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第127号

2015年6月17日

【編集あとがき】

 

浅田さんの論文=ひとつの独立国家として、その安全をどのように担保していくかは、ないがしろにはできない問題だと思います。それは、自国の状況や世界の状況の正しい認識を踏まえて、叡知を絞って策定されるべきものだと思います。

 例えば、自国の状況でいえば、産業競争力、財政状況、少子高齢化状況、人材育成、高等教育、労働環境、移民受入れ状況、科学技術力、海外への工場移転状況、防衛軍事力の状況、等があると思います。こうした理解の上に、世界状況の理解を深め、同盟関係といったものも含めた対応策が考慮されるのだと思います。

 今、日本の政府は、こうした点についての理解をどのように行っているのでしょうか。国会の施政方針演説などで表明されているのかもしれませんが、どうも国民に本当に分かりやすく説明されているのだろうか、とやや疑問を感じます。

 確かに、外交政策に関しては、秘密もあるのだと思いますが、極力、秘密にせざるをえないような方策は、どるべきではないのだろう、と思います。

 「知らしむべからず、依らしむべし」的な対応は、時代の流れを逆行させるものだと思います。そういう点で、今の中国の情報規制の状態などを見ていると、かなり危ういものを感じます。確かに、一気に情報公開の門戸を広げることにも危ういものを感じますが、計画を明示した上で、段階を踏んで、教育活動と並行させながら、オープンな社会に変化していかないと、国際社会からも恐れられる結果になるのではないでしょうか。

 

 薗部さんの論文=わたしは、今号で、主観と客観という見方について述べましたが、絵画について言えば、具象画は主観に、抽象は客観に、それぞれ近いとは、言い切れないように思います。しかし、具象画の場合には、なにか自分が描こうとする対象に引き釣り込まれるような不安感があるのに対して、抽象画の場合には、そういう不安感は少ないようにも感じられます。そして、抽象画の場合には、そうした画家としての個が引き釣り込まれる危うさは少なくなりますが、他に訴える力をどう生み出すかが問われるようにも思います。生命というものは、対称性の崩れによって完全さを喪失した存在だと考えれば、なにかそうした完全なものを、自分のふるさとを想うような気持ちで追い求めるということがあるのかもしれません。そうした客観というのか、そういう美の世界を絵画として提示しようとする画家の人達の姿勢に、期待したいと思います。



「負けること勝つこと(83)」 浅田 和幸

「問われている絵画(118)-絵画への接近38-」 薗部 雄作

「生命における主観と客観」 深瀬 久敬

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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