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第134号

2017年3月22日

「負けること勝つこと(90)」 浅田 和幸

 

 もう数十年ぐらい前になりますが、「アメリカがくしゃみをすると日本が風邪をひく」といったような表現をよく目にしたものです。これは、いかに日本にとってアメリカの影響が大きいかということを例える表現として、使われたわけですが、当時、この使われ方に疑義を呈するような日本人はおりませんでした。

 つまり、当時の日本人自身が、アメリカの影響力について十分に認識しており、それを否定することなどとても出来ないなと思い込んでいた節があったからでした。

 ただ、東西冷戦状態が崩壊し、アメリカとの関係同様に、中国や韓国といった近隣の国々との政治的、経済的な関係が深まっていく中で、以前ほど、アメリカの影響力は少なくなってきたのではないかと、感じている日本人も増えて来たようでした。

 実際、外国からのニュースも、アメリカ一辺倒ではなく、東アジアや東南アジアは基より、ヨーロッパや中東、さらにはアフリカといった国々のニュースに触れる機会も多くなっていました。

 ところが、そういう日本人の認識を、徹底的に覆す事件が起きたのでした。それは、昨年十一月のアメリカ大統領選挙で、トランプ大統領が誕生したことによって引き起こされた事態でした。

 それまで、少なくとも表面上は、独立国としての体裁を整えていた日本の政府が、トランプ大統領の「日米関係を見直す」という発言で、パニック状態に陥ったのでした。

 特に、日本の駐留米軍の財政的負担が少ないのではという、全く根拠のないトランプ大統領(その時はまだ大統領に就任していなかった)の呟きに、慌てふためいた政府は、安倍首相がニューヨークまで出向き、会談を申し入れ、日本の立場を説明するといった事態にまでなってしまったのです。

 勿論、このトランプ大統領の発言は、全く根拠のない憶測以上のものではありませんし、更に、大統領の公式なステートメントでもない、私的なツイッターでの呟きでしかありませんでした。ところが、まるで天地がひっくり返ったかのような慌て方をして、ニューヨークまで赴く安倍総理大臣の姿は、かつての中国の歴代王朝に出かけて行った日本の支配者たちの朝貢貿易を思わせるものでした。

 唯一違うのは、朝貢貿易なら、先方が倍返しで貢物をお土産としてくださるのに、今回は、日本からの貢物を手渡しただけで、相手からは何一つ頂けなかったということでした。

 さて、こういう日本政府の慌てふためきぶりを眺め、連日、新聞やテレビでトランプ大統領の動向や発言が取り上げられているのを見るにつけ、どうやら、上記に綴ったように、「アメリカがくしゃみをすれば、日本は風邪をひく」という表現が復活すると共に、単なる「風邪」でなく、別の種類の病気に罹ったのではないかと思うのはわたしだけでしょうか?

 そして、慌てふためいている張本人が、「戦後レジュームからの脱却」を声高々に掲げて総理大臣になった安倍晋三氏というところに、アメリカと日本との関係の複雑怪奇さが存在しているようにわたしは感じるのです。

 例えば、トランプ大統領から、駐留費が少ないという指摘があったとするなら、現在の財政的な負担以上の負担を今後強いられる可能性をその発言から見て取り、それでは、アメリカ軍の駐留を段階的に縮小していくといった選択肢を検討する機会として、政府自らが考えて行くという方針もあったとわたしには思えるのです。

 勿論、防衛問題である以上、軽々に判断をし、日本だけで事を進める訳に行かないことは承知の上での発言です。しかし、戦後七十有余年を経過し、更には、日米安全保障条約が締結されて五十七年を迎える中で、当時の国際状況とは全く変化してしまった現状と向き合っていく上においても、そういう設問を自らに問いかける必要はあると考えています。

 そして、「戦後レジュームからの脱却」というテーゼを振りかざし、憲法改正にまで踏み込もうという勇気のある安倍総理大臣であるなら、トランプ大統領の発言は、まさに千載一遇のチャンスであり、自らの思想を実践に移す絶好の機会と捉えてもおかしくないようにわたしには思えました。

