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第121号

2013年11月12日

「負けること勝つこと(77)」 浅田 和幸

 

 日本と韓国・中国の関係が国交樹立後において最悪な状態になっています。

 韓国との捻れは、昨年に李元大統領が、突然、竹島に上陸し、韓国の領有権を改めて主張したことから始まりました。

 さらに、今年に入って、新たに大統領に就任した朴氏が就任演説で、日本の安倍総理大臣の歴史認識を批判する、アメリカに行った際は、慰安婦問題で日本の姿勢を批判すると矢継ぎ早の強硬な姿勢により、首脳会談も出来ないまま現在に至っています。

 中国との捻れは、民主党政権が、尖閣列島を国有化したことに端を発し、中国国内での大規模な反日デモ、一部デモ参加者の過激な暴力行動から始まりました。

 そして、現在も、中国の艦船が尖閣諸島付近を航行し、時には、領海侵犯を繰り返すといった示威的行動を行っています。それに抗議をする日本政府に対して、中国政府は、「尖閣諸島は中国領」と声高に主張し、韓国と同様に、新しい国家主席が決まったにも関わらず、首脳会談も行えない状況になっています。

 過去において、日本と韓国・中国との関わりは大きなものでした。古代史を繙けば、朝鮮半島を通過して、中国の文明が、日本列島に流れ込み、古代社会が形成されたことが明らかになっています。

 勿論、その後も、日本社会に及ぼした影響力の大小はありましたが、現代に至るまで連綿として、この三国の関係は続いています。そういう意味で、日本・韓国・中国は、東アジアにおいて、地政学的にも、文化的にも運命共同体的な関係性を結んできたと言っても差し支えないと思っています。

 ただ、十九世紀に入り、ヨーロッパの帝国主義国家が、この東アジアに軍事的に侵出を始めた辺りから、三国の関係は、それ以前とは異なった捻れが生じてきたように思います。

 いち早く近代化を選択し、西洋文明を吸収することで、ヨーロッパの帝国主義国家の植民地を逃れることが出来た日本。同じような環境にありながら、それを拒否し、古い文明に固執した韓国と中国。

 そして、その選択の違いが、その後の三国の歴史を大きく変えることになりました。いち早く近代化に着手した日本は、ヨーロッパの帝国主義国家を模倣した小型帝国主義国家として、韓国・中国に武力行使を始めたのでした。

 その結果、日清戦争、日露戦争の両戦争を通して、日本は朝鮮半島を植民地として治めると共に、第一次世界大戦により、ヨーロッパの帝国主義国家の東アジアへの力が弱まることに乗じて、中国大陸への武力侵出を図ることになったのでした。

 歴史上において、日本の朝鮮半島への侵略は、日本の戦国時代に豊臣秀吉が行った「文禄・慶長の役」が有名です。逆に、日本が攻められたのは、中国を支配した元王朝が日本を侵略するために軍隊を派遣した「元寇文永・弘安の役」が有名です。

 しかし、中国の歴史書に「倭」として日本が掲載されて二千年余り、争いごとよりも、平和に交易を行ってきた時代の方が、圧倒的に多かったことも事実なのです。

 そういう視点に立ってみると、日清戦争から太平洋戦争に至る五十年余りの歴史は、三国にとっては、とても不幸な出来事であると同時に、長い三国間の付き合いの中においては、短い仲違いの時間であったと考えることも出来ると思うのです。

 但し、当事者にとってみれば、いま、わたしが書いたような客観的な言い方を、不愉快に思われることも理解できます。実際に、植民地として統治され、差別的な扱いを受けたことを忘れることが出来ないことも十分に理解できます。

 ただ、これからの三国にとって、平和な時間、争いの時間のどちらの時間を重く見るかは、重要なことに思えるのです。いつまでも、いがみ合い、互いを罵り合うことから、なにか生まれてくるとは思えないのです。

 日本の朝鮮半島の占領と中国への侵略は、日本軍の敗戦により実現しました。その後、韓国にとっても中国にとっても、日本は忌むべき国、許されざる国として、強烈な反感をむき出しに向き合う隣人となりました。

 例えば、韓国について、わたしが小学生だった頃、新聞の一面には「李承晩ラインで日本漁船拿捕」という記事がたびたび掲載されていました。その記事を読んだ母親は、「日本が戦争に負けたからこんなことになった」といったような意味の言葉を呟いていました。

