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第135号

2017年7月6日

「負けること勝つこと(91)」 浅田 和幸

 

 今年の流行語大賞になるかも知れないと噂されている「忖度」という言葉、最近の新聞やテレビ、更にはネットで見かけない日が無いくらいに、頻繁に使われています。

 これは、今年の初めに発覚した大阪の「森友学園」の国有地払い下げ問題に関して、国有地を破格の金額で、「森友学園」に売却した問題に、それを実行した近畿財務局の担当者が、時の総理大臣の安倍晋三氏の意向を「忖度」しての決定ではなかったかと言う国会での民進党議員の質問が発端でした。

 その背後には、安倍総理大臣の妻が、その学園の経営する幼稚園の名誉校長に就任しており、国有地の払い下げの際にも、財務省側に秘書官を通じて、現状を確かめていたという事実によってでした。

 つまり、本来なら破格の金額で国有地の払下げを実施することなどあり得ない財務省が、現行のルールを破ってまで、一私人に便宜を図ったのは、その背後に時の総理大臣の「意向」が働いていることを「忖度」しての結果であったというのが、国会で問われた疑惑だったのです。

 この疑惑に対しては、当事者である「森友学園」の籠池理事長は、一貫して安倍総理の妻の名誉校長就任以降、財務省と大阪府の教育委員会の対応が大きく変化し、そのことにより国有地の値引きも確定したと発言していますが、もう一方の当事者である財務省も大阪府の教育委員会も、そういう事実は無かったと否定することで、現在に至るまで平行線をたどっています。

 常識的に考えて見れば、安倍総理大臣が、なにか特別に言葉を発し、働きかけといったものを行わなくても、その妻が、学園の教育方針に賛同し、そこの名誉校長に就任したという事実を前にすれば、近畿財務局の職員にしろ、大阪府の職員にしろ、自分の関わっている案件が、特別な案件であることを意識しない方が、不思議に思えるというのが、四十年近く公務員をしてきたわたし自身の実感です。

 わたしの場合は、金沢市役所という地方公共団体の職員として勤務しておりましたが、自身が関係した仕事の案件の中で、「市長案件」「議員案件」というものは、特別なものとして意識しておりました。

 例えば、市会議員が直接陳情してきた「議員案件」の場合、通常の扱いではなく、特に、慎重さを要求されるものでした。断るにしても、ただ法律や条令により出来ないという言い方ではなく、検討して見たが、どこが難しいかを明らかにする必要がありました。

 つまり、その部分を考慮して、新たに提案いただけたら、実行の可能性は高まるといったことを、言外に匂わせながら処理していく場合やその場で即答することなく、上司を含め、場合によれば市長の裁可を受けての回答といった場合もありました。

これが「市長案件」となると、通常の業務は後回しにして、関係者全員が、この案件の達成のために、全力を尽くすという体制にシフトしたものでした。

 勿論、こういう案件が頻繁にある部署と、全く無いという部署もあるので、同じ公務員で勤務していても、こういった経験をせずに、退職される方もいることと思いますが、経験がある方には、このわたしの話は、十分にご理解いただけることと思います。

 つまり、それだけ市長や議員といった人たちからの指示による仕事や陳情は、職員にとっては重要な案件であり、なにを置いても処理しなくてはならないものだということです。

 あくまでも、わたしの経験による類推でありますが、これは民間企業でも当てはまることと思います。社長自らの案件に対しては、部下たちは総動員でことに当たるものと思われます。

 これは上司と部下という権力関係の中でも、最大の権力行使を意味しているものと思います。そして、その権力関係の背後には、人事という組織の人間にとって最大の関心事が横たわっているのです。

 もし、上記のようなトップからの案件の対応に失敗した場合、その結果として組織内での昇進が阻害されることを、組織人は本能的に理解しているのです。

 確かに、中には出世といったことには無関心の人間も存在し、こういった件に無関心を装う人もいますが、それはごくごく一部の人であり、大部分の組織人にとっては、命についで二番目に大事なものといった認識を持っているように思えます。

 さて、今述べたようなトップからの案件を前にして、わたしを含めこれに携わる人間がまず考えることとはなんでしょうか?それは、案件を出したトップの意向を慮るということでした。

 実は、ここが一番重要なものなのです。これを間違えてしまうと、その後どれだけ時間を掛け、努力しても、全て無駄になってしまう恐れがあるのでした。

 だから、まずトップの意向を探ることでした。つまり、この案件を積極的に推し進めるのか、或いは、潰す方向に進むのか、この判断を間違って作業すると全て無駄になってしまうのです。

