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第120号

2013年7月25日

「伝統的自然発生的権威と存在感を増す科学の権威の両立」 深瀬 久敬

 

1.人類の伝統としてきた権威

 人類は、約700万年前にアフリカに誕生し、250万年前ころから石器を使いだし、その結果、脳が急速に増大した。そして、約6万年前に、アフリカから旅立ちはじめ、ベーリング海峡を渡ったりして、地球上の各大陸に、かなり短期間のうちにひろがったらしい。

 こうした人類の長い歴史を振りかえるとき、人類は、洪水、日照り、猛獣の襲来、病気などの自然の災害の脅威に怯え、一方、豊かな食物が森や川から与えられることに深い感謝の念を抱いてきた。畏怖と感謝の念は、本能的に目にはみえない偉大な権威の存在を確信させ、それが宗教的権威となり、それを基盤として、寺院、儀式、芸術、身分・社会制度などの文化が創り出されていったのではないだろうか。こうした自然発生的な権威を立て、それに深く祈ることを通して、人類は全体としての生存の存続を、より確実なものにできると考えてきたのだと思う。

 このような自然発生的な宗教的な権威を立てる社会運営というものは、地球上では長い間、普遍的なものであった。例えば、日本についていえば、昭和20年の日中・太平洋戦争が終わるまで厳然と存在していた。すなわち、昭和天皇は現人神であり、その御真影に、毎朝、全国民が深々と集団礼拝を繰り返していた。補足の意味で記すと、個人的体験であるが、最近、わたしは、柔道界の拠点である講道館で、「嘉納治五郎先生のお写真に向かって礼」というのをそこにいた全員と行い、それがどういうものかなにか実感として分かったような気がした。個人の写真に向かって礼をするのも、そして、これほど明確かつ具体的に権威が示されるのも、はじめての経験であり、複雑な驚きを覚えた。

 

2.近世ヨーロッパに誕生した科学という新たな権威

このような人類史的にみれば、圧倒的存在感を示した自然発生的な宗教的権威も、ヨーロッパという地球上の一部の地域が近世という時期にさしかかって、亀裂が生ずることになった。この亀裂は、権威の形式性を排除したり、客観的・論理的な側面のみに注目する態度をもたらした。これが科学の基本的態度の獲得をもたらし、さらに個の発見という画期的な変化を人類にもらすことになった。科学においては、まず、ガリレオやニュートンらによって力学体系が構築され、それはアインシュタインによる相対性理論や量子力学の誕生へとつながった。人間中心主義を謳歌するルネサンスを経て、個の発見は、自然発生的権威のもとでは無視されてきた個人の尊厳への気づきをもたらした。デカルトは「われ思うにわれあり」と言い、フランス革命は、個人の人権や自由を高らかにうたい、多数決原理に基づく民主主義を是とし、自然発生的権威に安閑としていた人びとを断頭台に送った。

 この近世ヨーロッパで起きた自然発生的権威への乾坤一擲的な挑戦は、キリスト教権威をはじめとする既存の権威とのさまざまな軋轢を繰り広げながらも、着実に、その存在を高めて行った。科学革命、産業革命、大航海時代、植民地主義、帝国主義、資本主義の矛盾を衝いた社会主義などは、こうした既存の権威のもとのままでは、おこりえなかったことであろう。統治と宗教の両方の権威を合わせ持っていた中国清朝の皇帝が、英国や日本などによって、やがて追い落とされたのも、こうした時代の流れの結果と言えるように思われる。

 

3.今日の社会における科学の権威の状況

 こうした科学の威力や効果の存在感は、第二次世界大戦終結後、飛躍的に増大することになる。原子爆弾や原子力発電の技術開発が国家プロジェクトとして推進されたり、ストアード・プログラム方式のコンピュータが開発され、トランジスタやIC回路が生み出され、その後の情報革命の基盤が作られた。病気の原因は、次から次に解明され、その治療方法も開発された。かくして、科学技術は国家の威信や産業競争力を支える基盤と位置づけられるまでになった。

 今日においては、生命科学、情報通信科学、エネルギー科学、宇宙・素粒子科学などの分野の進展はめざましい。iPS細胞は再生医療を可能とし、人工光合成技術も視野に入りはじめ、がん治療も細胞生物学レベルで進められ、病気への畏怖の念は、かつてとは比較にならないほど軽減されている。情報通信技術は、ディジタル技術と半導体微細加工技術の進展などによって、パソコンやインターネットの性能を、数桁のオーダーで改善進化させつつある。宇宙論や素粒子論の進展もめざましく、ヒッグス粒子の確認やダークエネルギーの存在など、新たな宇宙論の構築に向けたスタートも切られている。

 こうした人類の新たな知識と利便性の獲得は、人類の長い歴史のなかに息づいてきた自然への脅威や感謝の念を希薄化させ、宗教的な権威など、既存の権威の急速な後退をもたらしている。

 

