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第132号

2016年9月23日

「共同体としての地球社会に向けて思うこと」 深瀬 久敬

 

 私たち人間は、この宇宙のなかに存在する生きもののひとつであり、この宇宙は、物質によってつくられ、また、生命の存在というものも、この宇宙に普遍的なものなのではないかとも言われている。

 宇宙のなりたちについては、近年の素粒子物理学などの急速な進展によって、ダークマターやダークエネルギーを構成する新たな素粒子の探究など日進月歩のようである。

 生命についても、DNAや遺伝子解読、再生医療の基盤となる遺伝子の働き方の解明など、めまぐるしく理解が進んでいる。

 生物は、子孫を残す手段、獲物を捉える手段、敵から身を守る手段、環境の厳しさに耐える手段など、じつに複雑多様、精巧絶妙な工夫をこらしており、驚くばかりである。

 人間の体のなかの様々な細胞および臓器の、作りや働きや性能などを知るにつけ、自分の体のなかに、よくもこのような精巧で強靱な仕組みを持てたものだと不思議な気持ちにおそわれる。

 

 人間が生きもののなかでも変わっている点は、意識をもつことだと思う。他の生きものは、その生きる環境のなかで、与えられた条件を受け入り、それを所与のもとして生存を全うしようとしているように思われる。

 それに対して、人間は、意識をもつことによって、その生きる環境から一歩離脱した存在なのではないかと思う。

 火を扱ったり、道具を作り活用したり、家畜を飼ったり、農耕をしたり、言葉を使ったりして、意識は、私たち人間を自然のなかに埋没しているあり方から脱却させたのではないかと感ずる。

 

 さて、意識というものが、物質とか生命とかと同じように、宇宙に普遍的な原理として存在するものなのか、についてはよく分からない。普遍のものとすれば、この宇宙のどこかに、人間と同じような知的な活動を営む別の種類の(高等?)生命の存在する可能性が示唆されることになる。

 物質の誕生については、物質と反物質の対称性の崩れといった科学的知見が得られているが、生命や意識の誕生については、今後、どうなるのであろうか。水や有機化合物の複雑な反応の仕組み、生命の多様性や進化の過程の解明、等の研究を通して、少しずつ解明されていくのであろうか。

 

 人間の意識については、旧約聖書の創世記のなかの記述が有名である。すなわち、エデンの園にいたアダムとイヴが、禁断とされていた知恵の樹の果実を、蛇の誘いによって食べたことによってもたらされたとするものである。

 意識とはなにかということについて、厳密には分からないが、人間を環境とは距離をおく存在として自覚させ、環境そのものや集団としての自分たち、さらに、ひとりの個としての自分自身の存在を、なにかそうしたものから抜け出した存在として受け止めさせようとするものなのではないか、と思う。

 

 この意識の持ち方、向けられ方は、細かくはひとり一人の人間によって異なるが、文明、文化、学問、さらには、宗教、神話をもった民族といった括りによって、重きの置き方や共通性が異なり、それをくわしく見ることは簡単なことではなさそうである。

 一例にすぎないと思うが、キリスト教では、個々人の罪の意識がきびしく問われ、それは、キリストの十字架上での死によって贖罪され、そのことを通して、他者への愛の大切さを説くのではないかと思う。

 また、仏教においても、意識についての深い洞察があるようである。私の理解としては、人間は、世界を執着心のような偏った見方をする限り、安心を得ることはできず、したがって、偏りのない正しい認識や対応ができるような悟りの境地に入ることの大切さが説かれているように思う。そうした悟りの境地を探究するなかで、救われるのは自分一人ではなく、全ての人が救われることも同時並行して実現しようとする姿勢が基本になっているのではないかと思う。

 

 意識について、それが人間の内面に向けられるときは、宗教や神学となり、外面に向けられるときは、近代になって科学に昇華された、ということも可能ではないかと思う。

 さらにもう一歩踏み込むと、それが個としての自分自身の内面に向けられたときが大切だと思う。それは、デルポイのアポロン神殿の入口に刻まれた古代ギリシャの格言とか、ソクラテスの言とかと言われる「汝自身を知る」という意識である。ソクラテスは、それを無知の知とも言った。

 自分自身を知ろうとする意識が欠落したもとでは、人間同志の争いはなくならないと思う。自分の理解や判断を唯一絶対とする意識は、他者とのコミュニケーションを遮断する。自分自身の内面への意識を深化させることによって、人間同志や生きもの全てに、同じ共通の存在として、互いに未知なるものに対峙している存在であるという自覚を明確にすることが可能になる。そうした自分自身を知るという姿勢の欠落した状態で、科学や便宜的な(?)宗教の力によって、地球上の争いをなくそうとすることは不可能であると感ずる。

 

 このような理解を踏まえて、以下、いくつかコメントを付け加えたい。

 

