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今年の冬から春にかけての天候は不順でした。寒暖の差が激しく、春を思わせる日があったかと思うと、厳冬のような寒さが続くといった具合で、これまで言われてきた「地球温暖化」とは別に、地球規模での気候の変動が始まりつつあるのかと思わせるものでした。
ただ、こういう変動も長いスパンで観察していく中では、大した変動とは見なされず、最終的には平準化されていくわけですが、そこで生きている生物・人間にとってみると、矢張り変動による影響は大きいと感じます。
さて、天候に限らず、日本の社会も昨年の夏の総選挙の結果、戦後ほぼ一貫して続いてきた「自民党政権」が政権交代で「民主党」に変わるという権力の変動が生じました。
不思議なもので、人間はある環境の中で暮らしていると、その暮らしに満足・不満足といったこととは関係なく、この状態が未来永劫続くように思えてくるもののようです。
かつて、東西冷戦により、資本主義陣営と社会主義陣営に分かれて対立した時代を生きていた時、僕は、この体制が、少なくとも自分が生きている内に終了することはないと思っていました。
ところが、21世紀どころか、20世紀の内に、この対立は消滅しました。この余りのあっけなさに、僕も正直なところ驚きましたが、逆に、この体験で、社会の変化は普段に生じ、一カ所に止まり、未来永劫に渡り同じ状況が続くことの方が、なにか異常なことだと思うようになりました。
それで、昨年の夏に起きた「政権交代」という権力の変動に関しても、それほど大きな驚きを抱きませんでした。そして、もう一つ、権力が変化したからといって、いきなり大きく社会が変化することもないだろうと思っていました。
そういう意味では、権力の変化に妙な期待感を持ってはいませんでした。勿論、権力が変わることで、社会が変化することは間違えありません。しかし、それで社会の仕組みや構造が、これまでとは百八十度転換するといった期待は正直なところありませんでした。
それより、変わったことで、これまで「既得権」を持っていた勢力・団体・人間からの反発が生じ、それによる「捻れ」や「軋轢」といったものが、ある面で、社会環境を一時的に悪化させることがあるかも知れないと予測していました。
ところが、意外なことに、その後の世論調査等を見る限り、これほど多くの日本人が、この「政権交代」に関して、多大な期待をしていたという事実を知り、驚いているというのが実情です。
それでは、僕はなにに驚いているのでしょうか。それは、戦後の五十五年余りの歳月を、「選挙」という方法により、ほぼ一つの政党に対して権力の行使を認めてきた日本人。その日本人の大多数が、その政党の政策等に対して、これだけ多くの不満や反対を抱え込んでいたことに、そして、その代わりになる政党にどれほど大きな期待を寄せていたかということに、改めて驚いているのです。
その結果、新たに権力を与えられた「民主党」が、政権運営を始めるや否や、それまで大きく期待していた国民から不満の声が鬱勃と上がり始めたのでした。
確かに、「お金」を巡っての問題はありました。しかし、それに関しては、別に、「民主党」という政党の問題よりも、日本の政治風土に問題があるということは、ほとんどの国民は薄々感づいていることでした。
実際、戦後の日本の経済成長、そして、都市部だけでなく地方においても豊かな生活が実現できたのも、「自民党」を中心にした権力構造が、こういう富を地方にも配分するシステムを構築し、それをスムーズに運営してきた結果によるものでした。
そのおこぼれに預かりながら、大多数の国民は、戦前では考えられない豊かな生活を、日本各地で実現できたわけです。そして、このシステムが上手く働いている限り、「自民党」は、政権与党としての地位を維持して来られたわけです。
だから、「共産党」以外の日本の政党で、このシステムを根本的に否定できる政党は皆無と言っても良いくらいに、深く、浅く関わって来たというのが、戦後の日本の政治の歴史だったと断言しても良いように僕は思っています。
つまり、昨年の夏に起きた「政権交代」は、実は、これまで続いてきたシステムが、社会の環境の変化、また、日本人の意識の変化により、必ずしも有効なものでなくなってきた結果、必然的に生じた変動であったと考えています。