 そこで、まず何に着手するかと言うと、これまでのトップの行ってきた施策や事業を検証し、その中で、今回の案件はどこに位置するかを徹底的に調査します。

 そして、今回の案件が、肯定的に進めるべきものか、否定的に廃棄すべきものかを確認した上で、それに沿って作業を行い、結論を導くことに集中したものです。

 それでは、今回の「森友学園」の場合はどうでしょうか。まず、わたしが担当者であったなら、なにを最初に確認するかというと、「森友学園」と安倍総理との関係性です。ただ、単に知り合いの間柄か、それとも、籠池理事長が述べているように、安倍総理が、この学園の教育方針に共鳴し、積極的にバックアップをしている特別な関係かどうかということです。

 そして、その証拠として、安倍総理の妻が、この学園の名誉校長を引き受け、積極的に支援しているという事実の確認ということです。この確認により、それが事実と判明したなら、この案件は、否定的に破棄すべきではなく、肯定的に進めていくことが重要であると結論付けることと思います。

 その上で、以上調査したことをまとめて、報告書を書いて、上司に提出し、対応についての支持を仰ぐものと思います。もし、わたしが上司であったなら、部下からの上記のような報告書が来れば、更に責任のある上司と相談し、必要になれば、本省の幹部にも報告し、判断を仰ぐということになると思います。

 以上のように、わたしが仕事を進めていく中で、どれが「忖度」に当たるのかと言えば、もう十分理解して頂けたことと思います。それは、安倍総理と森友学園の関係が特別であるというところです。

 担当者であるわたしは、そのことを知った段階で、森友学園になにがしかの配慮を払うことは、安倍総理の「意向」に適う行為であると判断したのです。

 だから、次にわたしがなすべきことは、安倍総理の「意向」である、森友学園の申し出の国有地の払下げをスムースに行うための手続きに進んでいくこととなるのです。

 多分、財務省の担当者も、このように理解し、それに則って手続きを進めていったものと想像できます。つまり、安倍総理がなにか指示するとか、命令するとかいったことが無くても、権力者の名前を出すことで、事務方が「意向」解釈して、実現していく行為が、「忖度」というものの実態だと思います。

 安倍総理は、国会の答弁で、盛んに「わたしは指示したことなど無い」と反論しています。多分、そこには嘘は無いでしょう。しかし、責任が無いかと言えば、それはまた別です。

 何故なら、自らも学園の教育方針に賛同の意を表し、妻がその学園の名誉校長に就任しているということの事実は否定できないものだからです。

 正直なところ、日本の社会において、「忖度」というものはあらゆる場面に見受けられます。あのオリンピックの招致の際に、壇上で唱えられた「おもてなし」という日本語を成立させているものも「忖度」だとわたしは思っています。

 「痒いところに手が届くサービス」という言葉のように、相手が言葉に出して要求しないことを、いち早く察知して、それを提供することが可能なのは、この「忖度力」のお陰なのです。

 わたしは、日本が誇るサービスの根本には、この「忖度力」が潜んでいると考えています。そして、この力を大きく持っている人ほど、人間関係をスムースにこなして行ける人間だと評価しています。 これは、小さい頃から培われてきた能力です。わたしは、この能力の成果として語られる豊臣秀吉のエピソードが好きです。それは、まだ信長の家臣でも草履取りといった下男でサルと呼ばれていた頃のエピソードです。

 冬の寒い朝、信長が草履を履くと、その草履が暖かくなっているのに気が付きました。そこで、草履取りのサルを睨み付け、「お前はわしの履く草履を尻に敷いていたのか!」と恐ろしい勢いで怒鳴ったのでした。

 その言葉に、秀吉は胸をはだけて見せ「いえ、この懐で温めておりました」と答えたのです。確かに、その胸元には土が付いており、草履を温めていた跡が残っていたことを確認した信長は、先ほどまでの怒りを忘れ、その気配りを褒め称えた言うエピソードです。

 そして、これをきっかけにして、秀吉は下男から侍へと取り立てられ、ついには信長の跡を継いで、天下人へと大出世をするという話として語られたのでした。

 如何でしょうか。このエピソードは、組織に属する日本人が、いかに上司に気に入られ、それにより出世という階段を上っていくことが出来るのかという事実を明らかに示したものです。

 この秀吉の忖度は、貧しい生まれから立身出世し。ついには天下人となった秀吉の才能の中でも、特別の才能として語られてきたものなのです。

 このエピソードが、現在に至るまで繰り返し語られ、秀吉の才能として賞賛されているのは、多くの日本人が、この忖度という心の働きに、大いなる価値を見出し、それがプラスの教訓として称揚されているからに他なりません。

 そういう意味で、今回の財務省の職員の忖度は、財務省という組織の中では、称揚されるべきものとして認められているのではないでしょうか。だから、今回の問題についても、一体どこが問題なのかといった意見も当然出てくることと思います。

