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第109号

2010年08月15日

「負けること勝つこと(65)」 浅田 和幸

   週刊誌「AERA」の平成二十二年五月三十一日号に「語り続けた60分 YAZAWA 『おい、みんな筋は通そうぜ』」という記事の中で、永ちゃんこと「矢沢永吉」は、こんな風に語っています。

 「普段、俺はこう考えているんです。『日本に独裁者が現れたら』って。独立行政法人って何百とあるんでしょ。現れた独裁者がすべてを潰してまっさらな状態にしてから、これは認める、これは認めない、と本当に必要なものだけ出しなさい、とね。俺ならそうする。

 今みたいに議員や関係者らが寄ってたかってピーチクパーチク言ったって、形は見えてくるけど、結果、何も変わらないんじゃないかな。このピーチクパーチク言ってる奴らを、最初から全部取っ払っちゃえばいい。

 今の時代って、独裁者が必要なんじゃないの?

 独裁者の意味は、もちろん大量虐殺するような人物ではありません。ある程度の強い権限とインパクトを持った人物。独裁者として全部消す。それから『さて、本当に必要なのはどれだい?』とやったほうが、絶対近道ですから。

 みんな好き勝手なことを言うから、思いっきり踏み出そうにも踏み出せない。でしょ?

 『踏み出したら叩かれるんじゃないか』って気配すら感じる。若者たちがアツくなれないのと似てる気がするんです。議論がヒートアップしているようで、そうでもないでしょ?

 だからこそ『いいから、やかましい』と全部消せるような独裁者が出てもいいのかな。( 中略) ヒトラーのような独裁者じゃなく、正しい権限を持った独裁者。( 中略) 『命は地球より重い』っていうけど、きれいごとで終わらせちゃだめだよ。にっちもさっちもいかないところまで来てるんだから。よかれと思う「正しき独裁」も、必要なときはあるはずです。」

 この彼の語りを読みながら、僕は、理性の面では、彼の議論を否定的にとらえなくてはと思う自分がいる一方で、感情の面では、めちゃくちゃ乱暴だけど、共感できる部分もあるなと思う自分がいることに気が付きました。

 それは、彼の乱暴な言葉の中に、いまの社会に漂っている閉塞感を打ち壊したいと言う熱いメッセージが込められているからではないかと思うのです。

 この閉塞感は、世代を超え、性別を超え、いま日本の社会に生きている人たちの心に重く圧し掛かっている気配のようなものです。例えば、世間的には成功し、経済的にも満ち足りている人であっても、この閉塞感から逃れることは出来ない、それ程に重苦しいものなのです。

 いや、逆に、世間的に成功し、小さいながらも「権力」というものを手にした人であればあるほど、この閉塞感の重みに耐えがたいと感じているように思えるのです。

 そして、永ちゃんのように、「独裁者」が現れたらという思考実験を頭の中で行ってみるのでしょう。「もし、オレが独裁者なら」という思考実験の中で、彼もしくは彼女は、快刀乱麻のように物事を解決していく自分の姿に酔い痴れることでしょう。

 小さいながらも「権力」というパワーの魅力を感じた人間には、こういう「独裁者」を夢想する時間は、きっと訪れていることと思います。( 権力と無縁の人は、そんなことを考えてみようともしないと思うが・・)

 その時、永ちゃんの言うように「正しい独裁者」という言葉が生まれてくるのだと思います。それは、現代に生きているわたしたちが、「正しくない独裁者」により、戦争と言う悲劇を経験しているからなのでしょう。

 永ちゃんの言葉を待つまでもなく、「ヒトラー」のような独裁者は、世界戦争と言う大量殺人に手を染めてしまいました。だから、「独裁者」という言葉は、不吉な悪のイメージがプンプンと匂うものとして、否定的にとらえるのが正しいとわたしたちも刷り込まれて来ました。

 だから、「正しい独裁者」と言う言葉は、実は、倒錯した言葉なのです。「正しい殺人者」と言う言葉が矛盾した言葉であるように、「正しい独裁者」も大いに矛盾した言葉なのでした。

 しかし、この矛盾した倒錯した言葉が、なにか魅力的に感じられて来るというところに、現代のわたしたちが置かれている閉塞状況の問題点があるということでしょうか?

