浅田さんの論文=今の若い人たちの生活環境は、確かに、たいへんだと思います。成果主義のようなもので酷使されたり、即戦力として具体的成果をすぐに求められたり、派遣社員として雇用の安定が確保されなかったりします。さらに、新しい技術や知識の習得、より高度な資格の取得、等のために休日もゆっくりできないといった状況ではないか、と思います。これでは安定した家庭を築き、子育てをする気持ちも持ちにくいことは明らかです。こうした傾向は、韓国や中国でも同じではないか、と思います。企業もグローバル化の波に乗るためには、生産拠点を海外に移転ぜざるをえず、企業も従業員も、日本人としてのアイデンティティーをどのように持てばよいのか、板挟みになっているように感じます。
こうした不満や苦悩を、偏狭なナショナリズムに基づく、歴史問題や領土問題にかこつけてガス抜きしようとするのであれば、これはかなりおかしな話しです。安陪首相も、産業競争力の強化に取り組んでいるようですが、岩盤規制といった既得権側の抵抗には、手も足もでないような印象です。教育改革についても、大阪府などで試みられているようですが、なにか短期的視点のみが強調されているようで懸念されます。
今、人類は、こうした問題よりも、さらに根深く、スケールの大きな問題に直面していることも否定できないように思います。宇宙船地球号と呼ばれる今日、社会の不満の解消を、安易に外部に求める時代は終わったように感じます。江戸時代の藩政改革のような自らのあり方を厳しく問い直すような改革が求められているようにも思います。しかし、一筋縄ではいかない、相当むずかしい問題であることはまちがいないと思います。
薗部さんの論文=生命がなぜ、地球上に存在するのか不可思議ですが、その生命が無数の個体として存在していることも、実に不思議なことだと思います。ガイア仮説といった見方もあるようですが、個としての生命に、どのような意味があるのか、問いたくもなります。まして、人間の場合は、一人ひとりの人間の自意識が深まり、孤独感とか罪悪感とか、個であるが故の苦悩に立ち向かうことになりますから、そこに宗教のような個々の存在を抱擁してくれるようなものに憧れるというのは分かる感じがします。
本文と照らし合わせるならば、一人ひとりの個としての人間は、「幾何学的な断片」であり、地球生命全体が「幾何学的な断片を組み合わせて一塊に物体に作り上げたもの、すなわち、建築物。」ということになるかもしれません。建築物なら、その存在理由は分かりますが、地球生命全体となると、それが何のための存在なのか、永遠の謎のように感じます。こうした階層的な謎は、普段はばらばらのものが緊急事態には一つの生命体になる粘菌の例とか、人間の体も数十兆個の細胞から構成され、さらに、その一つひとつの細胞も多数の細胞小器官から構成されているといったことを聞くと、個々のものの存在と全体としての存在理由というのは、地球から、太陽系、銀河系、宇宙、多元宇宙、等々ますます訳の分からないものになっていく感じです。抽象とは、そういう階層を昇っていくということも含むように思います。
分からないままに、存在し続けることこそ大切だ、ということで、人間をはじめ、地球上の生命が絶滅しないよう、いろいろ知恵をしぼることが要請されているように考えるしかないようにも思いました。現代社会では、そういう意味を問うことを放棄し、現象世界のみに注目するという態度も、抽象絵画のあり方に影響しているようにも感じられました。
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