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第133号

2016年12月20日

「負けること勝つこと(89)」 浅田 和幸

 

 前々号でテーマにしていましたアメリカ大統領選挙の結果が明らかになりました。日本のマスコミを含め、ほとんどのメディアが、クリントン候補の勝利を予想していましたが、結果は、トランプ候補の勝利となり、予想は大きく外れたのでした。

 この予想外のトランプ候補の勝利を「トランプ・ショック」と呼び、アメリカ国内だけでなく、世界中に衝撃が走りましたが、このマスコミの予想の外れの原因は、アメリカ国民の中に渦巻いていた欲求不満に対して、的確に分析が行われていなかったことを改めて露呈したように思われます。

 それは、アメリカの繁栄の基礎であった二十世紀型資本主義が、国内において崩壊し、その恩恵に預かっていた人々が、恩恵を享受出来なくなったことに起因しているようにわたしには思えるのです。

 二十世紀のアメリカは、二つの世界大戦を足掛かりにして、経済的な繁栄の頂点に立つことが出来ました。第一次世界大戦により、それまで世界経済を牛耳って来たイギリスを始めとするヨーロッパ諸国が疲弊し、かつてのパワーを喪失していく中、戦争による甚大な被害を受けなかったアメリカは、経済的にも軍事的にも世界最大のパワーを手にすることになりました。

 ただ、千九百二十九年の大恐慌により、アメリカ国内は不況の洗礼を受け、失業と混乱の低迷した時代を過ごすことになりましたが、第二次世界大戦が起こったことで、軍需産業を中心に、経済は大幅に回復し、第二次大戦後に、アメリカは世界一の豊かさと繁栄を手に入れることになりました。

 第二次大戦後のヨーロッパは、戦火により疲弊し、その代わりにソ連がパワーを増し、アメリカと対立する構造は、冷戦と呼ばれ、アメリカは資本主義社会を代表する国家として、世界に君臨することとなりました。

 その後、アメリカは「世界の警察」を自任し、ベトナム戦争を始めとする世界各地での局地戦に軍隊を送り、最終的には、社会主義を標榜していたソ連を始め、多くの社会主義諸国が政治体制を変え、現在に至っています。

 つまり、アメリカは、第二次世界大戦の戦勝国家として、最もパワーを持ち、成功した国であったはずでした。そして、アメリカ国民も、その豊かさを享受し続けられると思っていました。

 しかし、現実はそうはなりませんでした。社会主義国家が敗北し、それまで対立していた構造が変化したことで、経済的には、国境を越えてお金、人、ものが自由に行き来するグローバル化時代を迎えたのでした。

 そして、そのグローバル化が、それぞれの国の人々の生活を豊かにし、便利にすると世界中の人々は、大きな期待を抱いていたのでした。

 残念ながら、実際はそうはなりませんでした。それまで自国民を相手に営まれ、育んできた産業は、世界を相手に戦わなくてはならなくなったのでした。当然、安く更には質の良い品物が、市場に溢れることになります。

 その結果、国際競争力を失った産業は、衰退し、そこで雇用されていた人々の雇用も失われることとなりました。それ以前にも、経済摩擦といったように、価格の不均衡により、自国の産業が脅かされることでの経済的な軋轢はありました。

 ただ、その大部分は、二国間の争いであることがほとんどで、多国に渡る争いというものは少なかったように思いますが、グローバル化は、二国間ではなく多国間の競争を激化したのでした。

 その過程で、アメリカ社会を支えていた中流階層の白人労働者の生活が、厳しい試練に晒されるようになりました。戦前からアメリカ経済を支えていた製造業を中心に、グローバル化によりかつての力を失っていたのでした。

 わたしが、中学生だった五十年前、地理の時間にアメリカ五大湖周辺の工業地帯ということで、自動車製造のデトロイト、製鋼都市ピッツバーグなどが、アメリカの基幹産業として教科書に掲載されていました。

 ところが、現在は全く様相が異なっています。かつての基幹産業で栄えた都市は大きく衰退し、労働者の住居だった地帯では、空き家が目に付き、住んでいる人たちも職を持たない貧困層が目立つという有様です。

 これは、安い労働力や集約的労働により、アメリカの自動車よりも性能が良く、安価な商品を提供できる国々からの貿易だけでなく、それらの海外資本がアメリカに新たな工場を作り、そこで生産するという方式を取り出したことにより、アメリカブランドの自動車は、国際だけでなく、国内的にも価格競争力を失ってしまったということです。

