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第113号

2011年09月12日

「負けること勝つこと(69)」 浅田 和幸

 

 今年も八月になると、戦争に関してのドラマやドキュメンタリー番組が新聞のテレビ欄を飾っています。普段、この手の番組をほとんど見ることがないので、マスコミに携わる人間にとっては、戦争をテーマに取り上ることは、八月の年中行事という意識があるのでしょうか?

 ただ、今年に関しては、三月の大震災、それに続く原発事故があったためか、過去を懐古するといったスタンスではなく、敗戦後の日本に訪れた最大の危機的状況への対処といったニュアンスを感じさせるコメントなども見受けられました。

 また、「ヒロシマ」「ナガサキ」「フクシマ」といったように、核による被害を受けた場所として、並列的に取り上げ、その問題点を問うといったテーマも見受けられました。

 それと同様の視点で、日本が太平洋戦争に敗北した時の衝撃と今回の大震災とを比較するような論調も見受けられます。つまり、敗戦のショックと同じ程度のショックを、今回の大震災がもたらしたのだというものです。

 確かに、そういった一面もあると思いますが、戦争という人間が起こしたものと大地震という自然が起こしたものを、同じ土俵の上に上げて比較するというのは、少々無理があるように感じます。

ただ、大震災の後に起きた福島の原発事故は、自然災害と言うより人災に近いもので、それに関しては戦争と比較しても良いように思えます。

 その中でも、特に、わたしが興味を覚えたのは、「大本営発表」と「検閲」という二つのキイ・ワードです。どちらも、今回の原発の事故の際に、マスコミで使用された言葉です。

 まず、「大本営発表」ですが、これについては、原発事故後、事故の具体的な内容について、政府も東京電力も原子力保安院も、はっきりしたことを発表せず、有耶無耶なままに記者会見を行った事への批判として出てきたものでした。

 それは、戦中の政府や軍部が、作戦や戦況について、自分たちの都合の良いものへ改竄した情報を報道し、国民には真実が伝えられぬまま放置されていた歴史が繰り返されているという批判でした。

 実際に、時間が経過するに連れて、その時に起きていた原子炉内部の危機的状況が明らかにされています。そして、本当は、内部の危機的状況を知りながら、国民がパニックを起こすかも知れないという危惧から、真実を伝えなかったことが判明して来ています。

 もう一つは「検閲」です。これは、原子力発電に関して批判的な記事や意見といったものを新聞や雑誌、さらにはテレビ、ラジオで表明されるものをチェックし、内容について相手側に抗議する、あるいは、反論するといった作業を、国から補助金をもらっている財団がやってきたということです。

 戦中の「検閲」とは、少々趣も違いますし、権力による言論弾圧とまでは行きませんが、それでも、こまめにチェックし、原子力発電の安全性を疑うような記事に関しては、抗議や反論を行うことは、そういった意見を述べる人たちや団体にとって、無言のプレッシャーであったことは否めないと思います。

 さらに、政府機関が、反原発を標榜する団体や研究者に対して、助成金を出さなかったこと、大学内での昇進を邪魔してきたこと、電力会社も、反原発を掲載するマスコミには、広告を出さないことで対抗するなど、この件に関しては、「検閲」という表現も妥当かなと思われる節も多々あります。

 つまり、「原発推進」という国策に対して、反旗を翻すものについては、その活動を押さえ込み、一般の人たちには原発の安全性を徹底的にPRするということが、正しいこととして粛々と行われてきたことは間違えありません。

 そういう意味で、現在、マスコミ等でさまざまな発言を行っている学者、政治家、評論家、キャスター、文化人と言われている人たちは、この件について話す際には、これまでは自分はどういう立場で原子力と向き合ってきたのかを、きちんと表明した上で発言してもらいたいと思っています。

 なにか、なし崩し的に、現状を批判するといったような曖昧な態度は、マスコミという大きな影響力を持っているメディアにおいては、不誠実であると同時に、その人間の良心が疑われることにもなりかねないからです。

 しかし、戦後六十八年を経過した現在、こういう手垢にまみれた戦中の言葉が、再び復活してくるというのも、今回の大震災により、日本人の多くの人たちの間に、これまでの自分の生き方や価値観に対しての揺らぎや迷いといったものが生じているせいでしょうか?