 いまの日本社会は、戦前のように、経済的に大不況が到来して、それで餓死者が出るとか、人身売買が盛んになるとか言ったような貧困とは無縁の社会です。

 しかし、「貧困」が無くなったわけではありません。社会の中に「貧困」は厳然としてあるのですが、それが直接生命を脅かしたり、存在を脅かしたりする所までは行っていません。

 そういう意味で、わたしたちの社会は、多分、これまでの日本人が誰ひとり経験したことがないほどに豊かな社会なのだと思います。しかし、豊かである一方、「貧困」というものが無くならないのは、そこに格差というものが生じており、その格差と言う尺度で眺めた時に、現代の「貧困」の姿が見えてくるということです。

 あくまでも尺度の問題です。だから、年配の方が、「いまの若い人は自分たちの時代に比べて、本当に豊かな暮らしをしているのに、そのことに対してちっとも有難いと思わない」などと言う批判をされても、若い人たちにとってみれば、前提となる尺度が違っているわけですから、どこまで行っても平行線と言うわけです。

 つまり、これまでに書いてきた「閉塞感」の根底には、現代の社会を覆っている尺度=価値観というものへの不信感あるいは苛立ちみたいなものが存在しているのではないでしょうか?

 永ちゃんが語っているように、「議員や関係者らが寄ってたかってピーチクパーチク言ったって、形は見えてくるけど、結果、何も変わらないんじゃないかな。このピーチクパーチク言ってる奴らを、最初から全部取っ払っちゃえばいい。」という言葉の背後に、こういう苛立ちがあるように思うのです。

 ここでは、現在の社会でオーソライズされている尺度=価値観を掲げて、リーダーとなり国民を導いていこうとしているエリート達への批判的な表現が目立ちます。

 「ピーチクパーチク」という擬音で表現している部分には、なにか怒りのようなものさえ感じます。どれだけ、議論しあっても、結局のところ、既存の尺度=価値観から抜け出せない苛立ちが、この言葉の背後にメラメラと燃えているのです。

 だから、そういう尺度=価値観を取っ払ってしまうためには、「独裁者」が必要だと言う論理になります。その「正しい独裁者」は、そういう既存の尺度=価値観に拘泥されることのない、新たな尺度=価値観の持ち主であることがこの論理の前提となっているのです。

 さて、そういう人間はこの社会に存在しているのでしょうか?既存の尺度=価値観を共有していない人間。それは、まさに宇宙人のような存在とでも言えば良いでしょうか?

 正直なところ、「正しい独裁者」という概念が倒錯し、矛盾を孕んでいる言葉であるという理由は、実は、宇宙人のように別の惑星から来訪しない限り、どんな人間と言えども、現在の尺度=価値観から自由であることは百パーセント難しいからなのです。

 つまり、生まれてから成長していく過程で、どんな賢い人間であっても、自分の生きている時代の尺度=価値観からの影響を無視するわけにはいかないのです。逆に、そういう尺度=価値観とうまく寄り添うことがリーダーの資質として求められさえしているのです。

 勿論、これまでにも人類の歴史の中で、新しい変化や動きを起こして来た人間はいました。「革命家」とか「変革者」とか言う名前で呼ばれてきたその人たちは、それまでの尺度=価値観を大きく変えることに挑戦しました。

 しかし、そういう人たちも、全く新しい尺度=価値観を生み出し、それによって行動を起こしたわけではありません。現在、NHKで放送している「龍馬が行く」の主人公坂本龍馬にしても、それまでの徳川幕府を倒すための行動原理は、自らが編み出したものではなく、その時代に西洋文明に影響を受けた先覚者たちのものを利用しているだけです。つまり、どれだけ優秀かつ斬新な発想を持った人間であれ、自分の生きている時代の頸木から、完全に自由であることは不可能だと言うことです。

 さて、「正しい独裁者」の件に戻りますが、ここでいう「正しい独裁者」とは、「ピーチクパーチク」を話している人たちとは違う尺度=価値観を持った人であるわけですが、違うことは分かるのですが、それではどういう尺度=価値観なのかというと、なにかはっきりしないのです。