 そして、アメリカがここまで発展してきた原動力である移民政策も、マイナスの働きをするようになって来たのでした。アメリカが力強く発展できた背景には、世界各地から集まって来る若い世代を「移民」という形で積極的に受け入れて来たところにあったのです。

 勿論、合法的な移民だけでなく、非合法な移民も数多くありましたが、それらの安い労働力を当てにしてアメリカ社会が成り立っていたことも事実なのです。

 ただ、既存の労働者にとっては、彼らの存在は脅威になります。何故なら、雇い主が、安い労働力を求めている以上、職を得ようとする新たな移民の市場での価値は、「安い労働力の提供」ということにならざるを得ないからです。

 つまり、それにより労働者同士の対立と亀裂が生じます。勿論、これまでも対立はありました。遅れてやってきた移民たちが、額に汗して働くことで、やがて成功を修めるという「アメリカン・ドリーム」は、アメリカ人の生き方の大いなるモチベーションになって来ました。

しかし、グローバル経済の浸透により、これまでの基幹産業が衰退していくアメリカ社会において、かつてのように競争を勝ち抜いた結果手に入れることができた「アメリカン・ドリーム」は変質し始めていたのです。

ところが、その現実を受け入れられぬまま、従来の価値観の下に、競争に敗北するのは弱者であり、己の才能の無い人間として評価されても致し方ないという基準により、多くのアメリカ人は、苦しむことになったのでした。

 従来の価値観を支えていたものは、グローバル化した世界では、上手く機能していかないことが明らかになって来ました。それは、現在の資本主義が、かつての「モノ作り」を基盤のしたものではなく、金融を中心にした構造に様変わりしてしまったからです。

 富の源泉は「モノ」ではなく、株や金や通貨といったものを取引する中で生み出される「利ざや」になったのです。これが、トランプ候補もサンダース候補も批判していた「強欲なウォール街」によって推進される金融資本主義でした。

 「利ざや」を稼ぐ。まさに、「モノ作り」とは無縁のマネーゲーム。そこから得られる富が、アメリカを、世界を動かしているのです。そして、このゲームに入れない人間は、富の恩恵の預かりを得ることが出来ないのが現実です。

 つまり、額に汗しながら努力し、ちょっとしたチャンスを手に、成功の階段を駆け上っていくといった、かつてのような夢物語は、もうどこにも存在しないのです。

 高等数学とコンピーターシステムを駆使し、金融工学による錬金術を生み出せる頭脳の持ち主しか参加できないゲーム。そして、そのゲームが引き起こす破たんや崩壊で、それまでの安定した生活を失い途方に暮れる一般の人々。

 これが、サブプライム・ローンが崩壊し、大手証券会社リーマンブラザーズが破たんした際に、実際にアメリカ国内で起きた社会現象でした。

 これに対して、一方ではサンダース候補のように、社会主義者を標榜し、強欲な金融資本主義を是正していくスローガンを掲げる候補と、トランプ候補のように、グローバル化を阻止し、再び、偉大なアメリカ、豊かなアメリカを作るというスローガンを掲げる候補が、今回の大統領選挙で、大きく支持を得た要因であったようにわたしは思っています。

 さて、ここまで、アメリカ国内の状況について書いてきましたが、今回の大統領選挙は、アメリカ国内もさることながら、日本国内にも大きな衝撃を与えたように思います。

 その衝撃により、この言葉が適切かどうかは分かりませんが、「アメリカへの幻滅」が日本人の心の中に生まれたということです。

これまでにも、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争といった局地的な戦争の際に、アメリカの攻撃的姿勢に、批判を唱える日本人は多くいました。しかし、アメリカに「幻滅」することはなかったように思います。

 それは、大部分の日本人が、どこかでアメリカの正義を信じているところがあったからでした。確かに、強引な点は批判しながらも、その背景には、アメリカの唱える「自由」「民主主義」「人権」といった価値観を守るための正義が存在していると思っていたからだと推測します。

 それが背景がある限り、アメリカの姿勢は正しい。それ故に、日本もその姿勢を評価し、支持するのだという暗黙の了解があったように思います。

 そして、アメリカが標榜する価値観への信頼、アメリカが果たす正義、それを、戦後の日本人は、絶対的な価値として認めて来たという歴史があったということです。

 それでは、こういうアメリカ像が形作られた原因と言えば、戦後のアメリカの占領政策にあったことについては、以前の原稿で書いたことがありますので、ここでは余り詳しくは論じません。ただ、それを一言で言えば、ソフトな洗脳というものでした。