 多分、植民地として抑圧されていた朝鮮の人々の怒りが、戦後の日本との関係を、このように厳しいものにしていたのでしょう。しかし、その後、高度経済成長を目指し、日本からの援助を必要とした朴大統領の時代に、国交回復を果たし、戦前の植民地化により生じた補償なども含め、日韓基本条約が締結されたのでした。

 ただ、韓国では軍事政権が続き、大統領候補だった金大中氏を、韓国CIAの秘密工作員が日本から非合法に拉致するといった事件など、日韓関係は、経済中心の関わりが中心で、政治・文化面では、厳しい対立が続いていたのでした。

 その流れが大きく変わったのは、アメリカとソ連が対立した冷戦構造が大きく揺らぎ、ソ連が崩壊する四年前に、軍事政権から民主的な選挙による大統領が選ばれるような民主化が合意された時からでした。

 そして、サッカーのワールドカップを日韓で共催することで、それまで韓国国内では禁じられていた日本文化の摂取も可能となり、日本でも韓国のドラマがブームになるなど、それまでの冷たい関係が大きく改善されたのでした。

 これは、中国についても同様でした。日本の敗戦後、毛沢東率いる中国共産党が中国全土を支配し、その後の朝鮮戦争も含め、激しくアメリカ及び日本と対立することになりました。

 しかし、それもアメリカのニクソン大統領の電撃的な訪中、それに続くアメリカと中国との国交正常化をきっかけに、日本と中国との間にも国交正常化がなされました。

 そして、毛沢東亡き後に国家主席になったト小平が打ち出した大胆な経済政策により、日本と中国の貿易は大幅に拡大し、世界経済を揺るがせたリーマン・ショック後は、ついにアメリカとの貿易額を凌駕し、日本の最大貿易相手国にまでなったのです。

 ことここに至っては、日本の経済発展にとっても、中国の経済発展にとっても、無くてはならぬ国としての関係性が構築されているのですが、政治に関しては、残念なことに対立したまま歩み寄りを見せることはないのが現状です。

 つまり、これまでは、韓国も中国も、日本との間の過去の不幸な歴史を前提にしながらも、経済発展という大義で、良好な関係性を構築してきたということです。

 ところが、それが大きく変化しました。その原因の一つは、韓国も中国も、経済成長を徐々に果たし、国民の間に、日本に近づいてきたという自信が生まれたことではないかと思います。

 もう一つの原因としては、国内の政治的な問題や対立を和らげる手段として、「愛国教育」という言葉のように、ナショナリズムを高揚する教育が推し進められたこともあげられると思います。

 この国民の間に、ナショナリズムを高揚させる手段としての「愛国教育」ですが、これは自国を愛する余りに、他国を厳しく糾弾し、非難するという「排他的教育」にも成り得るものです。

 実際に、戦前の日本では、天皇を中心とした「神国日本」といった過激なナショナリズムは、日本人を神に選ばれた選民思想と結びつけ、無謀なアメリカとの戦争を後押しするといった役割を果たした歴史もありました。

 その反省に立って、戦後の日本は、過激な「愛国教育」を行わないように配慮がなされてきましたが、残念なことに、中国も韓国も、戦前の日本のような「愛国教育」=「排他的教育」を推進することで、国民の一体感の醸成を図ってきました。

 勿論、自分の生まれた国を、育った郷土を、愛すると言うことは、人間のベーシックな感情として、誰にでもある普遍的な感情ではないかと思っています。

 だから、自国を愛するために歴史や文化を知るという教育それ自身を否定するつもりはありません。問題は、自国を愛することで、それ以外の国や民族を認めないという排他的な心のありようについてです。

 残念なことに、この排他性というものは、「愛国教育」の持つ裏面として、どの国にも存在しているものなのです。明治維新後の日本は西洋文明を、太平洋戦争後の日本はアメリカ文化を、模範とすべき高級なもの、特別なものとして仰ぎ見ました。

 その一方で、明治維新では江戸時代の日本文化を、太平洋戦争後では戦前の軍国的文化を、徹底的に否定し、批判することで精神的なバランスを取るという歴史がありました。

 これは、国内に関してのものでしたが、例えば、明治維新後においては、国際的評価として、日本人が、近代化に遅れた中国や韓国の人々への侮蔑的な態度を取るという形で現れました。

