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第128号

2015年9月19日

「戦後70年談話から思うこと」 深瀬 久敬

 

1.70年談話についての意見

 企業をはじめとする組織のなかにおいて、不始末をおかしたときには、一般に始末書を作成し提出し、それが受理されて一件落着となる。始末書には、不始末の内容を経緯を含めて説明し、その不始末が発生した理由を明らかにし、終わりに、そうした不始末を再度おかさないための対策を記載する。これらの内容が誠意に基づく本心からのものであり、今後の再発防止のための対策として充分だろうと判断されて、はじめて受理される。なにか言い逃れや反省の気持ちが希薄とみなされると、何度も突き返され、書き直しを命じられる。

 

 さて、今年は戦後70年ということで、先月、首相の私的諮問機関である21世紀構想懇談会の提言を踏まえた70年談話というものが公にされた。これについて、国内、そして、中国、韓国などの日本の軍事行動により迷惑を被ったとする諸外国から、さまざまなコメントが表明された。

 

一人の日本人として、日中戦争、太平洋戦争という数百万人の人々を死に到らしめた戦争を、先述の始末書になぞらえて作成するとどう書くべきか、少し検討してみた。ただ、ゼロから書き起こすのはたいへんなので、ここでは、先の70年談話というものについて、三点ほど意見を述べるという形で記してみたい。日中戦争、太平洋戦争は、不始末ではなく、日本人として顕彰されるべき必然の行為であったという見方をする人もいるらしい。しかし、それは、戦争が原因で若くして亡くなった大勢の方々に対して、誠意ではないと私は思う。

 

まず第一点目は、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。」という文言は、不始末のなかにはよいことも含まれています、と言っているようなものであり、普通、始末書には書かない。不始末のなかにも、お客さんから喜ばれるものもありましたとか書いたら、反省の誠意を疑われる。なにを反省すべきか、ごまかそうとしているのではないか、と受け止められるだろう。

 

第二点目。「第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかり」、「国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。」。「しかし、世界恐慌が発生し、〜経済ブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。〜こうして日本は、世界の大勢を見失っていきました。」。「満州事変、そして国際連盟からの脱退。〜進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。」という部分であるが、歴史的経緯の記述として、間違いではないかもしれない。しかし、なぜ、孤立化し、力の行使で解決しようとしたのか、なぜ、進むべき針路を誤ったのか、という点についての分析がないと思う。談話の後ろの方に、「力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべき」とか、「自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ」とかの記述があるが、なぜ、孤立化し、針路を誤ったのか、という分析ではない。不始末の発生した原因を踏まえないで解決策のみ提示するのは虚しい。迷惑を被った立場の人々からみて、これでは、まともに反省しているとは受け取れないと思う。再び、間違いをおかさないという確信はもてないだろうと思う。

 

 第三点目。「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもために、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」という記述には、いかなる立場で、どのような日本人としてアイデンティティーを踏まえたら、こういう言葉が出てくるのか、理解できない。日本人としてのアイデンティティーをもつ人なら、未来永劫、この件についての見解を求められれば、間違っていたと謝罪を表明するのが自然だと思う。それは過去の日本人がやったことであり、同じ日本人ですが、その件については、すでに謝罪済みなので、もうわたしは関係ありません、などと釈明したとしたら、それは、日本人としてのアイデンティティーを放棄しているのに等しいと思う。金銭的な謝罪を、執拗に求められては困るという思いがあるのかもしれないが、こちらの謝罪が誠意をもって伝わっていれば、普通、そういうことにはならないだろうと、わたしは思う。ただ、サンフランシスコ講和会議において、賠償金の問題がどのように扱われたかは、よく認識しておく必要があるとは思う。

 

2.日中・太平洋戦争についての始末書的な私の理解

 以上が、戦後70年談話についての私が気になった点であるが、始末書を書くような立場から、特になぜこのような不始末をおかしたのかという観点を踏まえ、わたしなりに概観してみたい。

明治維新の前後のころから、日本は、欧米列強の存在を意識するなかで、富国強兵、殖産興業を旗印に邁進した。それは、政治思想的な知識や科学技術的な知識の導入を伴うものであった。一方、国土的には、沖縄、北海道、台湾、朝鮮、中国東北部などに権益を広げることにもなった。日清戦争、日露戦争、さらに、第一次世界大戦を通して、多大な犠牲を伴いながらも、こうした権益はかなりの程度まで膨らんだ。そして、次第に、こうした権益に執着するようになり、必要なものであり、当然の権利であるかのように思い込むようになった。朝鮮を併合し、中国東北部には、満州国という傀儡国家を作り、開拓団を送り込み、資源の供給源とし、鉄道権益も享受するようになった。こうした権益を確固たるものにしようという機運に日本中が沸いた。新聞は、紙面発行部数を伸ばすために、こうした機運を煽る記事を掲載した。映画界は、爆弾三銃士的な行為を愛国心の表明として讃える映画を量産した。また、たくさんの心情を揺さぶるような軍歌が人々を戦争にいくことを美化する気持ちに駆り立てた。