無理やり、価値を押し付けるのではなく、憧れであったり、羨望であったりする映像を見せることで、見ている側に、それが「素晴らしい価値」であることを、無意識の内に刷り込むこと。それがソフトな洗脳の実態でした。

 考えて見れば、戦前の日本に生まれ、アメリカとの戦争を体験した日本人は、戦場の兵士だけでなく、国内で生活していた子どもから年寄りまで、「鬼畜米英」といった、アメリカやイギリスに対しての憎悪を共有させられていました。

 これもメディアを使用した洗脳でした。特に、子どもたちの柔らかな脳に対しては、誠に有効に働き、子どもたちは、皇国の兵士として敵と戦い、死ぬことこそ最高の生き方であることを、刷り込まれたのでした。

 ところが、どうでしょう。敗戦後、鬼畜米英として憎悪の対象であったアメリカは、百八十度転回し、憧れの国になったのでした。この大変身について、わたしは自分の両親に問いかけたことが以前ありました。

 その際の答えは以下のようなものでした。父親は主に中国大陸に従軍していたため、直接、アメリカ兵との戦闘を行ったことがなかったため、アメリカ兵に占領された日本に帰国しても、アメリカ兵を憎いとか、殺してやりたいとか思ったことは無かったというのでした。

 母親は、元々、映画などを通して、アメリカの繁栄や豊かさを知っていたから、アメリカに対して憧れはあったが、特に、憎悪というものは無かった。ただ、戦争になり、鬼畜米英というスローガンで、アメリカを憎むように強制されたが、実際に、アメリカ人と会ったこともないため、何をどう憎めば良いか分からぬまま、世の中の大勢に合わせていたというのでした。

 両親二人とも、アメリカとの戦争の際には、成人になっており、子どもたちのように、簡単に洗脳される年齢では無かったこともあり、アメリカ憎悪・敵視政策の刷り込みは、不十分であったため、このような感想に至ったと思いますが、実は、当時を生きていた日本人の平均的なアメリカ観で無かったかと思われます。

 そして、戦後アメリカの占領軍が行った、日本人へのソフトな洗脳により、子どもたちだけでなく、両親の世代も同様の洗脳により、アメリカへの憧憬が形作られたのでした。

 これも子どもの頃の記憶ですが、二つの暗殺事件についての母親の反応が忘れられません。一つは、当時日本社会党の委員長だった浅沼稲次郎氏が、演説会場で青年に刺殺された事件です。そして、もう一つは、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディが、ダラスで狙撃され暗殺された事件です。

 一つは日本で、もう一つはアメリカで起きた悲劇的事件でしたが、母親は、日本で起きた事件よりも、アメリカで起きた事件の方に激しく反応したのでした。

 浅沼委員長が刺殺された時には、そのニュースを見ながら、「気の毒にね」といった感想を漏らしていましたが、ケネディ大統領の暗殺の第一報を耳にした際は、まだ、寝ていたわたしを叩き起こし、まるで身内の人間が亡くなったように「大変なことが起きた!ケネディ大統領が殺された!」と泣き出さぬばかりに取り乱していたのでした。

 自分の国の政治家でないアメリカ大統領ケネディの死に対して、この激しい反応は、多分、わたしの母親だけでなく、当時の日本国民の大多数の反応だったように思います。

 そこには、日本の政治家よりも、アメリカ大統領を尊敬する価値観が広く日本人にはあったように思います。自国のリーダーよりも、アメリカのリーダーを尊敬する。ある意味倒錯した感情ですが、それを当時生きていたほとんどの日本人は、倒錯とは認識していませんでした。

 勿論、この後にベトナム戦争に対する反戦運動、原子力空母エンタープライズの寄港反対闘争、日米安全保障条約の自動延長への反対闘争などなど、反米的な機運の高まりは、日本国内にも生じはしましたが、基本的に日本国民の大多数は親米的であったと評価してよいと思います。

 それが、今回のトランプ候補の大統領就任を機に、無条件にアメリカを礼賛して来た日本人の心の内に、陰りが生じ始めていると言えば、言い過ぎになるでしょうか?

