ホーム ニュース 地球アーカイブ 地球とは? ご意見・ご感想 寄稿

第108号

2010年05月23日

【編集あとがき】

  第108号を、2010年05月23日、無事発行することができました。

以下、一読者としての感想を述べさせていただきました。

 浅田さんの論文=確かに、民主党政権になれば、組織利権にまみれた高級国家公務員主導の政治から、国民目線による開かれた政治に転換するのではないか、とかなりの国民が期待したと思うのですが、現実は、そう単純なものではなかったようです。組織利権は労働組合系に移ったり、ばらまきは相変わらずの選挙目当て中心であったり、政治家の金銭感覚も一般国民とはかなりのずれがあるようです。そして、国のこれからの在り方をどうするかという課題については、まともな議論がほとんどなされないというのも事実のようです。こうした本質的議論は、放送時間の限られたテレビ番組では扱いにくいということもあるかもしれませんが、やはり国民性が強く影響しているように感じます。社会の在り方を客観的に学問的に国民全体として考えようという風土がそもそも日本では育たなかったのかもしれません。そのため、夏目漱石も指摘したように内発的な変化は、日本の社会では起こり得ないということになるのでしょうか。私も、日本人というのは、古事記の青草人的な自然発生的な存在意識が強いため、生命力は高いとはいえ、自分たちの在り方を客観的に学問的に考察しようとする傾向がなさすぎるように感じます。しかし、地球社会の状況は、急激に激烈に変化しつつある訳ですから、産業経済活動のみならず、併せて、地球社会の中でどのような在り方をしていくのか、幅広く議論されてしかるべきだと思います。そうは思いながらも、タレイト的な政治家がはびこっている印象もあり、かなり危機的状況ではないかと改めて考えさせられました。

 薗部さんの論文=芸術を語ることばというもののもつ論拠の曖昧性というものをどのように受け止めるべきなのでしょうか。「希代な独創の天分に恵まれた無垢な手で描き出された〈現実〉」、「世間の人々の眼には幼稚に見える絵(〜であっても、)その強靱な信念が作品に底流して」、「秩序ある構図。ノーブルな色の階調。色彩の光輝性。音楽のようにリズミカルな」、「独創にみちた不思議な詩の世界が展開する。様式は密度をまし、表現技術は驚くほどの重厚さに輝きだす」などといったことばは、そうした感覚を把握していない人にとっては、書き手の独りよがりにすぎないとしか思えないように感じます。芝居などでも、同じ演目でも観客と舞台の役者との間で濃密な共感でみたされることがあるようです。視点や時間の相違によって、なにも訴えてくるものがなかったかと思えば、強烈な感動に襲われることもあるということだと思います。そして、時代の風雪に耐え、圧倒的支持を得たものが古典として生き残っていくということなのかもしれません。こうした世界は、有機化学反応の中に、なぜこころが存在するのかという問いと同じような次元の不思議を感じます。生命というものも現象そのものであり、世界には現象という存在しかないという見方もありうるように感じます。私たちのこころの中に沸き上がる美に感動する意識そのものが存在そのものなのかもしれません。世界は全て陽炎のような存在であり、豊臣秀吉の辞世の句といわれる「露と落ち 露と消えにし 吾が身かな 浪花の事も 夢のまた夢」というのが、人生の本質なのでしょうか。しかし、やはり生まれてきたからには、世界の意味を知り、どういう在り方がよい在り方なのかを常に問い求め、それに沿った生き方を通してなにか安心したいような気持ちも否定できないように感じました。



「負けること勝つこと(64)」 浅田 和幸

「問われている絵画(99)-絵画への接近19-」 薗部 雄作

「これからの学問の在り方」 深瀬 久敬

- もどる -

編集発行:人間地球社会倶楽部

Copyright © Chikyu All rights reserved.
論文募集