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第120号

2013年7月25日

「負けること勝つこと(76)」 浅田 和幸

 

 マルクスとエンゲルスの共著「共産党宣言」の冒頭部分は、有名な文章で始まっています。それは、「一つの怪物がヨーロッパを徘徊している――共産主義の怪物が。」というものです。

 この文章を借りて、いまの日本を評すると、次のような文章が思い浮かぶのです。「一つの怪物が日本を徘徊している――アベノミクスという怪物が。」

 前号でも取り上げましたように、昨年の十二月の衆議院議員総選挙で自民党が圧勝し、総理大臣となった安倍首相の名前を取った「アベノミクス」。この言葉が生み出したものは、選挙後から始まった日本株の上昇という現象でした。

 二千八年、アメリカの銀行リーマンブラザースが破綻したことで起きた、世界的景気の悪化、「リーマンショック」とその回復の途中に起きた東北大震災により、日本の株価はこの五年余りに渡って低迷してきました。

 勿論、これは日本だけの問題ではなく、リーマンショック後の後遺症によりEUに参加しているいくつかの国の財政危機に伴うユーロ安、更には、世界経済を牽引してきた中国経済の翳りといったさまざまな要因が、複雑に絡み合い、日本経済にも大きな影響を及ぼしていたのでした。

 ところが、「アベノミクス」という言葉が発せられた途端に、現実の経済環境とは無関係に、日本の株価は上昇を始めました。当初は、一年後に日経平均が一万円ぐらいになるのでは、といったささやかな展望でしたが、いつのまにか一万円を超え、止まることを知らぬ勢いで、右肩上がりに上昇を始めたのです。

 それまで低迷していた東京証券取引所は、連日の高値更新という現象に、なにか浮かされたような熱気を帯び始めました。そうなると、マスコミも騒ぎ始めました。「本日も高値更新」といった華々しい見出しが、新聞紙上を飾るに連れ、株式とは縁のなかった人たちも、その騒ぎに興味を持ち始めたのでした。

 「風が吹けば桶屋が儲かる」といったように、日本株の株価が上昇すると、それまで低迷していた経済環境が急速に改善し、日本経済の復活などといった言葉が飛び交うようになりました。

 勿論、実体経済が改善に向かいつつあるということは否定できませんが、しかし、それが目に見える程の改善を示していない前に、これほど急激な景況感の改善は、矢張り「アベノミクス」という呪文のような言葉のお陰だったのではないでしょうか。

 マスコミでは、株価の上昇で儲けた投資家が、高級品を購入することで、デパートの高級品の売れ行きが前年より伸びているといった報道がされる中、なにか日本全体が景気良さを感ずるようになりました。

 元々、景気と言う言葉のように、「気持ち」の部分が大きい景況感ですが、ここまで短期間にドラステックに改善されたという事例は、わたしも経験のないことでした。

 そういう感慨を置き去りにするように、株価の上昇スピードは更に速くなっていきました。そうなると、週刊誌の記事のタイトルには、年末には日経平均二万円などといった景気の良い数字が並び、なにか熱に浮かされたような雰囲気が徐々に醸成されて行きました。

 株価の上昇は、「アベノミクス」の正当性を保証するものとして喧伝され、それはそのまま安倍政権の支持率に繋がりました。安倍首相の経済政策の成功といった評価により、国民は将来に明るい展望を見いだそうとしたのでした。

 さて、株価の上昇は、当初の予想を遙かに超える程のスピードで進みました。かつてのバブル時代においても、これほど急激な上昇のスピードはなかったと言われる程に、右肩上がりの上昇が続いたのでした。

 そうなると、以前、株に手を出し、損失を蒙り、その痛手により株式から遠ざかっていた投資家や新たな儲けを求めての新規の投資家の市場への参入が始まりました。

 バブル時代もそうでしたが、少しでも早めに、どんな株式を買い求めても、一週間後、二週間後には値上がりをして儲けが出るといった市場環境が形成されていったのでした。

 こうなると、投資家は、雪崩を打って、投資資金を市場に注ぎ込み始めます。そして、上昇した株を売り、まだ、安いと思われる株に投資するといった連鎖反応が無限に続くことになります。

 特に、新規の投資家にとっては、これは夢のような日々だったことでしょう。買った株が理由もなく上がり、儲けが出てくるということで、更なる投資へと前のめりになるなと忠告されても、聞く耳を持たないのも無理はないかと思う有様でした。