 確かに、現状とは違う尺度=価値観というものは魅力的ですが、ひょっとすると、否定だけであって、新しいものを生み出すものとは限らない場合も予想されるのです。

 それは、先日行われた参議院議員選挙の各党の立会演説会のように、互いに相手の党の政策を批判し、否定しあうといったものである場合が、これまでにも往々にして見受けられました。

 現状の批判はとても魅力的です。特に、問題があればある程、その批判は魅力的に見えるものです。ただ、どれだけ批判をしていても、それで新しい尺度=価値観が生まれるわけではありません。

 多分、永ちゃんは、この手の「批判者」を「正しい独裁者」とは考えていないようです。そういう口だけの批判者も「ピーチクパーチク」の中に閉じ込めているのでしょう。

 そうなると随分と難しくなります。口だけでなく、行動にも移すだけの力がある人間。それが「 正しい独裁者」

であるなら、正直なところ、個々の頭の中に存在しても、それが現実の世界の特定の人間として存在しているのかとなるとどうでしょうか?

 多分、永ちゃんも、特定の人間を想定しての話ではないように思います。そういう人間がいたらいいなという願望の中にのみ存在している理想像とでも言ったら良いのではないでしょうか。勿論、そのニュアンスの中には、自分もその候補の一人であるといった含みもあるのでしょう。

 いずれにせよ、今のところは空想の中にしか存在していません。ただ、そうだからと言って実現しないかというとそれは違っています。実際に、「独裁者」は歴史の中で生まれて来ました。

 実は、僕にとって一つ気になることがあります。それは、戦前の日本の政治史を見ていると、普通選挙法により「二大政党政治」が生み出され、日本が立憲君主国として歩んでいく中から、軍部による独裁政治が生まれた歴史についてです。

 明治維新という、それまでの徳川幕藩体制を打倒した新政権は、内閣制度を作り、立憲君主国として、近代国家へと歩みだしたわけですが、その内実は、維新に貢献した雄藩の実力者による天皇を中心とした藩閥政治でした。

 但し、それでは近代国家の体裁として相応しくないという考えから、明治の中ごろから、国会を開催すると共に、その国会議員を選挙で選出するという、その当時、西欧社会においては広く普及していた選挙制度を導入する方向へと舵を切って行きます。

 そして、大正時代になると、「大正デモクラシー」といったイデオロギーにも影響され、大正十四年には「普通選挙法」が成立し、納税制限が撤廃され、満二十五歳以上の男性に選挙権が付与され、それにより国会議員が選出されることになりました。

 しかし、その後起きたことは、二大政党である「立憲政友会」と「立憲民政党」との間に延々と続く政争でした。それが原因で、軍部の台頭を許し、最終的には立憲君主制を否定する大政翼賛会の成立で、戦争への道を進むことになったのでした。

 この時代も、現在と同様の閉塞感が社会を覆っていました。昭和二年に自殺した芥川龍之介の晩年の作品の中に書かれた「ぼんやりとした不安」という言葉のように、どこに向かって進んでいくのか分からない不安を人々は感じていたようです。

 こういう方向感覚に欠ける時代においては、なにか強いメッセージを持ったもの、有無を言わせぬ断定的な物言い、そういったものが人々の関心を集め、さらに信頼されるようになるのです。

 それ故、勇ましいスローガンや大言壮語と言ったものを口にする人たちが、社会のリーダーと目され、その人たちへの求心力が高まって行くことが往々にして見受けられます。

 そして、まさに昭和初期の時代は、そういう時代であり、二大政党の議員たちは、そういう世の中の風を受け、さらに、それを煽るような言説で、国民の歓心を買おうとしたのでした。

 現状を打破するためには、いつまでも「ピーチクパーチク」言っていては仕方がない。こういう場合には、力でもって一刀両断に叩き切ることが大切だ・・などと力に頼った言葉により、自分の弱さを隠そうとしたのでした。

 しかし、これは「立憲制度」という自分たちの足場である制度を否定することでもあったわけです。結局、弱腰でいると言うことを批判されたくないために、軍部が始めた中国での戦争を抑えることもできず、なし崩し的に戦線を拡大して行き、最終的には、軍人による独裁を許すことになりました。

