第118号を無事発行することができました。
以下、一読者としての感想を述べさせていただきました。
浅田さんの論文=原発の存続に関して、地震や津波などによる万一の事故時の怖さや有毒な廃棄物の処分法が話題になっていますが、今後のエネルギー政策、原発技術の今後の位置づけを含めた原発を巡る産官学の利権構造の見直し、原発施設の設置を含めた地方の過疎対策、といった本質的な課題については、表立った議論が起きていない印象を持ちます。なにか3・11において、東電が津波対策を甘くみていた結果が、こういう方面の議論のみを誘発するという状況になにか危ういものを感じます。農業の競争力は衰退の一途を辿っていますし、中小企業も海外への工場移転を迫られ、地方にあった工場の相次ぐ閉鎖も深刻化しているようです。都市部の若者の働く形態も派遣社員が一般化し、収入は少なく、安定した生活を期待しにくい状況が強まっています。食糧政策にしても、年金をはじめとする社会保障制度にしても、グローバル競争の波のなかに飲み込まれてしまいそうな印象です。あまり利用されそうもない道路や施設を作る、その場しのぎの公共工事に、政官民が群がっている様子は異様な感じです。国家のレベルを頂点とした国全体の在り方についてのヴィジョンが語られないまま、その場凌ぎの対応のみが声だかに議論され、声の大きいものの意見が通っていく状況は、日中・太平洋戦争に向かって突入していったころの日本とあまり変わっていないようにすら感じます。休耕田として荒れ果てる水田跡地、高齢化する過疎地、シャッター通り化する中心市街地などの悲しみにどう立ち向かうか、真剣な議論が求められていると感じました。
薗部さんの論文=漆黒の宇宙のなかに蒼い地球がぽつんと浮かんでいて、その上に自分たち人間が生きているのだ、ということを思うとき、なにか不思議な感慨にとらわれます。先月、4カ月におよぶ国際宇宙ステーションでの滞在から帰還した宇宙飛行士の方が、「この美しい惑星に生まれてよかった」と述べたということですが、確かに、そうなのだと思います。また、最近、「地球ドラマチック オドロキ!植物の智恵 守り・捕食・コミュニケーション」というTV番組を見ましたが、例えば、ビーオーキッドという蘭科の植物は、その花がクマバチのメスにそっくりであり、オスが交尾を試みることによって花粉を媒介してもらうのだそうです。植物に、特定のハチのメスとそっくりの花を作るという能力がどのようにして可能なのか、実に不思議な気がしました。その他、数10億年という年月の中で培われたとはいえ、特定の昆虫と助け合っている植物とか、その生き方の多様性に感嘆せずにはおられません。根っことかオリジナリティーというのは、こうした多様性のなかの自己の存在をより深く自覚することではないかと思います。多様性の深い理解のないままにオリジナリティーや純粋さを主張すると逆効果の感じがします。論語の「学んで思わざれば則ち罔く、思うて学ばざれば則ち殆し」も、これと同じではないかと思います。植物や人間以外の動物の多様性は、DNAによって表現されていると思われますが、人間の場合は、さらに、各自の意識の世界があるというのもすごいと思います。そして、人間の体は、およそ60兆個もの細胞からなり、その細胞のなかにも細胞小器官と呼ばれるミトコンドリアをはじめとする多様な器官からなる宇宙を構成しているようです。果たして人間の意識の世界とは、なにによって成立しているのか分かりませんが、その多様性たるや、また驚くべきものがあると感じてなりません。芸術とは、そういう多様性のすごさを感じさせてくれるものという見方もあるのではないかいう感じがします。
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