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現在、政権交代をした後の民主党政権は、当初の目論見とは違い、スムーズに政権運営ができず、様々な課題を前にして右往左往しているといった印象を国民の大多数に与えています。
その右往左往ぶりを、マスコミを始めとして、多くの国民が批判的に見て、その様子を痛烈に非難するといったことが、何か当然のような振る舞いとして定着していますが、果たして、それは民主党政権だけの問題なのでしょうか?
確かに、政権交代があった時、多くの国民は「なにか変る」ということを期待していました。ところが、事態はそう単純なものでなく、言葉で言っていた程には変わらない現実を前にして、失望感が蔓延しています。
ただ、その失望感を詳細に見て行くと、実は、今回の「政権交代」に期待した人たちの「思い」というか、「変わって欲しい方向性」といったものに、最初から大きな違いが存在していたことに気づくのです。
それは、世代間格差と言っても良いかも知れません。あるいは、既得権格差と言っても良いかも知れません。つまり、「政権交代」という「夢」は一緒に見ながら、それに対する立つ位置が違っていたということです。
「同床異夢」という言葉がありますが、今回のそれは「同夢異床」と言った方が良いのかも知れません。つまり、「政権交代」という「夢」は共有していましたが、そこで実現する「床=社会」は、各個人にとって自分の都合の良いものであり、共通のものではありませんでした。
その結果、あることを実現しようとすると、その実現により不利益を被る人たちが反対し、今度は、反対している人たちが実現しようとするものは、また別のグループが反対するというように、どこまで行っても交わらない二律背反の夢だったのです。
例えば、政権交代により、これまでの自民党政権の中で、既得権を所有していた人間や集団に対して、厳しい目を向け、改善することが提案されました。その代表的なものとして、「国家公務員の天下り」が槍玉に上がっていました。
この件に関しては、これまでに国家公務員(官僚)達が、自分たちの天下りの場所を確保するために、不必要な公益法人を作り出し、無駄な予算を浪費する張本人として厳しく糾弾されました。
確かに、そういう指摘は誤りではありませんが、それでは「天下り」を根絶し、公務員を定年まで省庁で勤務させるとなると、ポスト不足や人件費の増といった面で、様々な問題が出てくることになりました。
つまり、なにか一つを悪者にして、それを退治すれば、それで世の中がうまく行くといった単純な仕組みではないということです。ところが、それを語る人たちは、多くの人々に理解してもらおうとする余りに単純化を図るのです。
すると、それを聞いた人たちは、「なるほど。そんな簡単に出来るのか」と思い、その提案に賛成するわけですが、実際に、その仕組みを変えようとした途端に、それまで隠れて見えなかった問題が噴出して来て、解決には程遠いことになってしまうのです。
同じようなことが「事業仕分け」でも起こりました。蓮舫衆議院議員(当時)が「1番でないと駄目なのですか?2番ではだめなのですか?」と言った言葉が独り歩きしましたが、それまでの自民党政権下では、事業に関して、何一つ議論もないままに、予算が付き、それで事業が行われてきました。
それを糺そうと言うことで、仕分けが行われたわけですが、実際に仕分けの作業を行い、その事業の有用性といったものの検証を行い、その事業を廃止するという結論に至っても、その事業を必要としている組織があり、それを享受する人たちや団体が存在している限り、簡単に廃止することができないことが明らかになっています。
これは、戦後六十五年という歳月の経過により、既存の秩序や既存の受益者が固定化してしまったということです。だから、突然それをいきなり取り外すとなると、それまでに見えなかった様々な問題が生ずることとになり、机上で考えていたプランの実現は、簡単にはいかないことになります。
既得権を外されることへの抵抗感、奪われることへの抵抗感、そういった理屈を超えた感情の迸りを押さえて、強い権限で統治をして行く程の権力は、どの政党が政権を取っても、手にすることは出来ないと言うのが現実ではないでしょうか。
多分、そのことについて、国民の大多数も薄々感づいているように思います。だから、民主党に対し厳しい評価を下す一方で、野党である自民党への期待はほとんど高まってはいません。
要するに、この国の国民の大多数が、自分たちが生きているこの社会の仕組みが、それ程単純でなく、ドラマの中での勧善懲悪のように、正義が悪に勝つといった具合にはいかないことを理解しつつあるということです。
しかし、そうだからと言って、それを甘んじて認め、それに従おうとしているわけではありません。それぞれ、自分が理想とするものが実現されることを求めていることに変わりはありません。