 まさに、天に唾するとはこういうことを指すのでしょう。国民や軍隊に媚びへつらう余り、客観的な批判と言うものが出来ず、さらには、時代の風に煽られて、短期間にクルクルと総理大臣が変わるといった政治的不安定さを生み出したことで、逆に、それが国民からの不信感を生みだすことになりました。

 さて、こんな風に歴史を振り返ってみる時、なにか現在と良く似た匂いを感ずるのは僕だけでしょうか?勿論、国際情勢も異なっており、また、経済的な豊かさと言った面でも、戦前とは比較にならないことは十分に承知しています。

 でも、そうだからと言って、時代を覆っている閉塞感の質といった点で眺めて見る時、それに関しては、同質のものを感じてしまうのです。

 多分、そういう質が同質ということで、「正しい独裁者」といった言葉が語られるのでしょうか。かつて、政党政治が機能不全に陥る中で、国民は強いリーダーを求めて行きました。

 それは現在も、国民の間では「強いリーダー・シップ」を持った指導者、「言葉や行動がブレない」指導者を求める声が強いです。僕の記憶では、日本が高度経済成長を遂げていた時代、その時代にはこういうリーダーを求める声はそれ程多くなかったように思います。

 ところが、バブル経済が崩壊し、日本の社会がかつてのような成長を実現出来なくなった辺りから、「強いリーダー」といったような勇ましい言葉が語られるようになりました。

 さらに、そういう国民の気持ちを煽るようなマスコミの報道も過熱して行きました。韓国や中国の領土を巡る問題やその他の対立に関しても、「弱腰外交」などという言葉で、政府の優柔不断さを指弾するような論説が生み出されて来ました。

 太平洋戦争中に、アジアで日本軍が行った残虐行為や略奪により、戦後も日本人に対する風当たりが強い中で、いつのまにか日本人は自分たちが加害者であるより被害者であったという論調から、臆することなく自己主張を唱えるべきだといった声が大きくなってきました。

 そして、こういう流れが巻き起こって行く中で、これまで問題にしてきた「正しい独裁者」という言葉に一定の共感が集まるようになってきた理由も十分に理解できます。

 なにか重苦しく、モヤモヤとした気分を払い、明るい未来展望を見出したいといった思いが働いていることと思います。NHKが制作している「坂の上の雲」の時代にように、新たな発展や飛躍を心密かに求めているのだと思います。

 しかし、現実はそうではありません。視界不良の厚い雲に覆われ、未来への明るい展望もなかなか描くことが出来ないというのが多くの人たちの感想なのです。

 ただ、そうは言いながらも、戦前と現代との間には、日本を巡る国際的環境に決定的な違いがあります。それは、「眠れる獅子」と呼ばれていた中国が目を覚まし、その強大なエネルギーにより、アメリカを凌ぐ経済力と軍事力を手にしようとしている点です。

 かつての日本は、社会の閉塞感を解決する方法として、中国大陸に軍事力を展開することで、国内の不満や不安を解消しようとしたのです。でも、現在それは不可能です。それだけに、多分、戦前より現代の方がこの閉塞感を打破するには時間も労力もかかることと思えます。

 それでは、「正しい独裁者」による即時解決も難しい状況の中で、なにか解決していく方法がないのかと考える時に、僕は一つの道筋を提案したいと思います。

 それは、明治維新以降、日本の国が進んできた「中央集権」の国家デザインを抜本的に改めることです。明治維新が、何故、当時の日本社会に必要だったのかと言うと、西欧諸国が、それまでの地方分権社会から、中央集権社会へと移行し、その強大な軍事力により、アジアやアフリカを植民地化して行くという時代だったからでした。

 つまり、中央集権化した国民国家に対抗するためには、自らも中央集権化した国民国家を築き、その軍事力を背景にして、植民地化を阻止するというのが、極めて合理的な選択だったのです。

 そして、この合理的な選択を拒絶した中国の清王朝や朝鮮の李王朝は滅び、植民地化への道を開くことになりました。そういう意味で、明治維新に始まった「中央集権」という制度は、近代化して行く日本には必要な制度だったわけです。

 それは、また太平洋戦争後、日本が高度経済成長をして行く上でも合理的な制度でした。日本社会を一つにまとめ上げ、都市と地方の格差を政治と行政が調整して行く中で、世界的にも稀にみる都市と地方の格差の小さい安定した社会が生まれたのでした。