それで、新しく生まれた「民主党政権」は、これまで「既得権」を持っていた勢力や団体に属している人々から反発はあっても、「既得権」を持っていない多くの国民からは支持されるだろうと予測していたのですが、現状は、なにひとつ「既得権」を持っていない国民までも不満を抱くという状況に陥っています。
ただ、もう一の現象として、それでは元の「自民党政権」に再び戻りたいのかというと、実は、そうではない傾向もはっきり出ています。「民主党」でもなく、「自民党」でもない。その結果、「新党」が乱立することになっています。
しかし、この「新党」ですが、「民主党」にしろ「自民党」にしろ、この二つの大きな政党の受け皿になっていないというところに限界が見えています。
さて、この不可思議な宙ぶらりん状態は一体どういうことなのでしょうか?僕は、それをこう考えています。「日本人の世界観のタイム・ラグ」と。もう少し具体的に言うと、「緊張緩和後の世界情勢へのタイム・ラグ」です。
前にも書きましたように、20世紀の内に、「東西冷戦」という緊張関係は終了しました。その終了にあたり、直接に利害関係があった国や地域は、その影響をまともに被り、その後現在に至るまで、変動の大きな波の影響を受け続けています。(それは、ソ連崩壊後のロシアや東欧諸国、ベルリンの壁崩壊後のドイツ、三十八度線で分断された韓国と北朝鮮などです。)
直接、当事者ではありませんが、その周辺に属する国や地域も、当事者ほど早くはありませんでしたが、それでも確実に変動の波は押し寄せ、それによる社会変動を漸次受けることになったのでした。
(世界の工場と言われるように経済発展著しい中国、イスラエルと対立関係にあるアラブ・イスラム諸国、ユーロ経済圏を構築したヨーロッパ大陸の諸国)
こういった国々や地域では、それまで社会常識であった価値観やその人が占めていた社会的地位といったものも含めて、大きな変動の波に洗われました。その波の大きさは衝撃的で、それにより天国と地獄を味わった人たちも多かったように思います。
それに対して、日本はこの大きな波から比較的無縁でした。軍事的にはアメリカの核の傘の中に保護され、経済的にも世界有数の経済大国として、混乱から一歩引いたところで豊かさを享受することが出来たのでした。
そういう意味では、日本人は世界情勢に鈍感な国民であったと言っても良いように思います。特に、日本列島というように島国であり、大陸に位置する国々のように、他の民族や文化といったものが流入してくることが少ない地理的環境は、こういう鈍感さを醸成するにはピッタリのものだったようです。
しかし、世界のシステムが変動した影響に、いつまでも無関係でいられるわけではありません。少しずつですが、日本社会もその大きな変動の波に洗われてきています。それが、前にも書いたように「タイム・ラグ」という遅れです。
遅れはしましたが、確実に社会の変化は進展しているのです。ただ、そうは言っても、なかなか人間の意識は変わりません。激越な変化に対して、痛みを伴う変化に対しては、その反応の速度も速いわけですが、ゆっくりとした変化では、反応の速度も鈍りがちになります。
「ゆでガエル反応」とでも言うように、冷たい水から温めると、限度を超える熱さになってもカエルが気づかないように、日本人の大多数も気づかずここまで来たということでしょうか?そして、漸く事態の変化に気づき始めたというのが、昨年の夏の「政権交代」での投票行動だったようです。
ただ、問題は、余りにも現状に適応する形で作られた価値観や規範といったものの束縛力が強烈で、その束縛を破り棄てるまで変化するだけの時間と力が、国民大多数になかったことが、現在の「宙ぶらりん状態」を作り出しているように思えるのです。
一つの例として、現在、「鳩山政権」を追い詰めている「普天間基地」の問題を挙げることにしましょう。この問題は、日米安全保障条約に基づき、日本の地にアメリカの軍事基地を認める代わりに、アメリカ軍が日本を軍事的に防御するという条約締結の結果です。
アメリカ軍の軍事基地は、沖縄だけでなく、本土にも幾つかあるわけですが、特に、沖縄に集中しており、また、住宅地にも近接して、事故等も起きているということで、基地移転ということを、前政権から十数年に渡り交渉してきました。
