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第119号

2013年4月15日

「近代社会における世界の客観ということの吟味」 深瀬 久敬

 

1.近代社会における世界を客観する態度の獲得

 近代社会を根底から特徴付けているものは、世界を客観するという態度を、人類が獲得したことではないかと思う。

 この客観の態度とは、唯一絶対の神が、わたしたち人間を含めて、世界の全てを創ったという理解のもとで、神はこの世界をどのように創ったのか、をさまざまな現象の因果関係を数学的に解きあかすことを通して把握するものと言えるだろう。

 そして、その把握は、その解明の過程において、それまでは権威とされていたものや、因習的に禁忌とされていたものに、一切、拘束されることなく、実験や観察を踏まえて、帰納や演繹の推論を適用し、普遍的な理論体系化を通して行われる。さらに言えば、その理論体系の構築に当たっては、疑いえないとされる前提──幾何学で言えば、公理や定理など──を土台とすることを特徴とする。

 思えば、こうした客観の態度を獲得する以前においては、伝統的な宗教や政治の権威のもとで、確認・検証の術もないままに納得し、受け入れることを強要されたり、理由もはっきりしないまま禁忌とされていたものが、いかにたくさんあったことであろう。

 

2.世界を客観する態度がもたらしたもの

このような世界を客観するという態度は、数学、物理、化学、などの科学分野の知識を爆発的に増大させたし、こうした科学的知識をベースとした紡績や重工業を始めとする産業革命は、消費を美徳とする産業社会の出現をもたらした。そして、人間観にも適用されることによって、基本的人権の確立、選挙制度に基づく民主主義による社会運営をもたらし、憲法の理念に立脚した立法、行政、司法の三権分立の政治制度も普遍的なものとみなされるようになった。言い換えれば、それまでの社会を支配していた宗教的、神聖的といった権威は、隅に追いやられたことになる。

一方、こうした態度の獲得は、人間の欲望の実現可能性の殻を破った。自然界から得られる天然資源や市場の獲得競争は、植民地主義や帝国主義を登場させ、ひいては世界大戦のような大量殺戮をももたらした。また資本主義の広がりは悲惨な境遇の労働者を生み出し、それが、頓挫したとはいえ、科学的歴史観を標榜した社会主義革命をもたらした。つい最近まで、米ソのイデオロギー対立して、この世界を支配していた。

 

3.日本における近代社会化への取り組み

 上述した世界を客観する態度は、いうまでもなく西欧近代において獲得されたものであり、その影響は、地球規模に広まった。西欧から見て極東の位置にあった日本にも、その在り方に強い影響を及ぼした。中国の阿片戦争の悲惨さを見聞したりし、日本はまず西欧の工業・軍事力に驚愕し、儒教や武士道といった精神道徳面は引き継いだ上で、軍事力や生産技術のキャッチアップに奔走した。それと同時に、福沢諭吉らによって、教育や政治社会制度の在り方も、西欧流に学ぶことになった。その後、夏目漱石の個人主義的な人間観の紹介、内村鑑三や新渡戸稲造による道徳観の見直し、生命主義を謳った大正デモクラシーなどを経ながら、西欧に生まれた世界を客観する態度との葛藤に苦心した。その究極のものが、西田幾多郎と京都学派による軍部とも連携した東亜新秩序の構築を目指した近代の超克の取り組みであったのだと思う。西田幾多郎は、禅の鈴木大拙とも連携しながら、思慮分別以前の純粋経験や矛盾的自己同一といった概念を通して、主客二元論を超克しようとした。しかし、結果として、この試みは、軍部の後追い的なものに堕してしまったようである。

戦後は、GHQによる、天皇制の撤廃、教育内容の抜本的見直し、民主主義ルールの適用、政官学による産業経済重視の社会運営、などによって、こうした主客二元論の超克といった基本的問題意識は雲散霧消してしまった。

 

4.今現在の近代社会が直面している課題

上記のような近代社会の理解のもとに、今現在、わたしたちが直面していると思われる課題をいくつか、以下、延べてみたい。

 

(1)人間が作り出した世界を客観することは可能か

 唯一絶対の神が創ったこの世界を客観することは、現象界の群盲象を撫ず的な限界があるとはいえ、そうした知識を統合することによって、深化させることは不可能ではないように思われる。しかし、神でもない多数の人間が好き勝手な行為によって作り出す社会を、わたしたちは客観することはできるのだろうか。自分こそが正しいと思い込み、互いに相入り乱れて自己主張している状況は、安定性や秩序といったものとはほど遠く、うつろいのなかを漂っているにすぎないとも思われる。そのなかになにか変化の法則のようなものを見いだしたとしても、それが恒久的な法則である保証はない。

生命活動が動的平衡を絶えず求めるのと同様に、PDCAの反復を絶えず掛けて、致命的危機を生命体としての直感も磨きながら回避していく、ということであろうか。

 

