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第123号

2014年6月24日

【編集あとがき】

 

 浅田さん=数年前に、自動車メーカーの若い派遣社員による秋葉原無差別殺傷事件というのがありました。また、最近、「NHKスペシャル 調査報告 女性たちの貧困 新たな連鎖の衝撃」という番組では、ネットカフェに寝泊まりする母子、大学を卒業してもアルバイトの仕事を継続するしかなく、奨学金の返済のため結婚どころではないという女性、などを見ました。

 格差社会、ここに極まれり、という印象を持ちますが、目先の利益を徹底して追求する企業組織としては、コスト削減、成果主義、即戦力の活用などは当然のものなのでしょう。こうしたなかで企業組織のなかで、人間としての成長も図れるという希望のもてるかつての会社イメージは、一握りのエリート社員のものになってしまったのかもしれません。

 しかし、本号のわたしの思うところによれば、それは、目先的な見方であって、人間全体の存続という課題に正面から向き合っていないように思います。地球環境問題、国家同志のさまざまな紛争、グローバル経済に潜むさまざまな軋轢などによって、いまや人間全体が存続していけるのかという問題意識が顕在化しつつあるように思います。そうした問題意識を社会的に広く浸透していかないとこのような破壊的な人間を排除していくことは困難なように思えてなりません。

 

 薗部さんの論文=わたしは、本号で、意識とか客観といったことを取り上げましたが、人間の肉体を始め、私たちが眼にするものは基本的に限られていたり、閉ざされたりしています。人間の肉体でいえば、永遠に生きるものではありませんし、移動するにしても、飛行機を使ったとしても限られたものになります。しかし、客観する意識となると、なにを客観するかによって千差万別ということになると思います。他者をみて、仲よくなりたいと感じたり、あのひとは怖いと思ったり、会社組織からこの仕事をいつまでに完成させろと指示されれば、その組織からのプレッシャーで憂鬱になったりします。自然という存在を資源の宝庫として利用しようとしたり、地球上の人間の存在の由来を問うたりする意識もあります。こうしたさまざまなものを客観する人間の意識とは、なんなのか、実に不思議に思います。そして、そうした意識が、その存在を主張する手段として芸術作品を持ち出したりします。そうした表現を通して、客観する意識は、そこにどのような意味を見いだそうとするのでしょうか。

 科学という自然を現象界として客観する意識を獲得した人間は、さらに、人間そのものの存在を客観しようという領域に入り込もうとしているというのがわたしの見方ですが、これは、かならずしも幸福感のあるものではありません。障子や襖で囲まれた和室のなかで、床の間にかけられた掛け軸の絵でも見ながら、自然との一体感を通して、無限の空間と時間のなかに身を遊ばせるということの方がはるかに幸福感にあふれたもののように感じます。人間は、いったいどこに向かおうとしているのか、これも不思議な思いがします。



「負けること勝つこと(79)」 浅田 和幸

「問われている絵画(114)-絵画への接近34-」 薗部 雄作

「人間の存在そのものを客観する時代へ」 深瀬 久敬

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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