 つまり、これと同様なことが、中国、韓国の「愛国教育」の際にも生じたのでした。この中では、現在の中国、韓国が抱えている問題の根本原因が、戦前の日本が軍事侵略を行い、多くの同胞を殺害し、領土を占領し、植民地化した(中国の場合は満州国建国)ことにあると断じたのでした。

 そして、日本を徹底的に貶めることで、自国の素晴らしさを強調し、実際は、さまざまな矛盾や対立を内包している国内問題から、国民の目を逸らそうとする手段に教育を利用したのでした。

 勿論、このことをわたしたち日本人が嗤うことなどできません。かつて、日本も同じような排他的・排外的な教育を国民に植え付けたことで、無謀な戦争へと大きく舵を切った歴史があったわけですから。

 ただ、日本の場合は、太平洋戦争において、アメリカの軍事力により徹底的に叩きつぶされ、一片の幻想さえ許されないと言う現実を目の当たりにし、さらに、占領軍として駐留したアメリカの施策の下に、「排他的愛国教育」からの転進を図り、「排他的愛国主義」の増殖を、戦後の社会では阻むことが出来ました。

 しかし、中国も韓国も、そういう外部的な挫折もないままに、逆に、経済発展による国民生活の改善、経済大国への躍進が、追い風となり、「排他的愛国教育」の後押しとなり、その結果、若い世代を中心に、「排他的愛国主義」が拡大しているのです。

 さて、ここに来て、戦後の日本社会において、慎重に拡大を抑制してきた「排他的愛国主義」が、中国と韓国によるむき出しの「排他的愛国主義」とぶつかることで、日本国内にもその力を増殖しつつあるように感じられます。

 現在の安倍政権は、戦後の日本社会で過激化しないように抑制されていた「排他的愛国主義」をバックグランドに持ちながら、それをストレートに発信することで、一定の支持を得ているようにわたしには感じられます。

 この点、過去の保守的な政治家とは一線を画していると言っても良いように思います。過去の保守的な政治家も、憲法改正について発言や国民運動に取り組んできた経緯はありますが、その中でも、公に「排他的愛国主義」を振りかざすことだけは、辛うじて回避していたように思います。

 それは、かつて日本人が行った無謀な戦争が、どれほど悲惨な結果を導き、どれほど大きな犠牲を同胞に強いることになったかという切実な認識が根底にあったからだったと思います。

 それ故、憲法の条文に問題があったとしても、再び、戦争を起こさないという点では、絶対に譲歩しないという決意の下に、自身の発言や国民運動と関わってきたように思います。

 その点が、安倍総理は決定的に異なっています。彼は、戦後に生まれ、戦争を知らない世代として育ちました。当然、身内に、戦争の犠牲者はおらず、有力な政治家の御曹司としてなに不自由なく戦後社会を過ごし、親の地盤を受け継ぐ形で政治家になりました。

 そして、彼の祖父で、戦前、官僚として国家総動員体制の下、戦争指導にも関わった岸信介が、総理大臣としてなしえなかったことを、孫である自分が引き継ぐという意味で、「美しい国」をテーマに、「戦後レジュームからの脱却」を掲げて、第一次安倍内閣を立ち上げました。

 この「戦後レジュームからの脱却」というものの中には、敗戦後の日本が、アメリカの主導の下に制定した「日本国憲法」の第九条の改訂や「愛国教育」へと「教育基本法」の方針転換といったことが含まれていました。

 わたしは、安倍総理とは、同世代に属していますが、彼のこの性急な施策変更について違和感を覚えていました。その一番大きな要因は、彼の「美しい国」「戦後レジュームからの脱却」というフレーズが、極めて抽象的で観念的なものに思えたからでした。

 特に、「美しい」という美的価値観は、本来は、受け取る人によってバラバラであるにも関わらず、それを、前面に出して、国民を導こうとすることは、彼自身が理想とする価値観により国民を、一つの鋳型に入れようと言う独善性を感じていました。

 ただ、第一次安倍内閣では、それらのものは、まだ具体的な施策になる前に、本人の体調不良による突然の総理退陣に伴い、次の内閣に受け継がれることはありませんでした。

 しかし、今回の第二次安倍内閣は、中国と韓国との領土問題に対して、適切に対応できず、国民の間に失望をもたらした民主党政権の後を受けて、これまで以上に「排外的愛国主義」を前面に押し出しても、国民の反感を買わないという状況下で、彼の主張は、国民の支持を得ているのです。

