浅田さん=科学技術の急速な発展や、それに伴う産業構造のドラスティックな変化は、社会の在り方の機能化や自己責任といった傾向を押し進めていると思います。そして、こうした傾向は、グローバル化した今日の地球社会では、ほとんどのところで格差問題の先鋭化をもたらしています。中国や韓国に止まらず、日本、アメリカ、ヨーロッパ諸国、すべてそういう感じです。そうした格差問題の緩和剤としてナショナリズムが引き合いに出されるのも、共通した傾向のようです。
また、そうした格差問題の解決には、高い政治能力とリーダーシップが必要とされますから、純粋培養型で清濁合わせのむことを嫌う世襲型政治家にとっては、やっかいな問題だと感じます。
そういう点から、わたしは本号に書いたことでもありますが、この格差問題の背景には、近代社会の内在する機能化や自己責任化の価値観があり、一朝一夕に解決することはかなり困難なように思います。知識とともに、互いのいたわりやおもいやりを直視する知性の面も重要視し、両方のバランスをうまく図れるような社会作りが不可欠なのではないか、という印象を持ちます。最近、中国では、儒教やキリスト教を、こうした問題に活用する施策に転じたようです。この辺も、近代社会の本質を、きちんと理解した上で進めないと、原理主義的な泥沼に陥るのではないか、という不安も否定しきれない感じです。
薗部さんの論文=原始の地球では、隕石の衝突が繰り返され、やがて、雨が降り、陸地や海ができ、川が流れ、そうした中から、海の中に原始的な生命が誕生し、それが地球を覆う多様な生きものたちにと変貌していったのだと思います。そして、こうした生きものたちの姿や仕組みは、実に多様なことに驚かされます。カンブリア紀に登場したアノマロカリスと呼ばれる甲殻類をはじめ、植物類にしても、その多様な形態には、どうしてこうしたさまざまな種類が誕生したのか、実に不思議な思いがしてなりません。
オリジナリティーという点では、こうした原初の生命にこそ求めてよいのではないかと感じますが、人間もひとつの生きものとして、そうした原初生命のもっていたオリジナリティーを引き継いでいることも間違いはないと思います。
生きものというものは、生きることへの強い欲望とともに、いかに周囲の環境とうまく適合し、協調していくか、という二つの間を揺れ動いている存在だとも思います。知識と知性のバランスというと、やや飛躍があるかもしれませんが、そういう点での生きもののオリジナリティーというものは、どのようにして身につけられたものなのか、不思議に思えてなりません。最近の、素粒子理論と重力理論の統合を図った超弦理論の予測によれば、世界は11次元であり、この宇宙は10の500 乗個存在するとも言われています。わたしたちの生命とは、この四次元の時空間の中に、どこか別の次元から転がり込んできたのではないか、などと感じられてなりませんでした。
|