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第119号

2013年4月15日

【編集あとがき】

 

 浅田さんの論文=円安があれあれという間に進んだのは、日銀の政策転換のせいなのでしょうか。また成長戦略ということについて、なにか確かなものが見いだされたのでしょうか。規制緩和については、既得権者と競争激化のバランスはどのように捉えられているのでしょうか。よく分からないことがたくさんありますが、なにか株価が急上昇して、うれしそうにしている人をたくさんみかけます。

人間の行為が作り出すものを、人間は客観することは可能なのか、という問いを、わたしは今回提起しました。可能なのか、不可能なのか、結論を下すことはむずかしいと感じますが、少なくとも、人間は気分的な高揚感、期待感、集団心理といったものにとりつかれると、ひたすら突っ走ってしまう傾向があることは間違いないように感じます。日中・太平洋戦争にしても、大東亜共栄圏の建設といったアジテーションによって、国民全体が一種の高揚感に包まれてしまったのではないでしょうか。敗戦によって、そうした高揚感から覚めてしまえば、反省とか戦争責任の追求とかいったことは、霧散してしまうのは、仕方のないことなのかもしれません。もともと状況の客観的理解や論理的思索を踏まえて突っ走った訳ではないので、駄目だと分かれば、禊ぎのような儀礼的なけじめで、再スタートをきるということの方がすっきりするような感じもします。それが生命としての在り方の本質なのだろうかなどと考えてしまいます。とはいえ、こういう考えを是認するのもさみしい話であり、さらに検討する必要を感じます。

付け加えると、中国は、言論規制と反日教育といった手段によって、懸命に社会秩序の安定を図っている印象をもちますが、今後、どのような舵を切って、どのような社会の在り方を指向するのか、見守りたい感じです。

 

 薗部さんの論文=「美を『発見する目』」、「日常の常識的な考えや目を捨てる」、「日常生活と芸術は分けざるをえない」、「創造する者になりきるためには死んでいなければならない」、「芸術には破滅への衝動がある」、「通常の日常を、芸術の日常に転化する」、「日常の世界からいったん自分を切り離し、別な世界におく」、「今まで美として認められていなかったものをあえて美であると宣言する」、「この種のものに一種の不思議な美しさを感じる」、「見慣れた雑草などのなかに、芸術家のあるべき姿のようなものを発見する」、などのことばが印象に残りました。わたしは、今回、主観と客観ということを問題にしたつもりですが、人間の観るという行為には、多様な側面があることに思いを新たにしました。さらに、人間の観る眼というものが、いかに不完全なものであるか、ということと、生き物のもつ眼というのは、その程度のものなのは仕方のないことなのではないか、という思いをもちました。最近の宇宙論によれば、宇宙はひとつではなく、わたしたちの認識している宇宙のほかにもたくさんあるといったこともいわれているようです。わたしたち生き物がみている世界というものは、じつに僅かな世界であり、また、限定された能力しかもっていないということを改めて考えさせられました。



「負けること勝つこと(75)」 浅田 和幸

「問われている絵画(110)-絵画への接近30-」 薗部 雄作

「近代社会における世界の客観ということの吟味」 深瀬 久敬

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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