 その理由は、戦後一貫してアメリカが掲げて来た理想、そして、大多数の日本人も、それが理想であると信じて来た価値観を、否定するリーダーが出現したからです。

 前にも書きましたように、わたしたち日本人は、戦後のアメリカの占領政策により、ソフトな洗脳に晒し続けてきました。それは、一般の人々だけでなく、日本の政治家も、学者も、マスコミも、例外なくその影響を受けて来たのでした。

 だから、民主党政権になり、鳩山総理が、沖縄の基地問題について、海外への移転を進めるといった政策を表明した時に、保守的な政治家、保守的なマスコミだけでなく、あらゆる層から、それについて厳しい批判の声が飛び出し、最終的に、それが致命傷となり鳩山政権が退陣することとなりました。

 つまり、この沖縄の基地問題を始めとする日米の軍事協定は、両国関係の根幹であり、それを否定することなど許されることではないと考えられていたものが、トランプ候補の一言で、グラグラと揺れることになりました。

 勿論、あくまでも選挙キャンペーンの中での一言であり、実際の政策として、日米軍事同盟の根幹が変化する可能性は極めて低いと言わざるを得ませんが、そういう疑念を抱かせる言葉を、アメリカの次期大統領になるかも知れない人間から発せられるとは、日本の国民にとってはまさに寝耳に水といったものだったように感じます。

 正直な所、安倍総理が常々口にしている「戦後レジュームからの脱却」ということを、彼が真剣に取り組もうとするなら、まさに、トランプ候補の言葉尻を捉え、米軍抜きの自主防衛路線へと舵を切るのだと宣言してもおかしくはありません。

 ところが、残念なことに、現実は全く逆で、まだ大統領にもなっていないトランプ候補の元にはせ参じ、「今後とも仲良くお願いします。」といった媚びを売ることを「国益」と称して恥も外聞もなくやっています。

 この安倍総理の姿勢を見る限り、彼が常々口にしている「戦後レジュームからの脱却」とは、アメリカの核の傘の下に入りながら、戦前の復古主義的な社会を構築したいだけにしか思えません。

 本気で脱却を求めるなら、まず、アメリカからの脱却、具体的に言えば、アメリカ軍の軍事基地を日本から無くし、占領政策を終わらせることがまず手始めになると思われます。

 それについて、トランプ候補は、日本政府が、日本に駐留しているアメリカ軍に対して十分な処遇を行っていないと批判し、それ故、日本の防衛ためにアメリカ軍の兵士が血を流すことなどもさせない、更には、日本が独自で国を防衛するなら、核兵器を所有することも許すといつた発言まで行っているのです。

 但し、あくまでも選挙キャンペーンの一環であり、実際に政策として実施するかどうかは分かりませんが、戦後の日米関係を根本的に覆す発言が、アメリカの次期大統領候補から発せられたということは、多くの日本人にとって驚きであったことは間違いなかったと思います。

 更に、これまでアメリカが掲げて来た理想、それは、同様に日本も含め世界の理想であると信じていた価値観を否定されたことで、今後は、何を支えにしてアメリカと向き合えば良いかということで、先行き不安も漂っているのです。

 現在の日本人の心境を例えるなら、教師として慕い、敬愛し尊敬して来た先達者が、突然、それまでの価値観や教えを否定し、これまで自分が言ってきたことは、全く真実では無かったと告白されたような心境と言えば良いでしょうか。

 いずれにしても、これまでのように、アメリカの指し示す方向を、なんの疑念も疑問も無く受け入れ、喜々として従っていれば、日本は良い方向に進んでいくと言った神話めいた確信は、全く役に立たなくなる可能性があることを、わたしたちが戦後初めて知らされたということではないでしょうか。

 太平洋戦争に勝利し、占領軍の司令官として日本に赴任したマッカーサー元帥は、「日本人は十三歳の子どもだ」と評し、それ故、「わたしたちアメリカが彼らを指導し、大人へと成長させなくてはならない」と続けたという逸話が残っています。

 その逸話が真実であるなら、戦後七十年という歳月を通して、わたしたち日本人は、アメリカを良き教師として学び、成長を遂げて来たということになります。

 現在の日本及び日本人の姿を見て、マッカーサー元帥はどう評価するかは分かりませんが、少なくても成長したことだけは認めることと思います。

 そういう視点に立った上で、このトランプ次期大統領を見ると、多くの日本人が、良き教師と思っていた者が、実は、十三歳程度知能と見識しか持っていない偏見の持ち主だと言うことに気づき、そんな教師にこれからもついていけば良いのだろうかと逡巡している実態が浮かび上がってくるのです。

 トランプ候補が、正式に大統領となる来年一月以降、わたしたちは、戦後初めて経験する日米関係に一喜一憂するのか、それとも、言葉は過激だったが、実態は何一つ変わらなかったことに拍子抜けの気分を味わうのか、トランプ氏の動向に、しばらくは目が離せないことになりそうです。



「問われている絵画(124)-絵画への接近44-」 薗部 雄作

「宗教について改めて思う」 深瀬 久敬

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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