 そて、そういう復活したものの一つとして、坂口安吾の「堕落論」もマスコミに取り上げられました。また七月に、石原都知事が「新・堕落論 我欲と天罰」といったタイトルの新書を新潮社から出版しました。

 しかし、「堕落論」を取り上げたマスコミの意図も石原氏の新書も、太平洋戦争に敗北した日本社会を前にして、「堕落論」というタイトルで、敗戦後の日本社会を肯定してみせた安吾の作品とは、随分異なった内容にわたしには思えます。

 安吾の作品は、タイトルだけを見ると、「堕落」という言葉の持つ否定的なイメージが先行し、ネガティブな内容に思えるのですが、実は、中身は全く正反対のもので、逆に、ポジティブで、敗戦に打ちひしがれ、寄る辺なき身の上の人々を励ます内容でした。

 彼は、この作品の中で、「人間は堕落する者である」というテーゼを打ち立てています。これは画期的なことでした。何故なら、それまでは「堕落」=「悪」というステレオ・タイプな思考の下に、堕落した人たちを非難する言説が主流でした。

 ところが、安吾はこの「人間は堕落する者である」というテーゼにより、堕落しているという負い目を感じていた人たちを認めたのです。いや、認めたというより、もう一歩踏み込んで、「堕落すること」は、人間が生きていく上で不可避なことであるから、それに身を任せるのが人間らしい生き方だと肯定して見せたのでした。

 現代に生きている私たちにとっても、この安吾のポジティブな肯定は新鮮に感じますが、作品が発表された当時は、この肯定は驚きでした。何故なら、それくらい、戦前・戦中の時代において、日本人は一つの価値観に束縛されていたからでした。

 それは、「お国のため」という言葉が象徴的に表しています。つまり、日本人全員は、「お国のため」に身命を捧げることが当然であり、それが出来ない人間は「非国民」として、排除され、社会から糾弾されるべきだという価値観でした。

 この「お国」という言葉は、そのまま「天皇」と同義語と考えられ、天皇のために全てを捧げることが求められたのでした。軍隊は「天皇の軍隊」ということで、徴兵を忌避することは、天皇に反逆することとして本人だけでなく、家族や地域共同体を巻き込むほどの大事件と考えられました。

 当然、徴兵され戦地へ赴いた兵士の中では、戦死する人たちも多かったわけですが、それは、天皇のために働いたということで、戦死した兵士の家族たちは、誰一人、そのことで天皇を頂点とする軍隊に、恨みごとや反感を抱いてはいけないと教育されていました。

 つまり、個人の死は悲しいことですが、このことは全て国家の大義に必要な犠牲であり、そのために命を捧げることは、日本国民として義務であり栄誉であると信じていたのでした。

 現在、こういったことを書くと、若い世代には信じがたい思想に感じられますが、当時を生きていた人たちにとっては真実であり、絶対的な価値観だったのでした。

 わたしの父親と母親(すでに故人ですが)は、大正の始めの生まれでした。父親は、職業軍人として、日中戦争(日支事変)を皮切りに、敗戦まで従軍していました。母親は、結婚した相手を、日中戦争で亡くし「靖国の妻」ということで、戦中を過ごしていました。

 この二人とも先に書いたような価値観を共有していました。戦況が厳しい状況になろうとも、日本が負けることはあり得ないという強い信念を持っていました。

 生前の二人に、わたしは「本当に、日本が勝つって信じていた?」と尋ねると、間髪を置かず、「信じていた」と答えたものでした。そういう時、改めて教育の怖さを思い知らされたものです。

 いずれにしろ、兵士だけでなく、一般の人々も、この価値観を信じて生きていました。そして、突然、その価値観を全面否定される事態に突き落とされたのでした。

 八月十五日。この日を境に、それまで不動の如く存在していた価値観が一瞬にして崩壊したのでした。勿論、アメリカ軍の飛行機による空襲から解放されたという喜びはあったことと思います。しかし、心の中にポッカリと空いた空虚さをカバーするものではなかったことと思います。

 先ほど、母親の話を書きましたが、戦中は、戦死した兵士の妻は「靖国の妻」(ちなみに戦死した兵士の母親は「靖国の母」でした)と呼ばれ、世間からも特別な存在として見られていました。

 実際に、戦中に「靖国の妻」は、皇居に「清掃奉仕隊」として呼ばれ、天皇から「恩賜の煙草」などをもらうなど、手厚い保護がされていたようです。

 ところが、敗戦と同時に「靖国の妻」は消滅しました。運悪く戦争で亭主を失った後家という赤裸々な現実と向き合うことになったのでした。それまで与えられていた遺族への年金なども、新しい貨幣制度で貨幣価値の低減といった大混乱の中で、一家の働き手を失った多くの家族は、貧困の中へと落ちていったわけです。

 今年の大震災に対して、被災地以外の日本人から多くの善意が寄せられたというニュースが報道されていましたが、太平洋戦争の敗北は、日本全土の敗戦であり、敗戦とは無縁の人たちは一人もいないといった中、全国民が、今日を生き抜くためのサバイバル・ゲームに明け暮れることになったのでした。