 だから、安倍総理大臣の発言に期待したのでしたが、残念なことに全く期待外れでした。それどころか、これだけ手厚く駐留費を日本は負担しているので、それを評価してください。どこの国よりもアメリカに貢献していますよと笑みを浮かべ、トランプ大統領ににじり寄っていったのでした。

 安倍総理大臣の「戦後レジュームからの脱却」という言葉の意味は、現在の日本社会に残っている敗戦によって生じた「くびきで」あることとわたしは理解しています。

 その中でも、最も大きな「くびき」は、沖縄を始めとして、日本各地に残っているアメリカ軍の軍事基地ではないでしょうか。千九百五十一年、サンフランシスコ条約により、日本はアメリカの占領から解放され、独立国家として国際社会に承認されたのでした。

 ただ、当時は中朝国境で紛争が頻発しており、それが翌年には朝鮮戦争に拡大し、半島を分断する激しい戦争の前夜ということで、占領軍(GHQ)による統治は終了しましたが、朝鮮半島での有事に備え、アメリカ軍の軍事基地を日本国内に残すという方向で、アメリカと日本政府との合意があったようです。

 但し、これはあくまでも朝鮮半島の有事の備えということで、恒久的なアメリカの軍事基地設置ということではないという認識が、日米政府双方の合意としてあったようでした。

 しかし、翌年の朝鮮戦争、それに続いての朝鮮半島南北分断、アメリカをリーダーとした資本主義陣営とソ連をリーダーとした社会主義陣営の対立(東西冷戦)といった国際情勢により、日本のアメリカ軍の軍事基地は、一時的なものではなく、恒久的なものとして、日本各地に残され、現在に至っています。

 そういう意味で、前に書きましたように、「くびきからの脱却」という点では、このアメリカ軍の軍事基地を日本が取り戻すということは、象徴的な出来事として、日本国民全員に認識してもらえる政策であるとわたしは考えています。

 それなのに、安倍総理大臣は、折角のチャンスを行使することはありませんでした。それどころか、なお一層の軍事同盟の強化を、アメリカにお願いし、それに見合った応分の負担を今後とも続けて行きたいと語ったようです。

 あれほど、勇ましく「戦後レジュームからの脱却」を宣言していた安倍総理大臣のこの変身ぶりについて、マスコミも含め日本人からも声が上がらないのはどういうことでしょうか?

 これは、安倍総理大臣だけでなく、日本人も、心の片隅では、アメリカ軍の軍事基地を必要なものとして容認しているということでしょうか?

 実は、以前、このシリーズの中でも取り上げさせていただいた白井聡氏が書かれた「永続敗戦論」という本の中で、白井氏が、同じような疑問を呈されていました。

 つまり、わたしたち日本人は、アメリカとの戦争に敗北したという事実を直視せず、戦後の時代を生きて来たことで、本来なら理不尽であるとか、おかしなことであるといった現状を、意識下に押しやって目を瞑ることで問題自身を消しているというのです。

 どうでしょうか。世界第三位の経済大国であり、独立国家である日本に、アメリカ軍の軍事基地が多数あり、その米軍の駐留費用を日本人の税金から賄っている。

 これは、表面的には、ヨーロッパのルネサンス時代にあった「傭兵制度」に似ています。国の守りを自国民ではなく、雇った兵士たちに任すという制度は、当時として合理的な制度だったようです。

 しかし、体裁は似ていますが、日本とアメリカ軍との関係は、傭兵制度ではありません。日米安全保障条約という国家間で締結した条約に基づいて軍事基地を日本がアメリカに提供しているのです。

 このことについて、わたしたちはほとんど疑問にも思っていません。アメリカ軍が日本を守ってくれていると心の中で理解しているからです。

 ところが、日本には自国防衛のための「自衛隊」という組織があります。朝鮮戦争が勃発した千九百五十二年に「警察予備隊」という名前で組織され、やがて「専守自主防衛」を名目にした「自衛隊」に改称され現在に至っています。

 ここで、日本以外の国の人たちは、ちょっと不思議に感ずるのではないでしょうか。何故なら、日本が「自衛隊」という防衛を目的とした軍事組織を保持しているのなら、アメリカ軍に基地を提供し、駐留費まで支払って、日本の防衛をしてもらう理由はどういうことなのか・・と。