それが、政権交代で、基地移転問題を一度白紙に戻し、沖縄県外の移設と言うことも視野に入れて、日米双方が話し合いを行うことを、鳩山首相は宣言したわけです。
しかし、アメリカ側の方針と日本政府の方針とがうまく噛み合わないこと、新たな基地受け入れ先を巡って、きちんとした方針を当初から政府が持っていなかったこと、という様々な悪条件が重なり、「五月末の決着」と発言した鳩山首相の政治責任が現在問われている事態となっています。
連日、新聞やテレビでは、この問題を巡る政府内部の迷走ぶりを面白おかしく、腐肉たっぷりに報道していますが、僕は、その姿勢に対して、なにか意図的な悪意を感じてしまうのです。
それは、この問題の根本的な問題点を議論の俎上に挙げることなく、枝葉末節の議論にのみ国民を導こうとしている報道のあり方に悪意を感ずるのです。
この問題の核心は、どこに基地を移設するかということではなく、東西冷戦が終結した現在の世界情勢の中で、果たして、今後とも「日米安全保障条約」に基づくアメリカ軍の軍事基地が、日本の国にとって必要なのか、必要でないのかということだと僕は考えています。
そして、次ぎに、アメリカ軍の基地があくまでも日本に必要と言うこととなれば、それでは、どこに移設するということが日本の国益にとってベストであるのかという議論になり、それにより最終的に移設先が決定されるというのが、こういう問題を解決する上で当然の道筋に思えるのです。
ところが、残念なことに現在、そういう道筋にはならず、前提となるべきこれからの日本の軍事・外交の基本方針を議論することを意図的に放棄し、あくまでも既成の仕組みが必然であるということを前提に議論が進んでいることに違和感を覚えるのです。
日米安全保障条約は昭和三十五年(千九百六十年)に、多くの国民の反対を押し切って締結された条約でした。当時は、朝鮮戦争が北緯三十八度線上で休戦となる一方、ソ連の核兵器がキューバに持ち込まれるというキューバ危機、東南アジアのベトナム周辺ではアメリカとソ連とによる代理戦争の「ベトナム戦争」の前哨戦が始まるといったきな臭い世界状況でした。
それ故、資本主義陣営の東アジアでの「反共防波堤」としての日本の役割も重要であり、「日米安保条約」でアメリカとの軍事的な結びつきを密にすることは、対北朝鮮、対中国、対ソ連といった当時の仮想敵国と向き合う上で、日本の国益においてもプラスに働くものだったのです。
しかし、それから五十年が経過した現在、世界情勢は大きく変化しました。先にも書いたように、東西冷戦は消滅しました。また、当時、アメリカと軍事的に緊張関係にあったソ連は崩壊しロシアとなり、中国も含めアメリカとは経済を含め良好な外交関係を樹立しています。
唯一、日本の周辺で残っている「冷戦」の残滓は、金正日率いる北朝鮮のみということになりました。そして、アメリカは、この北朝鮮問題に関しても、中国などを中心とした周辺の六カ国任せるということで、東アジア問題から手を引こうとしています。
勿論、中国と台湾、韓国と北朝鮮といった対立構造は残ってはいますが、五十年前当時の緊張感とは比較に成らないほど穏やかなものになりつつあります。
つまり、五十年前の日米安全保障条約を締結した当時と現在とでは、そもそもその前提となる世界情勢が大きく変化してしまったということです。だから、変化した以上は、この条約に関して、もう一度見直すということが、日本にとって必要になると思います。
日本の基地問題や地位協定といった軍事・外交問題は、この見直しにより新たなステージへと入っていくと考えるのですが、どういうわけか、それを見直すという空気は生まれてきません。
それどころか、普天間問題で、アメリカから不満が聞かれると、「アメリカが怒っている。アメリカを怒らすようなことをしてはダメだ。」などという小学生並みの反応が、国会議員から起こってくるといった状況が続いています。
そして、この不可思議な発言を疑問に思うより、それに同調するマスコミの論調を知るにつけ、一体全体、この日本の国の主権はどこにあるのだろうか?といった素朴な疑問すら湧いてきます。
戦後の日本が国是としてきた憲法では、主権は在民というように、国民にあることになっていますが、実は、主権は国民ではなく、アメリカのホワイト・ハウスにあったということが、こういう一連のやり取りで明らかになるのではないでしょうか?
