ホーム ニュース 地球アーカイブ 地球とは? ご意見・ご感想 寄稿

第130号

2016年3月17日

「感性から全人格性の時代へ」 深瀬 久敬

 

この宇宙は、物質と生命の両方を、普遍的な構成要素としているように思う。物質については、重力波やダークエネルギーなどの観測を通して、その本質に迫ろうとしている。生命についても、ゲノム編集や光合成の解明などの研究を通して、理解が深まっていくだろうと思う。両方を宇宙に根源的に存在する原理として捉える見方は、はっきりした根拠がある訳ではない。しかし、土星の衛星エンケラドスに生命が存在するのではないか、といった予測などもあり、生命は地球にしか存在しないもの、と考える方が不自然という受け止め方には、私も納得できる気がする。ちなみに、エンケラドスの熱源は、土星と他の惑星とともにする自転、公転中に生ずる張力の変化に起因する摩擦熱だという。また、物質をハードウェア、生命をソフトウェアに見立てる見方は、アナロジーとしておもしろいと感ずる。

 

そして、生命は、全てインスタンス(個物。形相と質料という観点では、個々の質料。)として存在し生きていることにも不思議に思う。そのインスタンスも、動物、植物、菌類、ウィルスなどといった多様な種別からなり、個々のインスタンスもそれぞれ微妙に異なり、一卵性双生児といえども、全く同一ということではないように思う。さらに、生き物は、その生存を確保するために、異なる種別同志で競争したり共生したり、さまざまな戦略を行使する。植物は、昆虫や動物に、蜜や果実を与え、その繁殖に利用する。また極寒の地の植物は、その新芽が凍結しないように不凍液を作りだす。こうした生きる智恵は、ほんの一例にすぎない。食物連鎖は、ある意味で残酷であり、弱肉強食の掟は厳然として自然界のなかに存在している。南米のジャガーが、カイマン(ワニの一種)を、横から襲い、鋭い牙で噛みついたら、絶対離さないという狩猟の技を見て、生きていくことのすさまじさを改めて感じた。こうした、食べる、子孫を残す、環境の変化に追従するといった生存の智恵や仕組みが、いったいどのようにして創り出されたのか、不思議でならない。

 

 人間は、ゴリラ、オラウータン、ボノボ、チンパンジーなどとともに、ヒト科と呼ばれるグループを構成している。ヒト科のなかの遺伝子は、ヒト科とサルの遺伝子の相違に比較して、かなり小さいようである。ヒト科の生き物は、弱者への感性を持つとともに、共同体の論理か、家族の論理で生活するという(NHKラジオ第二、カルチャーラジオ日曜版、人間を考える〜人間へのメッセージ(1)講演者 山極寿一氏。14年12月07日放送。)。共同体の論理が乱交(例えば、チンパンジー)に対し、家族の論理は依怙贔屓、無償の論理(例えば、ゴリラ)とのことである。人間は、この二つを同時に行使する生き物であり、複数の家族が乱交することなく、共同生活を営む。これは、食物の豊かな熱帯雨林を出て、餌食にされる危険のなかで、子育てを確実に行う工夫であったという。こうした集団生活を営むなかで、大脳新皮質が増大し、社会性を高度化していき、言葉もこの過程で獲得されたものとのことである。

 

 すなわち、人間は、生存をより強固なものにするために、集団生活を営み、弱者への感性をより高め、共同保育をしたり、貴重なタンパク質源を平等に分け合ったり、さらに、より広い集団と接触するための言葉をもったりして、地球上に幅広く生存する生き物になったようである。私は、こうした人間の感性には、自然への畏怖や畏敬、権威を伴った権力や宗教への帰依といったものも含み、人間が集団として高度な社会生活を営む上での基盤になったように思う。

 

