第117号を無事発行することができました。
以下、一読者としての感想を述べさせていただきました。
浅田さんの論文=オリンピックを巡っては、さまざまな課題があることがよくわかりました。勝つための戦略のたて方、審判の受け入れ方、種目の選択を巡る課題、マスコミの取り上げ方、アマチュアリズムの扱い、愛国心の表現などです。
わたしは、スポーツに熱狂することには抵抗感が強いせいか、寝不足になるようなことはありませんでした。しかし、オリンピックを巡るさまざまな情報に接するなかで思うことは、わたしの持論を踏まえて言えば、「在ること」指向から「持つこと」指向に価値観が転換するなかで、ますますスポーツビジネス化とゲーム化の傾向を強めているということです。オリンピックに限らず、どんなスポーツにもビジネスの利権が絡んでいるようですし、ゲーム化に伴いアマチュアの存在は限りなく形骸化している印象を持ちます。
「在ること」指向の価値観のもとでは、スポーツは神さまへの感謝の念を表明する場であり、そこには勝つための美意識もあったのだと思います。したがって、勝ったからと言って、こぶしを挙げて自己の感情を表現するということもありませんでした。相撲で朝青龍が勝った後、ガッツポーズをとって話題になったのもこれと関係があると思います。
「持つこと」指向の価値観を先鋭化していけば、勝つためには、結局、戦争と同じようになんでもありの発想になっていくと思います。最後の「こういう相手への配慮や思いやりを欠いた過激な意見が支配的になっていくと、ルールに則ったスポーツ競技が、やがてルールのない戦争へとなし崩しに進んでいくのではないかと、少々不安を覚えてしまうのは考えすぎでしょうか?」は、まさにこうしたことへの懸念への表明だと思いますし、わたしも全く同感するところです。
薗部さんの論文=植物の生命力には畏怖すべきものがあるように感じます。山の上から海の底まで、光合成という手段によって植物はあらゆるところに生い茂っています。細胞の構造は動物とほとんど同じであり、地球上の細胞の数を、全ての植物と動物それぞれ合計して比較したら、植物の方が圧倒的に多いだろうと思います。そして、植物も様々な感覚を備えているようです。なにか自分勝手な人間に復讐のために、突然、襲いかかって来るのではないか、といった不安を覚えることもあります。
生命は、成長するのに従い新たな感覚や知識を身につけたり失ったり変化するもののようです。そして、そうした段階を踏むことによってわかって来るものもあれば、突然の閃きによってわかるものなど、どうもさまざまなようです。この辺も生命の不思議なところだと思います。38億年の生命の歴史のなかで、どのようにして、そうした生命の在り方を身につけてきたのか思うと実に不思議な感じがしてなりません。同じものをみていても、人それぞれ感じていることは驚くほどに違っているみたいです。感性は右脳、知識は左脳などと言われますが、脳の意識の感覚というものも、まだまだ分からないものがたくさんあるのではないかという印象をもっています。本号でわたしは、第三の意識の覚醒といったことを書きましたが、順番を踏んで得られるものなのか、突然変異的に現れるものなのか、よく考えてみたいと思いました。
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