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第132号

2016年9月23日

【編集あとがき】

 

 浅田さんの論文=囲碁や自動運転や画像診断などにおける人工知能の飛躍的進化には、感嘆するとともに恐怖すら覚えます。AIを駆使したドローンによる殺人兵器やプライバシーを徹底して探索するような人工知能が開発されたりすると、なにかそらおそろしい感じもします。

 ただ、私が思うことは、AIが、自分自身とはどのような存在なのか、と自問したり、宇宙のなかのひとつの存在としての全人格的な問題意識を巡らすことはないのではないか、とも思います。人間とは、そうした自分自身の存在を問い、全人格的な関心をもち、他者との共存に悩んだりする存在なのだ、ということを改めて認識する必要があると思います。近代社会では、基本的人権とか、個の確立とか、言われますが、人間とはなにかという問いが、より深く問われる契機になっているようにも感じます。

 現実に、AIがいかに進歩しても、大量に発生する難民問題、多様的価値観を拒絶する極右思想の高まり、武力的脅しを伴う領土問題、頻発するテロ活動、経済的格差の深刻化といった課題がスマートに解決されるとは考えにくいと感じます。

 

 薗部さんの論文=自分自身になりきりこととか、自身の根っこから生まれてきた作品といったことは、本号のわたしの言葉では、自分自身とはどような存在なのかを問い、自分自身を知ることに近い概念のように感じます。あなたは自分自身をどの程度理解していますかとか、自分自身を知るためにどのようなことを行っていますか、と問われたとして、どう返答するか、正直、困ります。他者から、あなたは自分自身のことがまるで分かっていないのではないか、と詰問されたとき、どう反論するか、困ります。そして、自分自身を知るということは、自分の世界に止まらず、全体をひとつとして捉えることができるような認識になっていないと、逆に拒絶反応のみをまき散らし、困ったものになるのではないかという懸念もあります。ひとつの試みとして、公案を使った坐禅とか瞑想とか、あるようにも思います。はっきりは分かりませんが、絵画芸術という世界にも同じようなことが言えるのではないかという印象も持ちます。セザンヌの絵の静謐さには、なにかひかれるものがありますが、それがなんなのかと問われても困る感じです。



「負けること勝つこと(88)」 浅田 和幸

「問われている絵画(123)-絵画への接近43-」 薗部 雄作

「自分自身を知ることの大切さ」 深瀬 久敬

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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