 その間にも株価の上昇は続き、半年余りの間に八十%余りの上昇という未曾有の上昇率となり、その急激な上昇に、今度は市場内で、いつこの上昇が止まり、下げに入るのかという疑心暗鬼が醸成されていきました。

 ただ、新規に参入した投資家を始め、株価上昇で利益を出し、その利益でさらに多くの利益を得ようと前のめりになった投資家にとっては、このまま上昇基調が続くものといった楽観的な観測があったように思います。

 そして、相場の転換点となった五月二十三日に至ったのでした。この一日千円を超える株価の下げの一週間前あたりから、株式の出来高が急増する割には、以前ほどには株価が上昇せず、上昇スピードが落ちていることに気づいた市場関係者も多かったと聞きます。

 それまでの市場は、単純に出来高=株価上昇だったものが、出来高が増加しても株価の上昇が付いてこないということは、信用取引での売り方が増えていることを示していました。

 つまり、今後の相場については、上昇ではなく、下落すると考える投資家が増えつつあったということです。しかし、主に現物取引を行っている一般投資家は、まだまだ今後も上昇するといった予測を立てており、この相場の変化に気づくのが遅れたように思います。

 さて、五月二十三日の急速の下げにより、パニック状態になった投資家は、今度は投げ売りへと雪崩を打ったように進みました。特に、新しく参入した投資家にとっては、株式は買えば上がるものといった先入観があり、この下げ相場は晴天の霹靂と言った事態だったようです。

 その結果、パニックがパニックを呼ぶということで、一週間余りで二千円近く日経平均が下がり、さらには、一日の内で五百円、八百円と言った値が動くという異常事態となりました。

 こうなると一種のギャンブルのようなもので、高値を掴めば地獄、安値を掴めば極楽といったように、一日の内に数十万円、数百万円の損失や利益が出てくるといった不健全な相場環境となり、新規に参入した投資家は、この事態への対処は制御不能となり、随分損失を膨らませた方も多かったのではないでしょうか。いずれにしても、ここで株価上昇は一区切りをつけ、現在に至っています。

 この乱高下する株価により、それまで「アベノミクス」については、双手を上げて大絶賛していたマスコミの論調に変化が生じました。つい、二ヶ月ほど前には、年内、日経平均二万円などと、投資家を煽っていた週刊誌も、「アベノミクス」批判へと舵を切る論調が目立つようになりました。

 そこで、もう一度「 アベノミクス」とは、一体全体どういう類いのものであったのかを、冷静に検証してみたいと思うのです。まず、単純に下記のように整理してみました。

 

(1) インフレ目標+金融緩和で期待実質金利を下げる。

(2) 為替市場・資産市場に働きかけて、円安と資産価格高を実現する。

(3) 上記を通じて投資と消費を喚起して経済を活性化する。

(4) 最終的には物価が上昇し、マイルドなインフレ期待が定着する、

 

 このような波及効果が期待される政策であると言っても良いのではないでしょうか。

 

 この中で、(1)と(2)は実現しました。そのことが原因で、株価が上昇したと解釈しても良いと思います。それは、今回の「アベノミクス」だけでなく、株価と円の価格は連動して動いているということは、市場での常識となっていました。

 だから、今回も円がドルに対して下落すると株価は上がり、反対に上昇すると株価が下がるという現象が起きています。五月二十三日以降、それまで対ドルで百円近くをキープしていた円が、急速に値上がりし、九十三円台まで上昇するに連れ株価は下落しました。

 いま、これを書いている段階で、一時九十三円台に上昇していた円が、再び、百円まで下落したことで、日経平均株価は一万四千円台へと戻っています。五月二十三日以降、一番下落したときから二千円近く値を戻したということです。

 ただ、円安導入に関してはある程度成功はしましたが、国債の金利の引き下げという点では目論見は外れたようです。未曾有の金融緩和により、実質金利は低下するはずでしたが、実際は、逆に上昇し、それが株価の上昇を阻害する要因となったのでした。

 さて、上記の(3)と(4)ですが、実は、ここからが「アベノミクス」の成果の肝となる箇所ですが、残念ながら、まだ成果は現れてきてはいません。

 現在、日本社会に起こっているのは、賃金の上昇の前に、円安により輸入品の価格が高くなりつつあるということです。特に、食料品に関しては、価格上昇はあらゆる分野に渡り、これまでデフレ下で、安い価格に慣れてきた国民の懐を直撃しています。

 実は、「アベノミクス」は、この(3)と(4)が実現をした段階で成功という評価を下されるはずですが、そうではなく、その前段の部分で過剰に期待され評価されたように思われます。