そういう大多数の国民の感情が、前々号で書いたように、「良い独裁者」を望むといった流れを作っているのかも知れません。快刀乱麻の如く、この閉塞感の社会問題を解決する力を求めているのでしょう。
しかし、それはやはり危険な思想であるように思います。問題を解決することは大事なことですが、実現を急ぐ余りに、問題を単純化し、白黒付けるやり方は、賢明な策とは思えません。
ただ、そうは言いながら、閉塞感の打破の実現にあたっては、これまでのようなやり方で解決することが難しいのも事実です。それは、自分の周囲の人間と協調しながらやって行くことが難しくなっているからです。
残念ながら、現在の日本社会の中には、隠しようのない対立が存在しているのです。代表的なものは、既得権を持っている老人世代と、既得権を持っていない若い世代との対立ではないでしょうか。この二つの世代間にある断絶は、相当に深く、鋭いものに思えます。
かつて、日本が貧しい時代、「日々の食事が満足に食べることが出来るだけで良い」と願っていた頃は実に単純でした。飢えは老若男女を問わず、その飢えを克服するための協調や共感は、簡単に実現できたのでした。
さて、現代はどうでしょう。昨年の十月時点で、全国の「生活保護所帯」が百四十一万所帯を超えたという新聞記事が掲載されていました。急速に貧しい所帯が増えていることは現実ですが、それでも、飢えと貧困に悩まされていたかつての時代と比較すると、そのレベルは十分に許容できる範囲にとどまっています。
さらに、同じ地域に暮らし、同年代であっても、一人ひとりの生活環境には大きな違いあり、経済面、精神面といったものもひとくくりにすることすらままなりません。その結果、一人ひとりが政治や社会対して求めているものも違っています。
そして、それが違う地域に暮らし、世代的にも違っている人たちであるなら、その違いは、簡単に歩み寄りが出来るものでもありませんし、逆に、鋭く対立する場合も往々にしてあるのです。
また、忘れてならないことは、日本社会が単独に存在しているわけでもありません。地理的には極東に位置し、周辺には北朝鮮のように独裁者が君臨している国家もあれば、経済的に大躍進を遂げ、これまでの日本の地位を脅かしている中国のような国家もあります。
さらに、自国の防衛に関しては、アメリカ軍が密接に関わり合い、その世界戦略の方向性を外れて、独自に行動することも簡単には出来ないと言う事情もあります。
前号の中でも書かせていただきましたが、島国という特殊な事情により、日本人は国際的な大きな動きに関して、余り関心を示さないと言ったところがあるようです。
そのため、「冷戦構造」が崩壊した後も、なかなか、新しい秩序により世界が再編されるといった流れについて行けず、かつてのままの価値観や世界観を後生大事に抱え込んできたように思えます。
実は、私たちにとって国内問題と思えることも、その原因を辿って行くと、それが国際関係の変化によってもたらされたものであったということが分かってきました。
政権交代をして華々しい門出を送った鳩山民主党政権が躓いた沖縄の基地問題。この問題は、国内問題であると同時に、国際問題でもあるわけです。
日本の都合と言うより、アメリカの世界戦略の一環として、この問題は語られるはずなのですが、現実のところは、国内問題と言った次元に終始しています。それは、マスコミの報道にも問題がありますが、それ以上に、私たち日本人の頭の中にある国際関係が、余りにも古くなっていることも大きな原因に思えます。
多分、私も含め、大多数の日本人は、「日米安全保障条約」に基づいた日本とアメリカの関係を、恒久的なものと捉え、それが今後も永続的に続くものと思っているのではないでしょうか。
かつて、岸内閣を退陣に追い込んだ国民を二分する「安保反対闘争」に参加し、国会前をデモしていた人たちも、七十代から八十代といった高齢者になっています。
当時は、血気盛んに政治論争をしていた人たちも、高度成長の果実を手にし、現在は、豊かで安定した老後を送っている中では、今更「安保反対」などと叫ぶこと自身憚られるような雰囲気があります。
「日米安保」が締結された時代は、中国共産とソ連といった共産主義を世界に伝播させて行こうという勢力の防波堤として、日本の役割は重要でした。
しかし、冷戦が終わり、中国もロシアも資本主義国との自由貿易を活発化させ、北朝鮮を除き、イデオロギーの対立による敵対ということも解消された極東アジア情勢の中では、かつての日本の役割は根本的に変わってしまいました。
ところが、何度も書いて来ましたが、当事者である日本人自身が、この状況の変化を認めたくないと思っているのです。出来ればいつまでも当事者にならず、アメリカの庇護の状態でいたいといった思いも一方にはあります。
ただ、昨年の夏の「尖閣諸島」の領有権を巡る問題に関して、中国が対決姿勢を強めると、まるで当事者であるかのような過激な意見や論調が噴出してきます。それは、自らが当事者として、相手国と向き合いたいという潜在的な願望なのでしょうか?