 まだ、日本国内にいた人たちは幸せだったかも知れません。海外に居留していた人たちの、敗戦の衝撃は国内の比ではありませんでした。戦争が終わったにも関わらず、逆に、そのことで命を奪われるといった悲惨な状況を目の当たりにしました。

 天皇の軍隊も同様でした。それまで「無敵の軍隊」を自負していた兵士たちは、敗戦という現実と正面から向き合うことになりました。敗北を認めたくない一部の純粋な兵士たちは、自殺など極端な行動を取る者もいたようですが、大部分の兵士は、命が助かったという安堵感に呆然としていたようです。

 さて、問題はこの後でした。敗戦という現実を前にした虚脱感はほんの一時的なことでした。戦災によって生産施設の大部分を失った日本国内では、もの不足や飢えという切実な問題と直面することになりました。

 戦時中ももの不足は深刻でしたが、中央政府による統制がきちんと取れていたため、ないはないなりに秩序が保たれていたわけですが、その統制が崩壊した途端、むき出しの欲望が全国民に牙を剥き始めたのでした。

 闇市といった名前の市場が町のそこここに開かれ、人々は物々交換に近い原始的な取引を始めました。今日を生きるための最低限の食糧確保のためには、こういったむき出しの欲望を持たない限り、サバイバルが出来ない状況に、都市部に住む大多数の日本人は追い込まれていきました。

 戦中、ほとんどの日本人は、政府が積極的に推し進めたキャンペーン「欲しがりません!勝つまでは」といったように、自分の欲望を抑え、日本の勝利のためにという健気な生き方を信じ、それを自らの行動規範としてきたわけです。

 ところが、戦争が終わった瞬間から、今度は、自らの欲望に忠実に生きていかないと、爆弾ではなく、飢えによって命を落とすという事態に立ち入ったのでした。

 多分、こういう百八十度の大転換が、年齢、性別を問わず、社会の至るところで生じたのでしょう。そういう意味では、戦中は、アメリカ軍の爆弾に命を脅かされていましたが、戦後は、同胞である日本人同士による命の奪い合いが始まったと言うことになります。

 さて、そうなると人間は迷いが出てきます。勿論、自分の命を守るためには、自分の欲望に忠実でなければなりませんが、それでも、自分の取っている行動に対しては、どこかしっくりと来ないものがあったはずです。

 それまで、教育によって刷り込まれてきた価値観は、頭の中から出ていってはいません。反対に、新しい状況を認めたくないといった思いが強まることもあります。

 この二律背反した気持ちを抱えて生きていくことは、その人間が誠実で良心的な人間であればあるほど辛いものになってきます。さらに、これまで自分が政府に騙されてきたといった恨みめいたものもあります。

 特に、若い世代の人たちには、「自分は裏切られた」といった不信感が強かったようです。だから、これまで絶対と考えられていた権威を全て否定しようという意志が働いたとしても、致し方なかったことに思えます。

 ただ、全否定してみることはできましたが、それでは次の一歩をどちらに向けて踏み出していけば良いかとなると、これはそう簡単に見つかるものではありませんでした。

 こういう二律背反の価値観に引き裂かれた人たちにとって、安吾の「堕落論」は魅力的でした。何故なら、「生きていくことを続けていけば、必ず人間は堕落することになる」と彼は宣言したからです。そして、「生きよ!堕ちよ!」と励ましてくれたのです。

 これは、自分の現実に戸惑い、それを全面的に受け入れることが出来ない人たちにとっては一種の福音に聞こえたに違いありません。「生きていくこと」と「堕落すること」とが、相反していないのなら、自分の生き方を卑下する必要が無くなるからです。

 多分、いつの時代においても、こういった価値観がひっくり返り、混乱した時代を生きていく人たちにとっては、思想的なサポートが必要になるものなのでしょう。

 そういう意味で、この「堕落論」は、「堕落教」といった宗教に近いものでした。そして、そこに多くの人たちが救いを求めたということです。

 つまり、戦後を生き抜いていた多くの日本人は、戦中の日本人が信仰していた「天皇陛下」を頂点とした「無敵の日本軍」による「最強の日本国」という幻影が崩壊してしまった後を埋めるものを、無意識のうちに探していたわけです。

 その一つは「民主主義」だったと思いますが、残念なことに、それも言葉だけで、実体となるとほとんど無きに等しいものでした。なにか夢のような甘い響きを持つ言葉より、「堕落」の方が分かりやすかったに違いありません。今のままを肯定しさえすれば良いからでした。