(2)世界観における進歩主義と保守主義の対峙

 西田幾多郎の哲学の動機は、驚きではなく、悲哀であったと言われる。人間は、その人生を、神の懐に抱かれ、感謝の気持ちを持って、なるべく苦難や悲哀に遭遇することなく、一生を全うしたいと思う人も多いだろう。人生になにを求めるかは、人それぞれに異なる。しかし、わたしたちは、伝統的に、あまりに欲望に執らわれ、我執に固まったような生き方を歓迎はしてこなかった。多少の冒険や挑戦、それらを通しての自己実現は、評価されるにしても、それらが行き過ぎると共同体を乱す行為として批判的に見られた。現代の進歩主義と保守主義の対峙には、こうした価値観の相剋もあるのであろう。仏教における一切衆生悉有仏性という人間観は、神の創った世界を客観するという態度とは、全く異質である。主体と客体のいずれかに加担する唯物論と唯我論の両方を包摂体系化するような世界観が求められているのであろうか。

 

(3)宇宙船地球号の乗員としての客観

 いま、私たちは、地球という宇宙のなかのひとつの惑星の上で生きていることを知っている。漆黒の闇のなかにぽっかり浮かぶルビー色の地球には、神々しいまでの美しさとともに、深い寂寥感も感じさせられる。わたしたちの生きる空間が、ここまで限定されていることを実感したのは、ついこの数十年の間のことである。地球環境問題も身近なものになり、私たち自身の存在やその在り方をいやがうえにも客観せざるをえないようにもなってきている。客観するにしても、神の創った世界をはたから人間中心的な視点から客観するのとは違う、なにか謙虚さというのか、自らの卑小さを根底にせざるをえなくなってきているように思われてならない。

 

(4)情報通信技術による人間の客観

 情報通信技術の高度化には、目をみはるものがある。地球規模の高速ネットワークの構築、検索機能やビッグデータ処理、投稿映像やブログなどによる個人による情報の発信、など、もはや社会インフラとしての役割を果たし、社会運営スタイルの地殻的変動を引き起こしつつある。これは、なにか人間の行為が作り出しているものを客観することに、新たな意味づけを与えることになるのだろうか。チェスや将棋などのゲームの世界では、人間の思考を凌駕するほどになっている。医療分野や軍事行動など、さまざまな分野に、こうした技術が適用されていく傾向がみられる。これは、ある意味で、わたしたち人間が客観されていると言えるようにも感ずる。情報通信技術を、これからの人間社会のなかで、どのように位置づけていくかは、根本から考慮されなくてはいけない課題なのであろう。

 

(5)働き方の変質

 神が創った世界を客観することから得られた知識によって、私たちの生活は激変した。石油資源や電気エネルギーの活用、再生医療技術の活用、生産や輸送の効率化、など枚挙に暇がない。しかし、わたしたちの社会は、組織の論理が台頭し、その競争の激しさとめまぐるしさに翻弄されている。コスト競争では、派遣社員のような非正規労働者が大量に生み出され、新たな資格と知識の習得に休日もなくなり、労働賃金に歯止めをかけるために目標管理や成果主義が導入され、人々の働き方は、ゆとりのないものに激変しつつある。客観の世界観が浸透するなかで、数値的、現象界的世界のなかで、エスカレートする設定目標にひたすら追い立てられる存在に陥ってしまったようである。かつての落ち着いたおおらかな生き方のようなものは姿を消し、なにか働き方そのものが変質しつつあるように感ずる。IT化、グローバル化、少子高齢化、などのなかで、一人ひとりの人間の在り方の見直しが迫られているのかもしれない。

 

(6)中国の歩み

 近代社会化する世界のなかで、最も苦難の道を歩んでいるのが中国ではないかと思う。阿片戦争から日清戦争、三国干渉、孫文による中華民国の建国、軍閥の割拠、傀儡の満州国、共産党による農地解放、国民党と共産党の内戦、日中戦争、国共合作、中華人民共和国、大躍進政策、文化大革命、国際的孤立、天安門事件、改革開放、など、波瀾万丈の印象である。近代化の時代の流れのなかで、共産党一党独裁のもとで、戸籍上の不平等、経済的格差問題、地方政治における腐敗、易姓革命の伝統、夏王朝以来の中華思想、伝統的儒教思想、反日教育、インターネットの普及、など、近代化の流れのなかで、中国社会の今後をよみとることは困難を極めているように感ずる。米ソ冷戦構造の時代とは違う緊張感が漂っている感じがする。世界の状況を、客観的に読み取り、そこからひとつの方向性を提示するような仕組みが、いま、必要になっているのかもしれない。

「負けること勝つこと(75)」 浅田 和幸

「問われている絵画(110)-絵画への接近30-」 薗部 雄作

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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