 そのため、ここへ来て、特に経済の専門家からは、この「アベノミクス」が失敗に終わるといった評価が主流となりつつありますが、肝心の国民の間では、反対に「アベノミクス」への期待は大きく、その結果、安倍首相及び自民党の支持率は高いまま推移しているというねじれ現象が生じています。

 さて、この「アベノミクス」という呪文のような言葉により、現実と乖離しているにも関わらず、なにか特別な状況が生まれ、それに期待が膨らみ、冷静な判断を行わずに、ある種の「空気」だけが醸成されるといったことは、これまでにも日本の社会では頻繁に起こっています。

 直近の出来事では、橋下大阪市長が率いる「日本維新の会」がそのような「空気」により、急速に勢力を拡大し、国民の期待を担うといったことがありました。

 「維新」というキーワードと橋下大阪市長のキャラクターを前面に出したプロパガンダにより、民主党政権下の閉塞した状況を一気に解決できるかも知れないと言う期待により、昨年末の衆議院議員選挙では、国政に関してはほとんどの実績もない政党へ、多くの人たちが投票をしました。

 これはまさに「空気」と呼んで相応しい現象でした。現状の閉塞感を解決するためには、既成の政治家では無理である、という前提に立ち、そうでない手垢が付いていない新しい人たちのみが、現状打破できるという一種の神話に基づいて、多くの国民は、自らの期待を投票行動に結びつけたのでした。

 ただ、この「空気」の醸成は、プラスに働くばかりではないところに問題もあります。つまり「空気」にそぐわないと見なされたものは、徹底的に攻撃され、排除されるといったマイナスの働きも度々起こっています。

 例えば、イラク戦争が起きた当時、紛争地域に出かけ、武装勢力に捕まり、人質となった日本人に対して「自己責任」ということで、厳しい非難や攻撃がなされたことがありました。

 先日、この時に、テレビのキャスターとして、彼らを批判していた辛坊氏が、ヨットによる太平洋横断中に事故に遭遇し、海上自衛隊の救難飛行機で救助されるという事件が報道されました。

 その際、辛坊氏は、「かつて自分が『自己責任』として非難した人たちに対して、よくもああいう言葉を言えたものだと反省している。当事者になってみてその言葉の重さが初めて理解できた」とニュースで語っていました。

 つまり、こういったマイナスの「空気」が生まれ、それが主流となると、その「空気」にそぐわないものは、排除されるか攻撃されることで、少数派は口を噤むがざるを得ない状況が出て来るのです。

 そういう意味で、この「アベノミクス」は、このままプラスの「空気」を維持できるのか、それともマイナスの「空気」へと変化していくのか興味があるところです。

 実は、この「アベノミクス」の陰に隠れてしまい、安倍首相が前のめりに進めようとしている「憲法九十六条の改正」についても、上記のような「空気」の下で決められるのではないかといった危惧をわたしは拭えないのです。

 この条文ですが、現行では「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」となっています。

 それを、改正により「各議員の総議員の二分の一以上の賛成で国会が発議して」国民に提案できるようにしたいというのが、安倍首相の主張です。

 しかし、世界の国々の憲法条文を見ても、憲法改正に必要な議員数は、三分の二が主流であり、実際に、憲法の条文を改正した国も、このルールに則って改正を行っていることが明らかになっています。

 ところが、日本ではいつの間にか、憲法改正条文を変更しないことには、憲法改正が出来ないといった倒錯した議論が先行し、まず、改正の手続きから始め、その後に、個々の条文を変えるといった不可思議な状況になっています。

 ただ、これも先ほどから書いて来ましたように、日本社会の「空気」といったものが大きな影響を与えています。こういう憲法改正の議論が大きく取り上げられるようになったのは、中国、韓国といった近隣諸国との間の領土を巡る問題からだと思われます。

 それまで、領土問題と言えば、ロシアとの北方四島の返還だったものが、韓国とは日本海の「竹島」を巡り、中国とは東シナ海の「尖閣諸島」を巡って、領土問題が大きくクローズアップされました。そして、その圧力に対抗する手段として、軍事力による解決法を目指す一部の集団の好戦的な意見が国民に注目されています。

 戦後、「戦争放棄」を建前に、自衛力のみを保証する自衛隊は軍隊ではないというレトリックを振りかざして、日米安全保障条約による米軍による日本の防衛を国是として来た日本人にとって、この領土を巡る紛争は、ナショナリズムを刺激し、近隣諸国に対する対抗意識を急激に醸成したようです。