 多分、彼も今回は手応えを感じていることではないでしょうか。日本国内に醸成されている中国、韓国への反感と不快感をバネにして、第一次安倍内閣で出来なかった「戦後レジュームからの脱却」へと強気で走り出しているように思えます。

 さて、最初に書きましたように、現在、日本と中国、韓国との関係がこれほどまで拗れ、軋轢が生じている原因ですが、いま、安倍総理の人となりについて書いたように、実は、中国と韓国のリーダーも同様な生い立ちを持った戦後生まれの政治家と言うことになります。

 例えば、韓国の朴槿惠大統領は、李承晩政権を軍事クーデターで打倒し、独裁的な軍政を敷き、経済成長のために日本の援助を求め、国交正常化を果たした朴正煕大統領の長女として生まれました。

 その後、朴大統領の妻が権力内部の抗争によるテロで亡くなった後は、ファースト・レディとして父親を支え、父親が部下に暗殺された後は、国会議員に立候補し当選し、ハンナラ党の有力な政治家として活動し、昨年の大統領選挙で第十八代の大韓民国大統領に就任しました。

 父親の朴正煕大統領は、米ソの冷戦の最前線という分断された朝鮮半島で、北朝鮮と激しく対立すると同時、最貧国であった韓国を、経済成長により、先進国へと導いた立て役者という二面性を持つ政治家でした。

 彼は、戦前・戦中は、日本軍の軍人として従軍をし、戦後は、共産主義活動に参画し逮捕されるなど、振幅の激しい人生を送りながら、最終的には軍事力を背景に、絶対的な独裁政治家として君臨しました。

 そういう意味で、白か黒かといった単純な価値観に収まらぬ政治家であり、一時は、独裁者として厳しく糾弾された時期もありましたが、現在は、韓国の近代化に努めたといった点を評価されてもいます。

 だから、自国を植民地化し、祖国の独立の動きを徹底的に排除した日本軍と日本人に対して、ただ憎むだけでなく、利用できるところは利用し、それにより自国を豊かに変えていこうといった決断も可能だったのではないでしょうか。

 同様に、今年新たに中国の国家主席となった習近平も父の習仲勲は、元国務院副総理でした。*国務院は中華人民共和国の最高国家行政機関で日本の内閣に当たる

 父親の習仲勲は、千九百六十年代の終わり頃に、毛沢東が進めた文化大革命の際に、その後、国家主席となったト小平と共に、反動分子として批判され、国務院から追放・失脚しました。

 そのため、息子であった近平も、反動学生として地方に放校された経験があります。しかし、毛沢東が亡くなり、それまでの文化大革命が終息する中、彼は共産党員となり、その後は、中国共産党の幹部の息子達が集う太子党の有力メンバーとなり、ついに国家主席へと上り詰めた人物です。*太子党(たいしとう)とは、中国共産党の高級幹部の子弟等で特権的地位にいる者たちのこと、あるいはその総称である。世襲的に受け継いだ特権と人脈を基にして、中国(あるいは華僑社会)の政財界に大きな影響力を持つ。

 習近平の父親仲勲は、戦前の日中戦争において、長期にわたり西北地区の党、政、軍の工作の中心人物であり、革命第一世代に属する政治家でした。

 中国共産党による政権奪取後も、党の要職を歴任するなど、今日の中国の礎を築き上げた人物ということになります。そして、文化大革命の激しい渦の中でも生き延び、文化大革命後は名誉回復され、その後も政権の中枢で活躍した政治家でした。

 彼が、政権中枢にいた時代には、アメリカとの国交回復、日本との国交回復、さらには、現在の中国が経済大国へと舵を切っていく大事なターニングポイントを幾度となく経験しました。

 そして、日中戦争、国民党との革命戦争、文化大革命と、命すら危ういといった非日常的な状況を果敢に生き抜いてきたしたたかな軍人・政治家でもありました。

 そういう意味で、清濁併せ呑むといった度量を持ち、朴正煕大統領と同じように、白か黒かといった単純な評価では計れない複雑な人物であったことと思います。

 しかし、息子の近平氏は、地方への放校といった一時的に厳しい環境に晒されることはあったと思いますが、父親の権力を背景に、文化大革命後は、順調に権力の階段を登り、次世代のエースとして期待される地位にまで上り詰めた人物です。