4.科学の権威の影の側面の深刻化

 科学技術の光の側面は、上述したようなものであるが、影の側面もある。天然資源の大量消費に伴う資源の枯渇、環境破壊、地球温暖化、生物多様性の急速な低下の懸念などである。また、個人の尊重にも、光と影の側面がある。基本的人権、生存権、個人のさまざまな自由の保証などが当然視される一方、自己責任、自己努力、成果主義、非正規社員、所得格差、共働きの一般化、少子高齢化、国家財政の破綻的状況など、人類がかつて遭遇したことのない新たな課題に直面しつつある。

 戦後の日本の社会は、天皇という権威を新憲法のもとでなくしたが、廃墟からの立ち直りに向けた努力は、みんなで一体となったがんばろう精神を発揮させ、所得倍増論、列島改造論、一億総中流意識の形成などを経て、特定の権威なしでも、それなりに推移することができた。しかし、バブル崩壊や米ソ冷戦構造の崩壊などに伴い、上記の二つの影の部分を強く表出するに至っている。

 また、これを地球規模でみるならば、イスラム教の地域は、伝統的権威の位置づけを巡って揺れているし、新興国の産業経済は産業先進国側の投資マネーの思惑に翻弄されている印象である。また、一党独裁で、身分制度を残しているとも言える中国の産業経済や軍事的な面での台頭は、近代社会に根底的な違和感を突きつけつつあるように思われる。

 

5.時代の価値観を反映する憲法について

 こうした状況を踏まえて、わたしがまず思うことは、伝統的な宗教的な価値観と科学がもたらしている新たな価値観の両立を、どのように図るかという問題である。近代国家の憲法は、一般的に、個人の人権とか、個人の自由とか、主権在民といったことをまず謳っている。しかし、これは、西欧近代が生まれ、個人の発見ということに有頂天になっているときに考えだされたままのものである。先にのべたように、近年の科学は、この宇宙がなぜ、どのように生まれ、そして、私たち生命がなぜ存在しているのか、という問いに向き合ってはいるが、その謎は深まる一方である。科学によっていつか解明されるのか否かは、誰にも分からない。

 こうした状況のなかにあって、わたしは、国家の憲法とか、国際機関である国連の憲章などにおいて、「この宇宙がどのようにして生まれ、私たち人間を含む生命がなぜ、この地球上に存在しているのか、わたしたちは、なにも分かってはいない。わたしたちは、そういうものに対して、ただ、畏敬の念をもって接するしかない。」といったことをまず明言するのが適当ではないかと思う。そのうえで、科学の今後の開発はどのようにあるべきか、個人の尊厳とは、どのようにあるべきか、などについて、人類の叡智を最大限に活用していかなくてはならないことを認め合うべきではないだろうか。少なくとも、このような認識を共通のものとしない限り、国際紛争は解決困難であろうし、わたしたちがこの地球上で安心して存続していくことはむずかしいのではないか、と思われてならない。

 

6.参考 いろいろな憲法の前文

最後に、参考として、「日本国憲法 前文」、「国際連合憲章 前文」、「大日本帝国憲法 告文」を転載する。前二つは、かなり楽観的な視点にたっていると思うし、最後のは、非常に神がかり的なのに驚く。

 

・日本国憲法 前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

・国際連合憲章 前文

 われら連合国の人民は、

われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、

基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、

正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、

一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること

並びに、このために、

寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、

国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、

共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、

すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して

、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した。

 

・大日本帝国憲法 告文

 皇朕(わ)レ謹ミ畏ミ

 皇祖(こうそ)

皇宗ノ神霊ニ誥(つ)ケ白(まう)サク皇朕レ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ宏謨(こうぼ)ニ循(したが)ヒ惟神(ただかみ)ノ宝祚(ほうそ)ヲ承継シ旧図(きゅうと)ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局(せいきょく)ノ進運(しんうん)ニ膺(あた)リ人文ノ発達ニ随ヒ宜(よろし)ク

 皇祖

皇宗ノ遺訓ヲ明徴(めいちょう)ニシ典憲(てんけん)ヲ成立シ条章ヲ昭示シ内ハ以テ子孫ノ率由(そつゆう)スル所ト為シ外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ永遠ニ遵行(じゅんこう)セシメ益々国家ノ丕基(ひき)ヲ鞏固(きょうこ)ニシ八洲民生(やしまみんせい)ノ慶福(けいふく)ヲ増進スヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟(おも)フニ此レ皆

 皇祖

皇宗ノ後裔ニ貽(のこ)シタマヘル統治ノ洪範(こうはん)ヲ紹述(しょうじゅつ)スルニ外ナラス而シテ朕カ躬(み)ニ逮(および)テ時ト倶ニ挙行スルコトヲ得ルハ洵(まこと)ニ

 皇祖

 皇宗及我カ

 皇考ノ威霊ニ倚藉(いしゃ)スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰(おおぎて)テ

 皇祖

 皇宗及

皇考ノ神祐(しんゆう)ヲ祷(いの)リ併セテ朕カ現在及将来ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆(あやま)ラサラムコトヲ誓フ庶幾(ねがわ)クハ

 神霊此レヲ鑒(かんがみ)ミタマヘ

 (以上)

「負けること勝つこと(76)」 浅田 和幸

「問われている絵画(111)-絵画への接近31-」 薗部 雄作

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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