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第122号

2014年3月12日

「負けること勝つこと(78)」 浅田 和幸

 

 前回も取り上げましたように日本と韓国・中国の関係が国交樹立後において最悪な状態になっています。

 それまでは、韓国と中国の方からの一方的な攻撃といった感がありましたが、昨年の十二月に安倍総理大臣が、唐突に靖国神社を参拝したことがきっかけで、双方の溝はさらに深くなったといった状態です。

 勿論、双方の言い分があり、どちらが一方的に正しいとか、間違っているとかを論ずるつもりはありませんが、ここまで拗れてしまうと、正直なところ関係修復には相当の時間がかかりそうです。

 その中で、特に最近目立つのが、日本人の「嫌韓・嫌中感情」の大幅な拡大です。それも、若い世代で顕著に感じられます。

 実は、わたしもこの一月にある経験をしました。それは、中学の同級生たちの集まりの場で、参加者の女性の一人が、こういう発言をしたのでした。

 「安倍総理大臣になって、これまでと違って韓国や中国に対して堂々と反論をしたり、自分の考えを表明しているのを見ると、なんだか胸がすっきりする。勝手なことばかり言っている両国に対して、もっと厳しく対処してもいいと思う。」

 その言葉を聞いて、わたしは、なるほど、安倍政権の支持率が高止まりして、失政と思えるような点もありながら、支持率が簡単に落ちないのは、こういう気持ちを共有する国民が数多くいるからなのだなと思いました。

 それで、彼女にこういう質問してみました。

 「ねぇ、韓国や中国に対して、そういうふうに感じているのは子どもの頃からかい?」

 すると、その答えはこうでした。

 「別に、子どもの頃はそんな風に意識したことはなかったと思う。

多分、こういう風に感ずるのは最近のことだと思う。」

 この答えは正直なものだったと思います。何故なら、彼女も含め、僕たちの小学校、中学校には、在日朝鮮人の同級生がたくさんいたからでした。

 現在は、「嫌韓・嫌中感情」に囚われている彼女も、友人の何人かが在日朝鮮人だったことを僕は知っています。つまり、子どもの頃には、そういう感情は無かったということです。

 その時、わたしは自分の母親の言葉をフッと思い出していました。それは、小学校の高学年の頃で、在日朝鮮人の同級生と家で遊んでいて、その同級生が帰った後のことでした。

 母親は、露骨な表情でこう言いました。

 「あの子朝鮮人やろ?」

 その母親の言葉に、「それがどうしたん?」とわたしは答えたように記憶しています。

 すると、「あんた気にならんがか?」と母親が不審そうな表情で再度問いかけるのでした。

 わたしの答えは「なにが?なにが気にならんが?」でした。その返事に、母親は、「ふーん。あんたらはそんなこと気にならがやね。これが日本が戦争に負けたってことやね。でも、いいことやと思う。」

となにか独り言のように呟いたのでした。

 この場面を何故かわたしは鮮明に覚えています。多分、こういう会話は、これが初めてであり、その後も無かったせいだと思います。

ただ、自分と母親との間には、「朝鮮人」を巡って、大きな断絶が存在していることだけは理解できました。

 わたしが小学生の低学年だった頃、「朝鮮」に関して、二つの忘れられない出来事が記憶の中にあります。その一つは、「李承晩ライン」を巡っての日本の漁船の拿捕騒動でした。

朝鮮戦争で朝鮮半島が三十八度線で分断された後に、韓国の大統領となった李承晩氏が、日本海に李承晩ラインという領海線を引いて、そこを越えて操業を行った日本の漁船を見境無く拿捕したという事件でした。

 これは、全く国際法を無視した領海の設定でしたが、敗戦国という負い目もあり、日本政府は、それに対して武力的な威嚇や抗議といったことも行えず、その結果多くの日本の漁船が拿捕されたのでした。

 しかし、李承晩大統領は、軍人の朴正煕の軍事クーデターにより失脚したことがきっかけで、この李承晩ラインは破棄され、その後、朴大統領との間に「日韓基本条約」を締結し、戦後の処理を終えることになりました。

 もう一つは、「北朝鮮への帰還事業」でした。戦前、戦中を通じて、日本へやってきた北朝鮮を母国とする在日朝鮮人の人たちが、自分の母国へ帰還するというものでした。

 わたしの近所に住んでいた、一歳年上の男の子が、この事業により北朝鮮へと帰還することなり、小学校の朝礼の時間に、校長先生が、それを紹介したことを覚えています。

 彼は細っそりとした色白の目立たない少年でした。特に、親しく言葉を交わしたことはありませんでしたが、その時、初めて彼が朝鮮人だということを知り、わたしの記憶に鮮明に印象を残したのでした。