 この問いに対する答えは、日米安全保障条約により決められているというものが、多分正解だと思われますが、実は、全く答えになっていないのです。

 名称はともかくとして、日本の自衛隊は、予算規模や装備や兵器といった面からしても、世界の中では、決して低いレベルではありません。

軍事大国と呼ばれているアメリカ、ロシア、中国などとは比較になりませんが、東南アジアの国々などと比較すると、その規模の突出ぶりが明確になって来ます。(二千十五年度のストックホルム国際平和研究所のまとめた「世界の軍事費動向」によるとフランスに次いで軍事費は世界第八位。ドイツよりも多い。)

これだけの軍事費を支出している日本でありながら、アメリカの軍事基地が必要という理屈は、単に軍事的な問題というよりも、別の問題があるからだと思います。

つまり、それが白井氏の喝破した「永続敗戦論」なのです。十分に自立していける能力を持っていながら、自分たちは自立してないと思い込み、他人に依存することで、現状から目を逸らすという生き方です。

かつて、防衛費をアメリカに肩代わりしてもらうことで、日本は高度経済成長が可能になり、国民は経済的に豊かになったという筋書きを語る人たちがいました。

確かに、そういう面があったことを否定するつもりはありませんが、それでは現在もそうかというと首を傾げざるを得ません。世界第八位の軍事費を支出している国が、アメリカに防衛を肩代わりしているなどと本気で言えるのでしょうか。

それは、トランプ大統領が得意とする「オルタナティブ・ファクト」です。「もう一つの事実」を、わたしたちは真実だと思い込もうとしています。

実際、中国の軍事費が増大し、最新式の装備を備えるようになったという報道を目にした日本人は、中国の軍事的な脅威から身を護るために、日本の軍事費も増額し、装備も最新式にすべきだと考える人が大多数のようです。

しかし、その一方で、自分たちが中国の軍事的脅威と対峙するのではなく、なにか問題が生じたら、アメリカ軍が助けてくれるはずだと期待している人も大多数のようです。

そして、日本国内にあるアメリカ軍の軍事基地は、日本国を、日本人を守ってくれるために設置されており、それ故、戦後七十有余年を経過しても、そのままになっていると考えたがっています。

勿論、そういう目的が全くないとは言えません。実際に、自衛隊と駐留アメリカ軍は、合同訓練を実施し、非常時に対しての対応を日々訓練しています。

ただ、前に書いた日本人の願望とは裏腹に、アメリカ軍の目は、日本だけを見ているわけではないということです。駐留米軍の主要な目的は、日本の基地を前進基地として、ロシア、中国、北朝鮮といった国々を監視する役割を担っているということです。

こういう見解を述べると、一つの反応として、ソ連が崩壊する以前の東西冷戦の時代なら兎も角、現在は、アメリカはロシアや中国とも様々な国際関係を構築しているので、そういう役割は随分減っているに違いないというものです。

では、そうであるなら何故アメリカ軍は日本に軍事基地を置いているかという疑問が残ります。いらないものであるなら、多分、東西冷戦が崩壊した段階で、アメリカ軍は日本から撤退していったことでしょう。

実際、フィリピンでは、東西冷戦後に、アメリカ軍はフィリピン国内の軍事基地から撤退し、現在、フィリピン国内にはアメリカ軍の基地は存在していません。

勿論、フィリピン政府の要望といったこともあったと思いますが、それよりも、アメリカ軍にとってフィリピン国内の基地の重要性が薄れた結果だと言うことです。

その証拠として、中国が南シナ海の南沙諸島を軍事化していく中で、それに反対し国際裁判所へ提訴したフィリピン国内の中で、圧倒的な軍事力の開きがある中国に対して、再び、アメリカ軍に軍事基地を提供し、抑止力として働いてもらおうと言った議論があると報道されていました。

しかし、現在までのところ、アメリカ政府の動きはありません。これは、アメリカにとって、フィリピンの軍事基地は必要ないと言った戦略的な結論が出ているからだろうと思います。

つまり、アメリカ軍が、日本に軍事基地を残している理由は、アメリカの世界戦略において、まだまだ日本の基地の重要性があるからに他なりません。

しかし、その事実を、わたしたち日本人が認めたがらないのです。国内のアメリカ軍の軍事基地は、日本を、日本人を守るために必要不可欠なものである、そして、そのためには税金を投入しても問題は無いと。