 朝鮮や中国東北部の権益に執着する姿勢が、米国をはじめとする諸外国との対立を招くことが不可避であることは、ある程度の知識をもつひとには分かっていた。こうした懸念は、政治家や軍人の上層部は認識していたし、昭和天皇も、中国東北部での権益拡大は、ほどほどにするようかなりの危惧をもっていたようである。しかし、熱河作戦など、昭和天皇と軍部の対立を恐れる側近らによって、こうした意向も無視されていったようである。最終的に、アジアに広く拡大した権益の確保に熱狂した国民の勢いに流され、大東亜共栄圏などといった大義名分も持ち出され、行き着くところまで行かないと止まらない、という状況に陥ってしまった。ナチス・ドイツとの同盟とか、マリアナ沖海戦での日本海海戦のような乾坤一擲の勝負に出るとか、細かい点もみれば、いろいろな選択が、人々の悲惨な死を増大させていったと言えると思う。

 

日本人として、こうした過程のどこに間違いがあったのか、振り返ってみるとき、なにか傲慢不遜な気分が蔓延し、謙虚さや客観的にみる視点を失い、自信過剰になり、熱狂し、無理を重ねることに無頓着になるという姿勢があるように思う。日本社会のよい面も充分踏まえ、日本という国の在り方の基盤をどのようなものにし、世界の中で、どのようなアイデンティティーをもって向き合っていくか、みんなで客観的に智恵を出し合っていく姿勢が求められているのだと思う。

 

3.日本社会や人類社会の概観

こうした始末書的な理解を表明するのみでは、なにかものたりない感じがあるので、日本社会の現在の状況と人間の客観能力について、以下、考察してみたい。

 

A.日本社会の現在の状況について

日本の社会は、日中・太平洋戦争の終了後、大きく変貌した。憲法には、日本の民主化を徹底して求める立場から、戦争放棄を謳った第九条が置かれ、他方、米ソ冷戦構造の防波堤となることを求める立場から、自衛隊による武装が求められた。この二つは、個別的自衛権という解釈により、辻褄を合わせてきたようである。

 当初、経済復興を最優先し、冷戦構造のなかで軍事費を極力抑制すべく、米国追従を基本路線とした。それは、サンフランシスコ講和会議と同時に、日米安保条約を締結し、占領終了時の米軍基地は、沖縄をはじめ、基本的にそのままとされ、さらに、日米地位協定によって、米軍による航空管制権もそのままの状態としたことからも明らかであろう。

 しかし、この状態は、米ソ冷戦構造が終結した後も、なぜか、引き継がれてきた。一説には、米国にとって、ソ連に代わって、日本が脅威にうつったとも聞くが。そして、今、中国が、経済大国、そして、軍事大国として台頭してきた。

 米国は、マニフェスト・デスティニーの伝統的スローガンのもとに、ハワイ、フィリピンなど太平洋をまたがった支配権にこだわる面があり、今、中国と南シナ海などをめぐり感情的な摩擦も引き起こしているようである。

 こうした状況のなかで、中国とうまくやっていくことに自信をもてない政府は、米軍の要望もあるのかもしれないが、憲法違反の誹りも省みず、米軍との集団的自衛権を締結しようとしている。

 日本という国の安全保障に正面から向き合ってこなかった無思想のなかでの、中国脅威論への付け焼き刃的対応策として、集団的自衛権を持ち出しているようであり、なにか危ういものを感ずる。その点では、少子高齢化や人口減の状況のなかで、国家財政の赤字が雪だるま式に膨らんでいく状況も同じように脅威である。こうした課題に、客観的に、みんなの智恵をしぼりあい、対応策を具体的に進めない姿勢は、ある意味で、日中・太平洋戦争に転がり込んで行ったかつての日本社会と同じような欠陥なのではないか、と感じられてならない。

 

B.人間の客観能力について

 人類が、他の生きものと異なる点は、客観する能力を持ち、それを次第に高めてきた、という点ではないかと思う。はじめの客観は、自意識の芽生えである。それは自然界から切り離されているという自覚であり、裸体であることへの羞恥心であったりしたのだろう。それはさらに、言葉の使用、道具の活用、宗教心の獲得、身分制度といった社会統治の仕組みの確立、農耕牧畜などの知識の蓄積、などに進んで行ったのだと思う。

こうした客観能力の最大の果実が、ヨーロッパで起きた科学の獲得であったことは間違いないと感ずる。科学は、自然界の現象の因果関係を、定量的数式的に把握することを可能とし、それが今日の科学技術文明の基盤となっている。さらに、科学の見方は、人間自身にも向けられ、それが近代民主主義の基本理念にもなっていることは論を俟たないと思う。

近年、科学技術のもたらす進化は、なにか指数関数的に増大している印象をもつ。他方、人間自身に対する客観は、いまだに、たくさんの死者を出す戦争やテロをくり返しており、なにか不思議な気持ちになる。生きものの存在そのものを生きものが客観するということは、原理的に不可能なのかもしれないという気持ちにもなる。しかし、その点に間違いを犯すと、人類破滅の危機に直面しかねないようにも思われ、真剣にとりくむべき課題になってきているように思われてならない。 (以上)



「負けること勝つこと(84)」 浅田 和幸

「問われている絵画(119)-絵画への接近39-」 薗部 雄作

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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