 こうやって、戦中の「お国のため」という価値観からの脱出を図った多くの日本人は、「お国」ではなく、「自分」のために生きていくことを正当化するものとして「堕落論」を許容したのでした。

 さて、これまで書いてきましたように、安吾が宣言した「堕落論」は、一般的に使用されている「堕落」とは、根本的に違ったものでした。言葉を替えて表現するとしたら、彼の「堕落」は、「わがまま」に近いものに思えます。

 「わがまま」とは「わたしがあるがまま」と言うことです。このことは簡単そうで実はとても難しいことです。特に、大人になれば、「わがまま」に生きることは相当難しくなります。

 戦中の例で言うと、社会全体が「お国のため」という価値観を共有し、その価値観に沿った生き方が求められる中で、自分自身の価値観を押し通すことは困難を極めます。ましてや、家族や地域共同体の圧力が強い中、それをやり遂げることは難しいことでした。

 しかし、敗戦によって、それまでの価値観が崩壊したことで、この「わがまま」は、社会にも漸く許容されることとなりました。ただ、それまでの価値観が個々人の生き方を束縛している限り、この「わがまま」に生きることも容易いことではありません。

 それを背後から後押しする言葉が、少々刺激的ではありますが、安吾の言う「堕落」だったように思います。しかし、彼が宣言し、その言葉に刺激を受けた人たちが、その後、この試みに成功したのかと言うと、残念ながら、失敗だったように思います。

 つまり、「わがまま」ではなく、別の社会的価値観にその身を委ねたということです。それは、「復興」をキイ・ワードした豊かな生活、豊かな社会の実現でした。

 戦中、日本人が漠然感じていた敵国アメリカの物質的な豊かさ、その豊かさを自国において実現することが、国民全体の目標となっていきました。

 「お国のため」に替わり、「暮らしの豊かさのため」が、新しい価値観になったのでした。人間は、集団で生きている動物です。だから、そこに住む人たちが共通の目標を持ち、それに向かって進んでいく時には大きなパワーを生み出します。

 そして、こういう共通の目標が無い時は、集団のパワーが弱まると同時に、社会全体が不安定にもなっていきます。それ故、戦後の復興には、「お国のため」に替わる目標が求められたのでした。

 この目標設定により、日本は急速に経済発展を遂げ、世界でも有数の豊かな社会を実現しました。しかし、それがある程度達成されてしまうと、今度はその目標に替わるものが必要になってきます。

 多分、ここ二十年ほどの日本社会の停滞感は、戦後に新たに生み出され達成できた目標に替わるものを、国民全体が持ち得なかったことによるものに思えます。

 しかし、そうかと言って、この二十年余りの時代が、わたしたちにとって悪い時代だったのかというと、それは違うように思えます。勿論、社会的な矛盾や経済的格差と言った面で、多くの問題は存在していますが、今回のような大きな災害に遭遇しても、餓死する人や医療を受けられない人もいない豊かな社会が実現しているのです。

 これは、わたしたちが世界に誇っても良いことだと思います。なにか、余りにも私たち日本人は自虐的です。他の国の良いところばかりが気になり、それとの比較で、自分たちの国を低く見積もってしまうことが往々にしてあります。

 実は、人間が生きている限り、完璧な社会など存在しません。それぞれ、問題を抱えて悪戦苦闘しているというのが現実です。つまり、過去にも未来にも理想的な社会など存在しないのです。いま、ここにある社会だけが現実なのです。

 それを、わたしたちも自覚したら良いと思います。多分、安吾の「堕落論」は、そういう自覚を促すものだと思います。ある環境に生きていれば、その環境に適合することが、生き物として合理的であるとするなら、環境が変われば、それに併せて、自らも変わること、その変身にはなにも問題がないのだと声高に宣言しているのだと思います。

 わたしたちも、あの大震災を経験したことで、これまでとは違ったものの考え方や見方が出来るようになったのかも知れません。別に、前が良かったとか、今が良かったとかという優劣の問題ではなく、新しい視界が広がったと思えば良いだけに思えます。

 そういう時に、安吾の「堕落論」はとても役に立つのではないでしょうか?もう一度、自分の曇りのない目で、これまでの価値観に縛られない発想で、現実に起きている事象を眺めてみる。

 そうすると、これまで正しいと思っていたことが、それほどでもないことに気付いたり、批判していたことがらが、それほど悪くはないということにも気づくかも知れません。まさに、安吾の言葉通り「墜ちよ!生きよ!」です。 (了)

「問われている絵画(104)-絵画への接近24-」 薗部 雄作

「『和魂洋才』から『洋魂和才』へ」 深瀬 久敬

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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