だから、民主党政権が誕生し、鳩山総理大臣が、沖縄のアメリカ軍基地について、沖縄ではなく、それ以外の場所にと宣言した時に、驚くようなパッシングが巻き起こったのでした。

自分たちを守ってくれるアメリカ軍を、別の場所に移すなど、なにをバカげたことを言っているのだという反応は、保守、革新を問わず、国内で巻き起こったのでした。

それと対照的な姿勢を取るのは現在の安倍総理大臣です。口では「戦後レジュームからの脱却」と言いながら、アメリカとの軍事同盟は、日本にとって無くてはならぬものであり、更なる同盟の強化をトランプ大統領と確認し合ったと、訪米後の記者会見で語り、国内の大多数の人々は、その言葉に安堵したのでした。

しかし、先ほどから何度も繰り返しているように、これは日本人が勝手に抱いている根拠なき妄想を真実と錯覚した思い込みなのです。あくまでも日本人の願望に過ぎないのです。

実は、トランプ大統領が、選挙期間中の演説の中で、日本人が信じ込みたいと考えている願望に冷や水を浴びせるようなメッセージをアメリカ国民に披露していました。

それは、日本は軍事費負担に応分の貢献をしていない、そんな国をアメリカ軍が守る必要があるのか?というものでした。これは、トランプ大統領まで、第二次世界大戦後に、アメリカ大統領に就任した大統領からは、一度も発せられたことのなかった言葉でした。

アメリカ軍が日本を、日本国民を守ってくれることは、疑いようもない真実であり、そのために、日本政府、日本国民は、自らの国土をアメリカ軍の軍事基地に提供し、「思いやり予算」と言われている駐留費用までも税金で払ってきたのでした。

それはまさに阿吽の呼吸として、お互いに理解し合い、その信頼関係の基に、戦後七十有余年、アメリカ政府に付き従ってきたという強烈な思いが、わたしたち日本人の大多数の心の中にあるのです。

それを、突然、否定するような発言をされ、それまで信頼していたアメリカへの信頼度か揺らいだと感じた日本人は、とても多かったのではなかったでしょうか!

だから、二月に安倍総理大臣が訪米し、トランプ大統領と仲良くゴルフをし、握手をし、従来通りの同盟関係を維持していくと約束してくれたことで、漸く、トランプ大統領の出現で不安に思えていた日米関係の今後に、安心感を抱くことができたのではなかったでしょうか。

しかし、そんなに簡単に安心してよいのでしょうか。トランプ大統領に対するアメリカ以外での評価は、ビジネスマンとして成功したが、政治的経験が無いために、特に、外交問題に関しては未知数だと言われています。

ところが、アメリカ国内では、逆に、政治経験が無いことで、これまで惰性的に継続して来た国際関係を、経済的合理性とアメリカ第一主義で一刀両断し、新たな関係の構築を図ってくれることへの期待の方が大きいのです。

そう考えて見れば、これまで東アジアの軍事的戦略構想は、日米安保を基軸に構築されてきたという、前例など全く無視し、新たな軍事同盟や力関係の基に、現在のわたしたちが想像を絶する国際的環境が生ずるリスクを否定するわけにはいかないとわたしには思えるのです。

例えば、北朝鮮との関係です。北朝鮮は、アメリカと平和条約を締結したいと盛んに核弾頭を搭載できるミサイルを開発したことをアピールしてきました。

それに対して、アメリカ政府は非難をしても、北朝鮮を軍事的に攻撃するといった手段に踏み切るほど深刻に受け止めて来ませんでした。そして、北朝鮮もそういうアメリカの本音を知りながら、それ以上過激な行動に進まないというのが、オバマ大統領と金正日主席の時代でした。

しかし、アメリカはトランプ大統領に替わり、北朝鮮も金正恩体制に替わり、これまでのシナリオが通用するかどうかは分からなくなったというのが正直な感想です。

現在、米韓共同軍事訓練が朝鮮半島で行われていますが、その作戦の一つとして金正恩の暗殺、金正恩体制の打倒といったものが、具体的な作戦として検討され、訓練がされているという情報がマスコミに流されています。