 しかし、近年になって、ヨーロッパにおいて、キリスト教の教義の根底を徹底しようとするスコラ哲学の破綻から産み落とされた科学革命によって、世界を客観的に定性的定量的に因果法則の論理として理解するという新たな視点が人類にもたらされた。この視点は、従来の感性を中核とした人間社会の運営の在り方を、根底から揺るがしたのではないか、と私には思える。その影響は、この数10年という短期間における指数関数的な科学技術の進展によって、私たちの日常生活の中にも、巨大な影を落としつつあるように感ずる。

それは、人類の数百万年のこの地球上での過程で育成されてきた感性に基づく社会性や心の在り方を、破壊してしまうほどの影響力を持つに到ったのではないかと感ずる。

それを具体的な例によって説明してみたい。

第一に、都市化が進んでいる。都市生活は、人々の感性に基づく共同体を排除する。マンションでは隣の人がどんな人なのか、はっきり分からないことはよくあることである。祭りの風習なども激減している。

第二に、組織のなかでは、成果主義による働き方が広がり、同僚のこととか、組織全体のこととか、長期的な人材育成のこととか、に目が届きにくくなっている。効率化やコスト削減のために、アウトソースが一般化し、不安定と低賃金を特徴とする非正規社員と呼ばれる雇用形態が広がりつつある。また、競争入札によって、建設、保育、介護などのサービス分野での人件費がカットされ、普通の生活が成り立たない状況も生まれているようである。研究者も任期を伴う雇用になり、安定した雇用環境ではなくなっている。

第三に、株主資本主義などに典型を見るように、資本の力が強まり、格差が急速に拡大する傾向にある。持てるものはますます富み、持たざるものはますます窮するということになる。移民問題、ワーキングプワー問題などにも波及し、政治課題にもなりつつある。

第四に、卑近なことだが、満員電車や混雑した通路で、スマホを見ながら歩く人が増え、周囲の人達の気持ちに配慮しない。自分の世界のみに閉じこもっているように思われる。なにかストレス度合いが増大していると感ずる。

 

こうした人類が数百万年に渡って育成してきた共同体としての感性が、科学技術の急速な浸透によって破壊されつつある、と指摘した訳だが、わたしは、人間の客観能力の飛躍的進化にも注目するべきだと感ずる。科学は、私たち人類に、対象を冷静に定性的定量的に因果関係を含めて、客観的に理解する方法をもたらした。今日の科学技術が、私たちの日常生活の便利さや快適さを飛躍的に改善させているなかで、私たちは、感性と同時に、この客観能力をうまく両立させる術を学ばなくてはならないのだと感ずる。わたしは、それを人間の全人格性と呼びたいと思う。

一人ひとりの全人格性が、真に活かされてはじめて地球社会は安定を得るのではないかと思う。米中ロの覇権争い、シリアなどからの大量の移民問題、イスラム原理主義のテロ行為、イスラム教のシーア派とスンニ派の対立、資源消費に伴う地球環境問題など、深刻な課題に今の地球はあふれている。

科学技術は、IT技術(クラウド、AI、IoT、ビッグデータ、検索、ロボット、自動運転、ドローン、等々)、医療技術(ゲノム編集、iPS細胞を使った再生医療、等々)、宇宙物理学(重力波天体観測、等々)など、その進展には目を見張るものがある。

 しかし、一人ひとりの全人格性が貧困のままで、もし、多数決論理のような仕組みで社会運営がされれば、人間地球社会は破滅するような予感も禁じ得ない。科学技術がいくら便利で快適な社会をつくりだしたとしても、欠陥をもつ感性やいびつな全人格性に基づく欲望が跋扈するような事態は避けなければならない。人類の全人格性のようなものを、適切に働かせるような仕組みを開拓することが、今後の人類の行方を左右するのではないかと思えてならない。



「負けること勝つこと(86)」 浅田 和幸

「問われている絵画(121)-絵画への接近41-」 薗部 雄作

【編集あとがき】

- もどる -

編集発行:人間地球社会倶楽部

Copyright © Chikyu All rights reserved.
論文募集