 その後、映画のニュースで、北朝鮮に帰還する人たちを乗せた客船が、多くの人に見送られ、日本の港を出港していく場面を見たとき、思わず彼の姿を探したことを覚えています。

 そして、しばらくは、彼が住んでいて、現在は空き家になっている家の前を通るたびに、今頃、彼は北朝鮮でなにをしているのかなと思ったものでした。

 いずれの記憶も小学校の低学年の頃のもので、それがなにか政治的なものに繋がるようなものではありませんでした。それより、その後の「朝鮮」に対する記憶は、在日朝鮮人の同級生とのもので、それも、朝鮮人であると差別するより、逆に、親しく関わりを持とうというものだったように思えます。

 先ほどの「嫌韓・嫌中感情」に囚われている同級生の彼女も、中学時代の話題の中で、在日朝鮮人の同級生の家に遊びに行ったことや親しく付き合ったことを回想していました。

 つまり、昭和三十年代から四十年代にかけて、子供時代を送ったわたしたち世代にとって、「朝鮮人」ということは、なにか特別な存在と言うより、身近に存在する異邦人といったものだったように思えます。

 ところが、それから数十年を経た現在、先ほどの「嫌韓・嫌中感情」に囚われている彼女のような人が、日本に増えており、世論がそれを無視できないほどに大きくなっているという現実を目の前にしています。

 そこには、子どもの時代に一緒に生活を共にしていた在日の朝鮮人とは、全く異質の朝鮮人像が形作られていると言っても良いかも知れません。

 かつての在日朝鮮人の同級生は、日本語を話していたし、日本の名前を名乗っていました。確かに、自分たち日本人とは国籍は違っていても、普段の生活の中で、それを意識することなどまず無かったように思います。

 ところが、現在、わたしを含め、日本人が向き合っている朝鮮半島に暮らす朝鮮人は、言葉も違うし、文化も違う異質の存在であり、さらに彼らは、極めて強い反日感情を抱いているとマスコミを通して伝えられているのです。

 そのことに対して、わたしの同級生は、苛立ちを覚えているのだと思います。そして、反日的な韓国人の言動に、日本人としての自尊心を傷つけられたと憤慨しているのです。

 さて、ここ十数年ほど以前、多分きっかけはサッカーのワールドカップの共催だったと思いますが、そこから始まった韓国ブームにより、多くの日本人は、それまで余り関心の無かった韓国という国に目を向けるようになりました。

 実際、わたしの住んでいる金沢市も、それがきっかけで、韓国の全羅道にある全州市(チョンジュ市)と姉妹都市を提携することになりました。(ちなみにそれまでの姉妹都市を提携した国はアメリカ、フランス、ベルギー、ロシア、ブラジル、中華人民共和国です。中華人民共和国の蘇州市を最後に、十数年新しい姉妹都市提携はやっていませんでした。)

 このような動きは、日本各地で生まれ、日本人の韓国ブームは、NHKで放送した韓国ドラマ「冬のソナタ」で頂点に達したように思います。

 その後も、K−ポップスという韓国人歌手のジャンルが生まれ、日本の歌番組で頂点を極めている「NHK紅白歌合戦」にも、韓国人の歌手達が何人も出演することにもなりました。

 日本海を挟んで、一番近い外国である朝鮮半島が、これほどクローズアップされたことは、戦後無かった大きな出来事でした。ところが、これほどの盛り上がりを見せていたブームが、突然、終わりを告げ、逆に、反発と嫌悪に満ちた感情を抱くようになったことを、わたしは不思議な気持ちで見ています。

 そこに至るまでには、幾つかの節目があったことと思いますが、それよりもわたしが気になるのは、日本国内の問題が、その根底に大きく関わっていることです。

 これは、最近のヨーロッパでも起きている移民排斥の動きとも連動しているように思えます。つまり、国内での経済的閉塞感、特に、若い世代を中心とした経済的閉塞感が、過激な排斥・嫌悪を引き起こしているように思えるのです。

 現代に限らず、歴史を振り返る時、排外主義・国粋主義が国内で大きな力を持つ時には、必ず、国内問題がその背後にありました。戦前の日本が大陸進出を図るきっかけは、千九百二十九年アメリカ発の大不況により、日本国内経済が破綻し、国民生活が大きく疲弊したことが原因の一つと言われています。

 排外主義や国粋主義は、国内の矛盾や不平不満のはけ口としては、非常に便利な道具として政治的に使われることは、二年前に中国で起きた「尖閣諸島」を巡る激しい反日デモでも明らかになりました。それと同じようなことが、日本国内でも起きつつあるというのが、わたしの正直な感想です。

 わたしが子どもの頃、日本社会は高度経済成長前の敗戦の爪痕を色濃く残した社会でした。わたしの通っていた小学校の生徒たちの大部分は、長屋と呼ばれる貸家に住み、親の所得も決して豊かなものではなかったように記憶しています。