更に、アメリカの新しい国防長官マティス氏が、北朝鮮の核攻撃という暴発の前に、先制攻撃としてアメリカの核攻撃も視野に入れて、軍事作戦を考えるべきだと言った発言をしており、これまでのような曖昧な姿勢から大きく転換する可能性もあります。

こういう情勢の変化に、中国は、両国に自制を求めると言ったメッセージを発信し、この対立が最悪のシナリオに向かわないよう、両国に釘を刺しています。

つまり、これまで北朝鮮の保護者として北朝鮮を見守って来た中国自身が、予測のつかない局面を迎え、戸惑っていることの現れと見て差し支えないように思えます。

最悪のシナリオが発動された時、北朝鮮の核弾頭を積んだミサイルが、日本にあるアメリカ軍基地に向けて発射される可能性は十分にあるということです。

日本の安全を守ってくれるはずのアメリカ軍基地が、実は、日本の安全を脅かす要因の一つであるといったことを、そろそろわたしたちも気が付かなくてはならないと思います。

それは、戦後七十有余年に渡り、日本人が信じて来た安全の図式が、根本的に覆る可能性を秘めている事態が、現在進行形として進んでいるということなのです。

トランプ大統領の登場は、これまでわたしたち日本人が漠然と感じて来た不安や矛盾に光を当て、厳しい現実と向き合わず、曖昧に済ませて来た事態に、否応なく向き合わざるを得なくなっていることに気付かせてくれたのです。

残念ながら、現在の所、日本のマスコミは、トランプ大統領の暴言や派手なパフォーマンスばかりを報道し、その言動に一喜一憂していますが、本来は、これを機に、これからの日本の在り方を真剣に議論していくためのきっかけとして、日本の抱える問題をより深く報道していく必要があるとわたしは思っています。

これはまさに千載一遇のチャンスと言っても良いように思えます。安倍総理大臣を始めとする日本国憲法の改憲を主張する人たちも、それに反対する人たちも、これまでの観念的な議論ではなく、現在の事態を受けて、これから日本国として、どうすべきかを真摯に議論すべきだと思います。

当然、どちらが正しいかという議論にはなりません。唯一無二の正解を見つける議論ではないのです。どちらにも、メリットもデメリットも存在しています。それを天秤にかけてどちらかを選ぶ。それがわたしたちに課せられている役目なのです。

考えて見れば、敗戦後の日本人は、自らの判断でものごとを決めるのは国内に限った問題の選択でありました。国際的な問題、外交的な問題を判断する場合、まず、アメリカの意向を伺い、その意向に沿って進むべき道を選択して来たのではなかったでしょうか?

つまり、対外的な問題をアウトソーシングすることで、本来、日本人が、日本政府が決めなければならないことをアメリカに依存して来たと言って差し支えなかったように思えます。

これは、ある意味楽チンなことでした。もし、本格的に日本人が選択を模索したなら、現実の社会の亀裂や矛盾にぶち当たり、アメリカとの関係についても、これまでのような関係を続けていく事は難しかった可能性がありました。

そういう意味で、大多数の日本人は、自らの判断で、独立した国家の樹立を回避して来たのかも知れません。困った時には、前を行くアメリカを見習っていれば、大きくコースから外れることが無いと、心の中で思っていたのでしょうか。

しかし、手本であると信じて来たアメリカが、グラグラと揺れ始めているのです。これまでのように、アメリカだけを見つめていれば、全てがうまく行くといったシナリオが危うくなってきたのです。

その時、かつてのように「アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく」といった因果関係は成立するのでしょうか?つまりね「風邪」といったそれほど重篤な状態に至らない病気で済むのかということです。

それは、「風邪」ではなく、日本人にとって未知のウィルスかも知れないのです。これまでの予防法が全く役に立たない未知のウィルスが、トランプ大統領の登場と共に、強い感染力を伴い、日米関係に蔓延しようとしているのかも知れません。

いずれにしても、わたしたちは、中国の王外相が朝鮮半島について述べている「朝鮮半島の緊張はあらたな段階に入った」を援用し、「日米関係は、新たな段階に入った」と覚悟していかなくてはならないのかも知れません。



「問われている絵画(125)-絵画への接近45-」 薗部 雄作

「人間存在の自覚の深まり」 深瀬 久敬

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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