 ただ、高度経済成長がもたらした豊かさが一通り国民の間に行き届いた後、この「中央集権」は制度的に劣化し始めました。何故なら、都市と地方の環境が大きく異なり、そこに住む人々の意識にも大きな違いが生じたにも関わらず、政治も行政も、相変わらず「全国均一」を旨としてきたからです。

 正直なところ、現在、都市で問題になっている保育園に通園したくても通園できない待機児童の問題が、僕の住んでいる石川県の過疎地域の能登半島で問題になっているのかというと皆無です。逆に、定員割れをした保育所が統合されているというのが、地方の、それも過疎地域での現実です。

 ところが、「保育所」を管轄している厚生労働省の施策は、全国一律という枠組みにはめ込まれているために、各地域の抱える問題が全く違っているにも関わらず、機動的な問題解決の対処策が展開できないのです。これは、明治維新時に開始された「中央集権」への道がその役割を終えつつあるということではないでしょうか?

 さて、これから、益々、日本社会では「少子高齢化」が恐ろしいスピードで進んでいきます。それも、全国一律に同じスピードと言うより、場所により地域により、そのスピードも規模も異なっています。

 そういう違いを無視して、今後も相変わらず、全国一律の施策を実施して行くということになれば、現在抱えている矛盾や問題が、解決されるより、さらに拡大して行くと考えた方が正しいように思います。

 そういう意味で、これまで継続して来た「中央集権」を解体し、明治維新以前の地域主権へと制度を切り替えて行くことも、一つの進むべき道筋に思えるのです。

 勿論、単純に昔に帰れという積りはありません。かつての藩を再生する積りもありません。ただ、地方の実情といったものに、もう少し配慮し、それに合わせた政治や行政の運営方法があるのではないかと考えています。

 こう書きますと、「いや、以前に比べ、地方自治の権限も拡大して来た。それに、国の関与なく、地方がてんでバラバラに施策を行えば、国民の間に格差が生ずる結果になる。」と言ったような意見を述べる向きもあります。

 こういう意見に関しては、「実は、現在においても、住む場所により大きな格差が存在している」と言うしかありません。先ほども例に上げました、僕の住んでいる石川県の能登半島。ここでは急速に少子化と高齢化が進んでいます。

 そのため、ここ十年余りで高校の統合は急速に進み、かつてはそれぞれの地域にあった高校が統廃合されたため、生徒たちは、住まいから遠く離れた学校に通学すると同時に、専攻する学科も限られてしまっています。

 さらに、医師不足により総合病院が「科」を維持できず、小児科への通院に、自家用車で二時間近くかかるといったことも起きています。都市部に暮していれば、そんな心配がないわけで、そういう意味でも、この教育や医療の格差は大きいものです。

 多分、これから十年後を想定すれば、最早、そういう地域に住むこと自身の不便さで、さらなる過疎化に拍車がかかっていることが想像できます。

 こういう中で、現在、様々な地方活性化の方策が語られ、それを実施している所もあるようですが、正直なところ余り成功した例はないように思えます。それは、これまでの「中央集権」という枠組みの中での活性化を目指している結果に思えます。

 中央と地方の関係をそのまま維持し、そこから解決策を見出すといことは難しいと思えるのです。ここは、新たな関係を結びなおし、そこに生活している人たちによって方法を考え、選択して行くといったやり方が必要に思えます。

 「坂の上の雲」の時代は、日本が民族国家として世界に飛躍して行くために、国民の統合と一体感が必要だった時代と思います。しかし、現在の私たちが見ている風景は、坂を上昇して行く時に見る風景ではありません。下って行く時に見る風景です。

 そうであるなら、それに即した見方もあって良いと思うのです。無理に、上昇して行くものを追い求めるのではなく、下って行くエネルギーを感じながら、再びどこかで、それを上昇へと導くきっかけをつかむのだという考え方があっても良いのではないでしょうか。

 多分、「正しい独裁者」を選択し、一挙果敢に問題を解決することより、難しい選択に思えますが、「急がば回れ」という諺のような行き方も一つの道筋に思えます。(了)

「問われている絵画(100)-絵画への接近20-」 薗部 雄作

「近代社会化の理念の再考」 深瀬 久敬

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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