 それが、高度経済成長により、経済的に豊かになり、長屋住まいから一戸建ての住宅へとステップ・アップしていったことで、現在、わたしの同級生のほとんどは、その小学校の校区に住んでいません。

 つまり、わたしが子どもから大人になった時代は、昨日より今日が、今日より明日が豊かになっていくと信じられていた時代だったと言っても良いと思います。

 実際に、わたしもそれを実感した一人でした。豊かになることは、家に一つずつ電化製品が増えていくことでもありました。テレビ、洗濯機、冷蔵庫といった電化製品が暮らしを便利に豊かにしていきました。

 しかし、いま二十代の若い世代は、生まれたときから豊かな生活があり、その生活が当たり前という前提で大きくなった世代です。だから、逆に、この豊かな生活を送れないような事態は、誠に理不尽なことであるといった認識に囚われてしまうのも無理からぬことと思います。

 そして、現実の日本社会は、正規労働者と非正規労働者の格差は年々大きくなっています。その中でも一番彼らを苦しめるものは、何故自分が非正規で、何故あの人が正規なのか、その判断基準も曖昧なまま、宙ぶらりんな状態に放置されていることではないでしょうか。

 かつて、学歴社会という言葉で、労働と所得に関する格差が論じられてきました。学歴が無い、あるいは学歴が低いと言うことで、社会的なハンディを背負わされているのだという議論でした。

 しかし、現在は、学歴社会が消滅したわけではありませんが、必ずしも学歴が労働と所得に反映しないことが頻発しています。大学院を卒業しても就職先が決まらないオーバードクターを始めとして、学歴が必ずしも成功のコンテンツにならないことが明らかになっています。

 これは、自分が努力して積み上げてきた学歴を否定されることを意味しており、人によっては自分の存在を否定されるに等しい感情を覚える方もいるのではないかと思われます。

 この自尊心を傷つけられる恨み(ルサンチマン)は、なにかによって癒さないことには、自分で持ちきれない痛みを伴うものでもあります。

 その痛みを解消する手段として、前に述べた排外主義は、有効なものであるように思えます。異民族を攻撃し、その文化を貶めることで、自尊心が癒されることはこれまでにもありました。

 そう言う意味で、この自尊心というものは厄介なものです。若い世代に属していない、わたしと同じ年齢の人たちも、同じように自尊心の浸食を感じていたことは、この問題が非常に根深いものであることを感じさせます。

 多分、そこには日本国内の閉塞した感情が大きく影響しているのだと思います。特に、今回の東京都知事選挙の立候補者で、田母神氏のような排外論を振りかざす候補者が、二十代からの支持を多く集めたという分析を前にすると、尚のことそう思いたくなります。

 しかし、冷静に考えてみれば、いまわたしたちの社会が直面している問題は、世界の多くの国々が直面している問題より、ずっと易しいものです。貧困と言っても、それで毎日何百人もの人間が死ぬわけでもありませんし、内乱状態で銃や爆弾で殺されるような人もいません。

 逆に、日本は世界一安全安心な国として、他の国々の人たちから評価され、日本製品のブランド化は、多くの国々で受け入れられています。

 その結果、若い世代は、余りにも日本での生活が快適かつ便利であるということで、海外に留学をする人も、海外に仕事で赴任する人も尻込みをするようになり、余りに内向き過ぎると、国としても危機感を強めているようです。

 内向きであることは、日本の国内から外国を眺めることであり、実際に、現地に足を運び、そこで暮らす人たちとの接触も無いままに、一つのイメージが形作られ、それが一人歩きすることを意味しています。

 特に、日本の場合は島国と言うことで、海が障壁となり、古代より簡単に行き来が出来ない自然環境がありました。さらに、漢字をアレンジした独自の文字を持っていることで、外国人とのコミュニケーションも限定されたものになっていました。

 その結果、良い意味でも悪い意味でも、外国の情報は限定され、それでも日々の生活に特に困ることがないために、異文化に関しては鈍感な部分が見受けられます。

 しかし、わたしの限られた経験から言っても、外国人とは直接にコンタクトを取ってみないと分からないことが多くあるのです。そして、日本から眺めていた外国像とは随分違った印象を覚えることも多くありました。

 つまり、抽象的な「韓国人」や「中国人」や「アメリカ人」は、存在しないということです。でも、わたしたちがその国のことを考える時、常に頼るのがその抽象的な人物像なのです。

 「中国人は○○だから」「韓国人は◇◇だから」「アメリカ人は▽▽だから」といったステレオ・タイプな人物評が前面に出てきます。そして、それを聞く方も同様に、ステレオ・タイプな評価を元にして会話が進んでいくのです。