いま、わたしたち日本人は、これからの日本の軍事・外交方針として、これまでのように日米安全保障条約に基づくアメリカとの同盟関係を更に維持し、強化していけば良いのか、それとも、新しい世界情勢に適応した新たな国際関係を構築していけば良いのかを真剣に議論していく必要があると思うのです。
その結果、憲法第九条で規定されている軍隊を持たない(現在のところ、自衛隊は軍隊ではないということになっています。)という条文も憲法改正により、改正されることも含めて、きちんと議論を行っていく時期に至っているのだと僕は考えています。
しかし、残念なことにそういう議論が生まれてきません。そして、それが先に書いたように、日本社会及び日本人を「宙ぶらりん」状態にしている元凶だと思えるのです。
どうも、わたしを含め日本人は、自分の置かれている環境を自分で変えるということが苦手のようです。遠くは、徳川幕府による封建政治が、西洋諸国を手本にした近代国家に変わる明治維新も、近くでは太平洋戦争での敗北による戦後民主化と経済成長も、アメリカの強大な軍事力により、風穴を開けられてのものでした。
あくまでも、外部からの強烈な力の作用がない限り、自分たちではなかなか既成の価値観を変えることが出来ないというのが、日本人の特性=弱点であるように思えます。
ただ、前に書いた変化は激越であり、それによる犠牲という面でも、そう簡単に再現することは出来ない変化です。それ故、時間は少々かかっても、自らの力で変化していくということが求められるように思えます。
そういう意味で、現在の「普天間」を巡る問題は絶好の機会だと考えています。つまり、ここでは単に「迷惑施設」であるアメリカ軍基地をどこに移設するかという問題を矮小化してしまうのではなく、これからの日本の進むべき道を、国民全体で議論し、それにより「移設」あるいは「撤退」までも選択肢に入れ、ベストな選択を考えていく機会だと思います。
この件に関して、先日、テレビのワイド・ショーのコメンティーターが、「ゴミの産廃施設や埋め立て場など、迷惑施設に関しては、住民の反対で立ち往生することが、これまでもたびたびありました。今回のこの問題も住民のエゴと行政のエゴという面では同様ですね。」というコメントをしていました。
しかし、この発言はナンセンスに思えます。何故なら、ゴミはわたしたちが生活している限りは、もはや切っても切り離せない問題ですから、それを処理する施設をどの場所で建設するかという住民と行政との対立を、「エゴ」という言葉で表現するのは適切と思いますが、この基地問題に関しては不適切に思えるのです。
それは、アメリカとの関係の見直し、国際関係の見直し等により、いまある日本国内のアメリカ軍の基地は、不要になる可能性もあるからです。そこが、ゴミ問題と決定的に違っています。
先日、徳之島で開催された「基地問題」を巡る住民大会で、その壇上に立つ人たちは、声高に「反対!」と叫んでいましたが、誰一人、「日米安全保障条約」の問題に言及する人はありませんでした。
「迷惑施設の基地はこの美しい島にはいらない」と言うメッセージを否定するつもりはありませんが、それでは、これまで通り、痛みを沖縄の人たちだけに押しつければ良いのかという問いに対しては、このメッセージは弱すぎるように感じます。
自分のところは困るが、アメリカとの同盟関係を反故にするのも困る・・というより、そういう大きな問題は自分たちには関係ないというのが、その集会に参加した人たち大多数の意見だったように思います。
でも、そういうふうに「自分たちには関係ない」ということで、刻々と変化していく世界情勢から目を瞑ってきた結果が、いまわたしたちの前に置かれている「基地問題」であるなら、いつまでも「関係ない」と知らぬ顔を決め込むわけにはいかないというのが、僕がこれまでに書いてきたことです。
「美しい島を守る」ために、アメリカ軍の基地を移設させないという選択肢の一方で、それでは誰が軍事的に日本を防衛していくのか、そして、そのための施設なら受け入れ可能なのか?といったことを、もう一度議論すべきだと思うのです。
勿論、これは徳之島だけの問題ではなく、わたしたち日本人全員に突きつけられた選択なのです。ただ、いつまでも結論を先送りには出来ない問題であることは間違えありません。
だから、敢えて言わせてもらえば、「普天間基地の移設」に関して、五月末の決着ではなく、「日米安全保障条約」の抜本的見直しの議論から始めて、それが国民的合意に至るまで、移設問題を棚上げにしても良いように僕は考えています。
フィリピンではアメリカ軍の基地はなくなりました。韓国からもアメリカ軍は撤退していきます。これも、すべて世界情勢の変化によるものです。そういう時代に生きていることに、わたしたち日本人はもっと敏感になるべきではないでしょうか?
折角、政権交代という未曾有のことを実現できた日本人。この機会に、これまで戦後の常識と考えられてきた価値観や秩序といったものを根本的に見直す機会と捉えて、新しい世界に対応する二十一世紀の日本の国の形を議論して行くことを期待したいと思います。(了)
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