第115号を無事発行することができました。
以下、一読者としての感想を述べさせていただきました。
浅田さんの論文=まず感じたことは、歴史から学ぶということの難しさというか、言葉の不完全性についてでした。日中戦争に日本はなぜ突入したのかという課題について、どのように了解するかということも単純ではないということでしょう。満州国の建設が成功し、さらに利権を得たいという国民感情に、近衛首相が迎合したといった理解もありますが、確かに軍部の思惑というか、組織の存在意義の確認と当時の世界情勢の読みを踏まえた軍部組織のヴィジョンの実現といった見方が正鵠を得ているようです。またヴィジョンをもたないリーダーシップの危うさについても理解できます。目先的な人気取り的な刺激的スローガンのみでリーダーを選んではいけないということでしょう。高度経済成長を推進した池田首相や田中首相に、それなりのリーダーシップは感じますが、では、本当に、そういうヴィジョンで正しかったのか、という点については、まだ議論があるとわたしは感じます。こうした点を踏まえて、わたしたちはなにを反省するべきなのか、きちんと体系的な整理をしないという傾向が日本の社会にはあるようです。そういう分析結果を広く国民全体で共有するという努力や工夫もあるべきでしょう。今後の日本の在り方のヴィジョンについては、わたしは、近代的科学的な権威も社会全体が尊重し、その価値観を世界に広めることを掲げる必要があるのではないかと思います。現状の社会状況とは、かなり距離があるようですが、そういうリーダーシップの登場を期待したい気持ちです。
薗部さんの論文=確かに日常の現実は堅いと思います。体調を崩したり、日々の必要に追い立てられたり、様々な制約のなかに生きている感じです。芸術(夢とか幻想とかと言ってもよいのでしょう。)は、そういう現実に、日常の世界の背後にある、より本質的でやわらかな存在を示唆してくれるのだと思います。近代的科学的な権威が、DNAの分子構造や宇宙創生以来の経過がどのようなものであるかを示してくれても、その背後にあるソフト的な意味合いまでは示してはくれません。宇宙論のホーキング博士が、宇宙の創造主の存在を思わない訳にはいかないというのもわかる感じがします。
個への自覚という点では、完全に孤立した個というものは存在しえず、個は常に全体となんらかの形で結びついている存在なのだと思います。そして、全体の中での一つひとつの個が、異なるなにか役割のようなものを担っているように感じます。それは自分自身になりきることや、これがわたしの作品だと言い切れることを通して、全体との関連をより深く理解することになる、ということではないでしょうか。そういう姿勢を喪失するとき、個としての存在の足場を失うということになるように思います。
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