 第一に、今日の地球社会は、近代に入ってからの第一次世界大戦、第二次世界大戦、米ソ冷戦構造などを経て、大量殺戮の悲劇や核戦争の脅威などを体験してきた。そして、そうした悲惨を回避しうるような仕組みの構築に努力してきた。しかし、今日、政情不安や経済格差に起因する移民・難民問題に端を発するポピュリズムや極右思想の広がり、共産党一党独裁を貫く中国の覇権主義の強まり、イスラム教の世俗的価値観の暴走、地球環境の加速化する異変、等によって、地球社会は、再び、恐怖や不安の心理の高まりを見せているようである。人間は、理性をもつとはいえ、相手の考えていることが分からず理解できない場合には、強い恐怖や不安に駆られ、それに耐えられず戦争に突き進む可能性が強まることを肝に銘ずるべきだと思う。自分自身の内面を深く掘り下げる姿勢を互いにもち、そこから互いの共通意識を探っていくことによってのみ、衝突は回避可能になるのだと思う。

 

第二に、今日、科学技術の指数関数的な進化によって、人間の存在そのものの意味が問い直されるべきときにきているように感ずる。人工知能、ロボット、情報検索、ビッグデータ解析、等によって、これまでは人間の知的活動によってのみ可能とされてきた分野までが機械に置き換わろうとしている。囲碁のような複雑なゲームにおいてさえ、人工知能ソフトがプロ棋士を凌駕する時代が到来している。人間の存在意義、価値は、その全人格性にあるとわたしは思う。ある特定の分野において、機械の方がうまく対応するとしても、それは深層学習のような教え込む技術をもってすれば、それは必然と言ってもよいのだと思う。自分自身とはなにものなのかと問う存在は、人間しかいないと思う。生活保護、ベーシックインカム、等の社会保障のあり方についての議論もある今日、基本的人権といった側面も含めて、そうした全人格性の観点からの見直しが必要になってきているように感ずる。

 

 第三に、自分自身とはなにものなのかという問いを掘り下げ、そこから人間同志、他の生きものとの関係に思いを巡らすことが、意味のあるコミュニケーションを深める上で大切ではないか、と述べた。そして、自分自身とはなにものなのかを問うとき、一神教的世界観に立つか、多神教的世界観に立つかは、その向き合い方に大きな相違を生ずるのではないかと感ずる。両方の観点からの様々な検討を比較吟味する作業を通して、掘り下げていく必要があるように思う。

 

 第四に、近代になって、フロイトによって心理学がひとつの学問体系として構築されたが、これは、人間の無意識、深層心理、潜在意識といった意識に焦点をあて、ヒステリー、ストレス、劣等感といった人間の意識の世界の働きを解明しようとするものである。私たちは、日常のなにかふとしたことを切っ掛けにして、ある思い込みにとりつかれたりすることがあるように感ずる。そうしたものが、自分自身を知る上で、大きな障害になったりすることもありそうである。精神療法、あるいは、宗教上の坐禅や瞑想といった行為によって、そうした思い込みの一部は解消できるのかもしれない。意識のことについては、さらにいろいろな科学的知見に基づく解明が期待される。

 

 第五に、人間や生きもの同志の建設的なコミュニケーションを実現するためには、まずは、自分自身を知るという習性が社会的に認知され、仕組みとして定着することが大切だという見解を述べた。しかし、このことは、そう簡単なことではないと思う。今日の産業経済力の強化を最優先するような価値観を奉ずる社会においては、なおさらである。行き過ぎた成果主義や機能主義によって、人間性が損なわれないか危惧される。また、テレビなどのメディアは、娯楽番組を通して、なにかそうした冷静な自分自身と向き合う時間を減らそう減らそうとたくらんでいるかのようにも感ずる。煽動的劇場的な見方が、感情的なアピールを伴って繰り返され、なにかそれに抵抗できないような社会的雰囲気が作られたりもする。こうした風潮は、世界的な課題なのではないかとも思う。なにか適切な方策をもたないと人類全体、地球社会全体が破綻してしまうのではないだろうか。

  

 以上、「自分自身を知ること」の大切さを述べたが、最後に、この宇宙は、100数十億年前にビッグバンという現象によって現れ、数十万後には光子が直進できるような晴れわたりがあり、その後、たくさんの銀河団ができてはぶつかり、超新星爆発を起こしたりし、いろいろな物質が作られた。そのなかでわれわれの天の川銀河も形成され、45億年前くらいに太陽系の惑星として地球が誕生した。その後、水を含む隕石が多数衝突し海洋ができたり、ジャイアントインパクトによって月が地球の惑星となり、その結果、地球の自転が安定し四季が生まれ、潮溜りができ生命を揺籃する基盤になったとも言われる。地球は、磁場をもち、生命に有害な放射線から守られ、大気をもつことによって安定した気温を保つことができている。今日の私たちの生活は、奇跡的ともいえる、こうした数十億年、数千万年の時間の流れの結果としてできたものであることを私たちは噛みしめる必要があると思う。私たちという生きものが、今後、どのような存在として、この宇宙のなかに存続するか、それが今、問われているのだと思われてならない。



「負けること勝つこと(88)」 浅田 和幸

「問われている絵画(123)-絵画への接近43-」 薗部 雄作

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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