 さて、こうして眺めてみると、日本の安倍総理大臣、韓国の朴槿惠大統領、中国の習近平国家主席は、三人とも父親が有力な政治家で、その後を継いだ政治家であることが明らかになりました。(安倍総理に関しては祖父も有力な政治家でした)

 そうそう、もう一つ忘れてはならない国と指導者がおります。それは、北朝鮮です。この国もまた、金日成、金正日、金正恩と父から子どもへ、さらには孫へと権力委譲がなされた国なのです。

 つまり、現在の東アジアの四カ国は、いずれも世襲的な政治家が、権力の中枢に座っているという、現地球上において、非常に珍しい地域になっているのです。

 勿論、一概に世襲制が悪いというつもりはありません。どんな制度にしても、良いところと悪いところはあるものです。ただ、これだけ近い国々が、全て世襲の権力者によって治められているというのは、不思議であると同時に、なにか危うさを感じるのです。

 企業でも代表者が世襲的に決定されることがあります。父親が創業者で、その後を息子が、そして孫が受け継いでいくというものです。

 その中でも、「老舗」と呼ばれ、何百年も続いている企業も中にはありますが、実は、途中で跡継ぎに養子を入れるとか、別の新しい血を入れることで、継続しているものがほとんどのようです。

 「老舗」の場合は、家業と言ったように、家の持っている技を受け継いでいく場合がほとんどなのと、民間などで、公に選挙で選ばれるといったこともなく、家業が潰れない限りは、この世襲制度は生き残っていくことにもなります。

 しかし、政治の場合は違っています。公の選挙があり、それによって選抜されるというのが現代の民主的国家のルールです。(そういう意味で、中国と北朝鮮はルールが違っています。)

 ただ、これだけ東アジアにおいて世襲的政治家が出現してくるということは、矢張り、この東アジア地域に特有の傾向が存在しているからではないかと思われます。

 この傾向については、ここで論ずる積もりはありませんが、この世襲的政治家の持っている危うさについては、少し言及したいと思います。

 世襲政治家の良い点でもあり、悪い点でもありますが、彼らは純粋培養されており、なにごとにも真摯に取り組み、純粋な気持ちを大事にしますが、清濁併せ呑むといった二面性のある判断には、嫌悪感を持っているところがあります。

 例えば、韓国の朴槿惠大統領が二千十三年三月一日に「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、千年の歴史が流れても変わることはない」と発言しました。

 確かに、恨みというものは、そう簡単に解消することが出来ないものであることは理解できますが、そういう恩讐を超えて、どう良好な関係を築いていくのかを模索することが、政治家にとって重要なことではないでしょうか。それを、こういった感情論を前面に出すというのは相応しくないようにわたしには思えます。

 そして、それは安倍総理が「美しい国」といった抽象的な言葉で、自国を理想化する姿勢と似通っているようにも思えるのです。互いに、自国の価値観にこだわり、相手の価値観を認めようとしないなら、朴槿惠大統領の発言の通り、千年経過しても恨みは解消しないことでしょう。

 なにか、今の状況は、相手が謝罪してこないことには許さないといった頑なな姿勢が、それぞれの国のリーダー達を縛っているように見えます。

 政治とは、元々、正解などなく、互いが歩み寄ることで生まれる合意により行われる人間の営みではないかとわたしは思っています。それ故、状況が変化すれば、当然、営みも変化することになります。

 その柔軟さを失うと、過去の歴史では、国内・国外を問わず、争いごとが生じています。そして、小競り合いから、やがては、人々に多大な犠牲を強いる戦争にまで拡大して行くことになります。

 そういう悲劇が再び起こらないように、粘り強く話し合いをしながら、それぞれが譲歩しあえるところは譲歩して、良好な関係を構築していくことをわたしは切に願っています。

 長い交流の歴史を持つ日本・韓国・中国の三国が、一時的な対立から悲劇的な争いを導かぬよう、平和で穏やかに交流を行うことをそれぞれのリーダーに願いながらこの稿を終わりたいと思います。



「問われている絵画(112)-絵画への接近32-」 薗部 雄作

「知性と知識のバランス」 深瀬 久敬

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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