 そして、それが好戦的な「空気」を日本社会に醸成することにもなりました。最近、マスコミでも取り上げられている、在日韓国人の人たちに対する「ヘイトスピーチ(差別及び憎悪発言)」などを見ると、関東大震災の際に起きた、流言飛語を想起させる内容です。

 その流言飛語で最初に囁かれた噂は、「地震の混乱に乗じて朝鮮人が放火を行っている」という様なものでした。そのうち、噂は夜を越え、朝鮮人による強盗、強姦、殺人、井戸水への毒の投げ込みという形へ発展していきました。その結果、多くの在日朝鮮人だけでなく、中国人、更には日本人も警察を始め、「自警団」などにより虐殺される悲劇が起きました。

 この背景には、当時の日本人の心の中に、朝鮮を植民地化し、政治的に支配したことについて、韓国人は日本人に対して恨みや憎しみを抱いているに違いないといった懼れに似た感情が醸成されていたからだったようです。

 だから、大震災により、日常的な秩序が崩壊し、混乱した際に、在日の韓国人たちが、それに乗じて日頃の恨みや憎しみを晴らそうとするに違いないといった恐怖が、この過激な行動のきっかけになったようです。

 現在、東京の新大久保で行われている「嫌韓デモ」も、韓国が領土問題や歴史認識を巡って、日本に対しての厳しい対応に正比例するように、過激度を増大させているのも、日本企業に比較して、低レベルと思っていた韓国企業が躍進を遂げ、一部の業種では、日本の権益を侵されるといった恐怖を覚えていることが原因のように思われます。

 「金持ち喧嘩せず」といった言葉のように、日本が経済的に余裕のあった時は、韓国の挑発的な言動に対しても、冷静に余裕を持って向き合うことが出来ましたが、大企業が赤字になり、その解決のためにリストラに励むことで所得の中間層が細り、非正規労働者の増加により、貧困率が上昇している現在の日本社会では、そういった余裕も冷静さも失われて来たということのようです。

 その結果、一度マイナスの「空気」が醸成され、それが社会に拡散していくと、過剰な攻撃性となって現れてくることは、これまでの洋の東西を問わず歴史が証明しています。

 だから、わたしは正直に怖いなと思うのです。まず、「アベノミクス」の第一段階で、株に投資し利益を得た一部の投資家とそれ以外の国民が生まれました。多分、これからは、円安による輸入品が上昇することでインフレが進みますが、それが所得に反映されない場合、国民間の経済的な格差は益々開いていくことになります。

 特に、若い世代の所得格差は、両親の所得格差に正比例するような形で固定化し、その後も持続していくことを、押しとどめることは難しい段階にまで至っています。

 こういう閉塞感が漂う中、韓国や中国が、日本社会に対して圧力を強めて行くことで、日本人のナショナリズムは刺激され、過激になっていくことを恐れています。

 そして、憲法九十六条の改正により、現在よりも容易く憲法の条文改正が可能になった暁には、戦後の日本が国是としてきた「専守防衛」を放棄し、いつでも戦争を行える国へと変貌を遂げることをなによりもわたしは恐れています。

 何故、わたしがそれ程恐れるのかと言えば、そのことが、わたしの父親世代とわたしの世代の生き死にに関して、決定的な違いをもたらしているからです。

 わたしの父親世代(大正四年生)は、多くの方々が戦地に赴き、そこで戦死・病死・怪我に見まわれています。しかし、わたしやわたしの同級生たちの世代(昭和二十六年生)は、六十を超える齢に達しても、大部分が健康で暮らしています。

 それは、太平洋戦争に敗戦した後、日本国憲法の第九条「戦争放棄」により、その後の国際紛争に一度も日本が介入することなく、「戦死」という死亡項目が、日本社会から無くなったことが大きな要因だったと思っています。

 多分、わたしと同世代のアメリカ人や韓国人を含め、世界各地で戦われた戦争により、多くの同世代の人たちが戦死・病死・怪我により、自らの人生をねじ曲げられたことでしょう。

 それが、幸せなことに、日本に生まれたと言うことで、わたしたちはそういう苦しみに出くわすことなく生きてこられたのでした。だから、わたしは、これ程に恵まれた環境を捨て去り、再び、「戦死」といった死亡項目が日本の社会に復活することを、わたしの子どもや孫の世代がその悲しみを噛みしめることを、心の底から恐れているのです。(了)



「問われている絵画(111)-絵画への接近31-」 薗部 雄作

「伝統的自然発生的権威と存在感を増す科学の権威の両立」 深瀬 久敬

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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