そういう意味で、この対外的な姿勢も、二律背反の形になっています。自ら、武器を取り、対外的な争いを起こすことなど出来ない現状に甘んじておりながら、その現状に満足できないという矛盾した感情に引き裂かれているのです。
さて、現在の日本社会を覆っている閉塞感。それは、国内の対立だけでなく、対外的な面においても、同様の二律背反と言うジレンマを背負わされている結果生じているのではないでしょうか。
この状況は、かつての日本の姿と重なります。千九百二十九年にアメリカで起きた「世界経済恐慌」は、脆弱な日本経済を直撃し、それまでの安定した社会を揺さぶりました。
経済不況により、国民生活は大きなダメージを受け、それがきっかけで軍隊内に過激な思想が胚胎し、やがてそれは「五・一五事件」「二・二六事件」といった軍隊によるテロ活動へと拡大して行きました。
また、一方では、軍隊内の若手エリート将校を中心に、第一次世界大戦後の戦争のあり方が議論され、「国家総動員」による「総力戦」に備えた社会基盤の整備や軍備拡張といったことが模索されていました。
そして、国内的な不満を解消する方法として選択された手段は、関東軍による軍事行動と満州国の建国でした。日露戦争の薄氷の勝利で、満州鉄道を含め、中国大陸に進出した日本軍は、謀略行動により、新たな国家建設に踏みだしたのでした。
ただ、その行動は、大本営を無視した現地軍の独断専行といった冒険主義的なものでありましたが、それを支持するマスコミや国民の声の前に、なし崩し的に認められ、そして、ひたすら軍事行動の拡大路線をひた走ることになりました。
さて、現代の日本も二千八年の秋にアメリカで起きた金融危機「リーマン・ショック」により、国内経済は大きな影響を受けました。それまで好調だった輸出産業に陰りが生じ、そのため期間工や派遣労働者といった非正規労働者の雇用不安が起きたのです。
先にも統計数字を書きましたように、生活保護所帯が増加しているのも、こういった経済的不況と密接に関連しているわけですが、しかし、そうだからと言って、自衛隊内で過激な思想が跋扈するといった状況にはなっておりません。
逆に、一般の人たちの反応の方が過激であったりするわけで、そういう意味で、国内的状況に関しては、類似点もありますが、それではそのまま歴史が繰り返すかとなると決してそうではありません。
そうなると、国民の間に溜まっている「閉塞感」を開放するためには、どういった手段が適切なのかという問題が残ることになります。正直なところ、わたしも含めて、大多数の日本人は、この閉塞感から解放されたいと願っているからです。
その思いが、簡単に実現できない、思い通りに行かない、こういったジレンマが、「民主党」政権への批判と言う形になっているのではないのでしょうか?
客観的に見て、民主党政権の鳩山総理にしろ管総理にしろ、以前の自民党の総理と比較して、特に、「リーダーシップ」が無いとか、「決断力」が無いとか言った欠点は見受けられません。
多分、安部総理や福田総理、麻生総理よりも、ずっと誠実であり、真摯に国家運営に取り組んでいるように見えます。ところが、マスコミを含め、多くの日本人は、それを認めず否定的な評価を下しているのです。
その理由が、自らを雁字搦めに縛っている閉塞感への嫌悪や反発といったものに原因があるのではないかとわたしは推測しているのです。やり場のない不満のはけ口として、政権与党を攻撃することしかないとうことです。
そういう意味では、民主党政権が崩壊し、また新たな政党が与党になったとしても、その政党が掲げている政策の実現を巡って、新たな摩擦が生じれば、国民の批判は再び燃え上がり、政権崩壊へとつながって行くものと予測できるのです。
多分、こういった積み木崩しを何度も何度も繰り返していく内に、戦後六十五年で積み上げて来た既得権を所有した老人たちも減少して行き、更には、今以上に進む少子高齢化により、日本社会の構造も大きく変化して行く中で、どこかに妥協点を見出し、安定へと向かっていくのではないでしょうか。
時間はかかりますが、かつてのように侵略戦争と言った破滅的な手段を取るのではなく、じっくりと時間をかけての解決に、人間の知恵があるように思います。
ただ、一つ心配なことがあります。それは、現代を生きている大多数の日本人が、アジアという地域に限って言えば、日本が最も優れた先進国であり、それ以外の国々より抜きんでた存在であると信じているところです。これは、明治維新後の欧米に対する劣等感の裏返しで、アジアでは比肩するもののない先進国であるという自負は、まだまだ日本人の心の中に沁みついています。
勿論、そういう自尊心が全て悪いと言うことはありませんが、その自尊心を守りたいがために、客観的かつ冷静な目で現状を分析し、理解することが出来なくなるということであれば、それはとても不幸なことに思えます。
実際、韓国人や中国人に対する日本人の評価は、アメリカ人を始めとする欧米人に比較して、随分と厳しいものであるように感じます。そして、それは年配の人たちに限らず、若い世代においても見受けられる傾向です。
これも、島国ということで、国際情勢を始めとする世界の関係性の変化に鈍感な現れと言うことでしょうか?しかし、確実に時代は変化しています。かつての栄光にしがみつこうとしても、最早、しがみつく余裕すら無くなりつつあるのが現実です。
そういう意味で、もう少し、わたしたち日本人は、アジアの人たちに対して謙虚になる必要があると思います。いろいろな面でのライバルであることは認めつつも、その実力を過小評価することや低く見積もるといったことは避けるべきではないかと思っています。
ある意味、日本は他のアジアの国々より、早めに成熟した社会を迎えつつあると考えたいのです。成熟した社会とは、短絡的な暴力に訴えることなく、平和と安定を求め、人々が豊かに暮らすことだと考えます。そんな社会を一足先に迎えることが、わたしたち日本人の未来への宿題に思えます。(了)
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