止めることが出来ませんでした。

 何故なら、地方にとっては、この公共事業が唯一の地元産業となっていたからでした。土木・建設業が倒産してしまうと、地元経済に甚大な影響を及ぼすため、なんとしても回避しなくてはならなかったのでした。

 そういう意味で、地方の公共事業に携わっていた土木・建設業とは、形としては民間企業でありながら、実質としては国営企業であったように思います。つまり、需要がないものを、国からの補助金や交付金で作っていたわけですから。

 そして、このシステムも終わりを迎えました。それが、小泉構造改革というものでした。ここでは二つの施策が実行されました。一つは、市町村合併です。小さな村や町が行政区域として存続できたのは、国や県からの手厚い補助金や交付金があったからでした。

 三割自治どころか、一割にも満たない税金。残りの九割は国や県からの財政支援ということで、こういう小さな村や町は存続できたのでした。その財政支援が途切れた時、最早単独で行政を運営していくことができなくなったということです。

 その結果、近隣の市町村と合併し、より大きな行政区域になることで、その傘下に入ることで、辛うじて生き残りを賭けるという方法しか残されていませんでした。そして、国は「合併特例債」という飴を用意し、「合併に乗り遅れたら地域の発展は保証しないぞ」というスタンスで推進したのでした。

 もう一つが、公共事業の見直しと削減でした。地方公共団体が実施する公共事業の予算を見直し・削減するという「骨太予算」を実行することで、無駄な公共事業を止めさせる手段に訴えたのでした。


 この小泉構造改革については、かつて「イギリス病」に苦しんでいたイギリスを改革したサッチャー政権の掲げた「新自由主義経済」を踏襲したものと言われていますが、ある意味、サッチャー政権が「国営企業」を潰し、民間企業へと脱皮を図ったと同じことを、日本でも実施しようとしたのではなかったでしょうか?

 小泉構造改革とは、日本の「国営企業」=「地方の土木・建設業」の非効率を解消することが、新たな産業構造の転換と考えた結果、立案され、実行に移された施策だったと思います。

 そして、それが小泉首相の叫んだ「自民党をぶち壊す!」というフレーズに凝縮されていました。まさに、千九百五十五年年以来続いてきた自民党のシステムを壊すための宣言だったわけです。

 しかし、不思議なことに、自民党の党首がそういう認識でありながら、実は、その党首を選んだ議員の大部分は、それとは間逆な立場に立っていたのでした。特に、地方から選出されている国家議員は、全く矛盾した存在でした。

 それは、小泉構造改革が、彼が国会議員として送り出されてきた基盤を徹底的に切り崩していく恐ろしいパワーを秘めているものだったからでした。もっとはっきり言えば、それを選択したことで、彼は支持母体を失ってしまうということでもありました。

 ただ、大多数の国民は、この改革の全貌が見えておりませんでした。確かに、「これまでのやり方はおかしい」という認識は持っていました。だから、「自民党をぶち壊す!」と叫んだ首相を熱烈に支持したのでした。

 しかし、なにを壊し、その結果、社会がどう変化していくのか、ということまでは、ほとんどの国民には見えていなかったように思います。そして、「郵政民営化」という、実に些末な政策を巡っての解散・総選挙に対して、圧倒的な支持を自民党に与えたことになったわけです。

 これは、以前にもこの中で書いたと思いますが、郵政選挙の後に、地方新聞の読者の投稿欄の中で、今回の「郵政民営化」により、自分の住んでいる過疎地域が活性化し、活力のある地方経済が期待できると手放しで喜んでいる文章を発見しました。

 その時、わたしは、「ああ、こんな期待を込めて、この人は自民党に一票を投票したのだな。しかし、残念なことに、あなたの期待はものの見事に裏切られ、一番失望することになるだろうな」と思っていたことを鮮明に覚えています。

 そして、人間は、不思議なもので、まさに、自分がさらなる逆境へと追い込まれようとしている時に、それを阻止するより、さらに加速させる方を選択することが往々にしてあるのだなということを実感したものでした。

 それもこれも、「現実」に対する無知と誤解が原因ということであれば、この二つのものを解消することで、少しはより良い選択が可能になるということでしょうか?

 いずれにしても、地方にとって「国営企業」として機能していた土木・建設業が縮小されていくことで、これまで強固に自民党を支援してきた組織も崩壊し、その結果が、昨年の八月の政権交代へと繋がる軌跡だったということになります。

 さて、大敗北を喫した「自民党」ですが、その後の歩みを見ていますと、残念ながら、「敗北」の原因がまだ理解できていないように感じます。そして、最悪なことは、「敗北」から立ち直り、新たな第一歩をどう踏み出すかという方向性すら理解できていないということです。

 今月に開催される通常国会で、自民党は鳩山首相と小沢幹事長のお金を巡る問題を突破口にしたいと考えているようです。しかし、その戦略自身なんの意味もありません。これが、共産党がやるのなら意味はあると思いますが、これまで散々お金の問題を起こしてきた自民党が追求しても、国民の心になに一つ響くものはありません。


 世論調査でも、「説明に関しては納得していない」人は多いですが、では、その責任を取って「首相を辞めろ」という人はそれほど多くないという結果が出ています。

 はっきり言って、もう終わってしまったことはどうでも良いというのが、大多数の国民の思いのようです。敢えて、聞かれれば「納得しない」と答えていますが、それでは積極的に退陣しろなどとは思っていないのです。

 だから、自民党の戦略は間違っているというのです。過去のことではなく、未来のことについて野党として議論していくという姿勢こそが求められているのです。ところが、相変わらずのワンパターン。これでは、夏に予定されている参議院選挙で敗北すれることは確実のように思えてきます。

 かつて、細川首相を担いで連立政権が生まれ、自民党が野党に下野した時代と現在とが比較されています。確かに、現象としては同じものですが、中味は百八十度異なっています。

 それは、最早、自民党を支持し、支援する団体や組織が無くなる、あるいは機能しなくなっているからです。つまり、再び政権与党に付くためには、新しい政策を掲げ、それを指示する団体や組織を作り直す必要があるということです。

 そういう視点からすると、現在の自民党には、それだけのパワーは残っていないように思えます。掲げるべき旗印もないまま、民主党を単に批判し続ければ、それは、かつての社会党のように、組織自体が消滅することを意味しています。

 敗北の事実を認めることは、当事者にとっては辛いことだと思いますが、実は、そこから始めない限り、新しい歩みは始まらないことも事実です。自民党がどのような理念と政策を掲げて再出発するのか、しばらく注目していきたいと思います。(了)

「問われている絵画(98)-絵画への接近18-」 薗部 雄作

「機能主義への潮流について」 深瀬 久敬

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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