 残念なことに、このステレオ・タイプの人物評は、好意的なものより悪意に満ちたものが優先されがちです。勿論、これは日本だけでなく、あらゆる国に共通の傾向です。

 その結果、ネガティブな感情は更に増幅され、それを共有する人たちの間では、より過激な評価が求められ、止まることを知らぬ憎悪が生み出されていくのです。

 その逆に、個人的にそれぞれの国の人々と接触し、一つ一つの顔と名前を持った存在として付き合い始めると、それまで勝手に作り上げていた像とは異なった存在であることに気づかされるのです。

 前にも書きましたように、在日朝鮮人の同級生に感じていた親しみの源泉は、それぞれの顔を持ち、名前を持ち、良い面も悪い面も持った一人の人間としてそこに存在していたからでした。 それは、日本人の同級生と何一つ変わらない存在だったのです。

 ただ、現在の状況はもう少し複雑です。わたしたちが子どもだった時代、日本人であることは、いろいろな面で有利でした。正直なところ、在日朝鮮人の家は、日本人の家より貧しく、高校への進学率も極端に低かったように記憶しています。

 そこには、人種間のハンディが厳然と存在し、それを認めた上で成立している関係がありました。多分、それがわたしたちに優位に働き、差別意識を抑制していたように思います。

 ところが、現在ではそうではありません。日本人であることの優位さはほとんどありません。それどころか、在日朝鮮人で成功した人たちは、日本人よりずっと豊かな暮らしをしています。

 さらに、韓国国内も近代化し、首都のソウルは、東京と変わらぬ近代都市として世界各国から多くのビジネスマンが訪れる国際都市になっています。

 それを目の当たりにした日本人は、これまでの優位な関係性を保てないことに気づかざるを得ません。それどころか、相手の方が優位ではと不安さえ覚えるのです。

 これが、アメリカやヨーロッパの国であれば、元々、そちらの文化の方が優位だったということもあり、それを認めることに自尊心が傷つくことも少ないのですが、それがアジアの国、特に韓国や中国となると過敏な反応となって現れてくるようです。

 わたしはここ数年の間に仕事で、年に二ないし三回の頻度で韓国を訪問すると同時に、韓国からの来訪者の受け入れなどをやってきましたが、そこで感じたことは、マスコミで伝えられているのとはまるで正反対の韓国人の方たちの日本観でした。

 マスコミを通して伝わる反日とは裏腹に、日本の食文化や公共サービスといったものに、愛着ないし親近感を口にする韓国人が多いことに驚かされました。

 特に、食文化への愛着は強く、日本酒や日本のビールは、韓国の焼酎やビールに比較して高額にも関わらず、それを求める人が多いのには感心しました。

 そして、実際に話してみると、日本を訪問したことのある韓国人は、口々に日本での暮らしの快適さを懐かしみ、それが自分にとってとても貴重な体験だったことを率直に語るのでした。

 そう言う経験が重なるに連れ、わたしはマスコミが報じている韓国の反日的メッセージは、自分の国を必要以上に大きく見せるための擬態に似たものであり、そこに韓国人が自尊心の拠り所を求めているのではないかと思うようになってきました。

 つまり、過激な反日的メッセージとは裏腹に、実は目が離せないほどに日本に興味があるというのが、本音なのではないかと思うようになっています。だから、敢えて目立つような言動を取っているのです。

そう考えると、一つ一つの発言に過剰に反応し、互いにいがみ合うことの愚かさをわたしたち日本人も、そろそろ理解しても良いのかなと思うようになってきました。

 問題は、それぞれの国民の自尊心です。その自尊心を相手が傷つけていると互いが誤解し、過剰に反応することで、更に、自尊心を傷つけ合うという悪循環に陥っているのが、現在の日本と韓国との関係のように思います。

 ここは、日本海=東海を挟んだ隣人として、それぞれの文化を尊重しあいながら、コミュニケーションを大切に付き合っていくことがなによりも大切に思えるのです。

 最近、わたしは古代史に関した本を良く読んでいます。その中で、かつて渡来人と呼ばれた朝鮮半島から来た人たちが、古代の日本社会の中心的な役割を果たし、その後、日本が固有な文化を形成していく際にも、大きな働きをなしたことが書かれています。

 もし、日本海がもっと広大で、日本列島と朝鮮半島との距離がもっと遠いもので、渡航が困難であったなら、ひょっとすると日本の社会は、全く別な形で形成されていたのではないかと想像するほど、この二つの地域を結ぶ絆は大きなものだったと改めて思います。

 そういう古代から連綿と続く交流をもう一度確認しながら、二十一世紀のこれからの時代に、平和と繁栄が両国にもたらされるように、互いの国民が、より良い協力関係を構築するための知恵を出し合っていくことに期待したいと思っています。



「問われている絵画(113)-絵画への接近33-」 薗部 雄作

「『個人と人間の時代』における人類の責務」 深瀬 久敬

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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