 確かに、財務省という組織の中では、極めて合理的で、問題の無い忖度であっても、これが組織以外の人たちから見ると、非常に不適切かつ問題のある忖度と判断されることがあるということです。

さて、この「忖度」という言葉の反対語はなんでしょうか?いろいろ考えて見たのですが、「諫言」という言葉が適当ではないかと考えています。

 この「諫言」は、部下が上司に対して言葉でもって諌めるという意味になります。本来は、武士が自身の主君に対して、態度などを改めるように進言するという行為を指す言葉のようです。

 つまり、幾ら主君とはいえ、間違った行動や人倫に反するような行いをした場合、それが誤りであり、態度を改めるべきであるという行為が、武家社会において認められていたということです。〔1〕 正直なところ、わたしも「武士道の精神史」〔笠谷和比古著〕という「ちくま新書」を読むまでは、武士の封建制の時代において、主君に対しての異議申し立てなどあり得ないことと思っていました。

 日本人が大好きな「忠臣蔵」の赤穂浪士の物語にしても、大石蔵之助を始めとする四十七士の面々は、主君の無念を晴らすということが第一目標であり、主君である浅野内匠頭と高家吉良上野介との争いに関して、どちらに非があったかなどといった客観的な考察など行っていません。

 あくまでも、幕府が命じた事件の当事者の一方である内匠頭の切腹に対して、仇討ちという行動に至ったわけで、冷静に判断すれば、贔屓の引き倒しということになります。

 だから、わたしはこの物語により、当時の主君と部下との関係を類推していました。つまり、部下は主君の行動や行為についての批判や批評は一切せず、ただ、盲目的に主君に仕えることをよしとするものが武士道であると。

 実際、遺された史実などを見聞すると、内匠頭の江戸城での行動は、彼自身の精神的な問題、現在で言えば、精神的な疾患が起因しており、もし、現行の法律で認められている精神鑑定が実施されたら、心神耗弱で無罪といった判決が出る可能性もあったと考えられています。

 それ故、赤穂浪士の仇討ちは、心情的には理解できても、仇を討たれた吉良上野介の身内からすると、余りにも身勝手な暴挙として非難されても致し方ないような行動でした。

 そして、そういう行動を支えているものとして、上記に書いたような盲目的な主君への奉仕を想像していました。しかし、笠谷氏の著書を読むと、そこには全く異なった関係性が書かれていたのです。

 それは、主君の行動や判断が間違っていた時には、それを唯々諾々と承認し、受け入れることではなく、部下として主君にきちんと「諫言」することこそが、武士が主君に仕えるに当たり最高の態度であるということです。〔2〕

 更に、それでも聞き入れられることがなかった場合は、「押込〔おしこみ〕」といって、主君を座敷牢へと幽閉する権利を部下たちが持っていたということです。但し、部下と言っても全員がその権利を持っていたわけではなく、選ばれた人たちが、所定の手続きに基づいて、この主君への「押込」を行っていたというのです。〔3〕

 これは全く意外なことでした。主君に対しては絶対的に服従するということが、武士としての嗜みであり、それが封建制度を支えていたと考えてきたからです。

 しかし、これは全くの誤解でした。と言うより、わたしたちが学生時代に学んできた歴史という学問の中で、江戸時代の幕藩体制についての記述が、正確ではなく、表面的なものに終始していたということになります。

 つまり、わたしたちが学んできた江戸時代とは、明治時代になり、新たに天皇制を中心に据えた明治政府によって創作された、まやかしの歴史であり、明治政府にとって不都合な部分は、無視されてきたということに他ならないのです。

 多分、天皇制を絶対視し、国民を臣民と呼び、天皇一人に奉仕させることで、強力な軍事国家を作ろうとした際に、臣民が、天皇に対して異議申し立てを行うことなど、明治政府の要人たちには、最も忌むべきものとして否定されたということでしようか?

 いずれにしても、わたしたちは、江戸時代は、主君に盲目的に仕える頑迷な武士道が支配していた時代であり、明治維新による文明開花が無ければ、この頑迷な封建的体制を打ち倒すことが出来なかったと刷り込まれたということです。

 ここで、もう一つ確認しておかなくてはならないことがあります。それは、江戸時代の行政官についてです。江戸時代以前の日本の社会では、武士は専ら戦闘員=軍人という立場でした。

 平安時代の中期以降、貴族たちの命を受け、軍事行動を行う集団として形成されていった武家が、やがて、その軍事力を背景に、貴族が独占していた政〔まつりごと〕に着手するというのが、鎌倉幕府以降の歴史でした。

 ただ、その際にも、それぞれの知行地を治める力の源は、あくまでも軍事力であり、その優劣が極限にまで至ったのが、戦国時代であり、最終的に最大の軍事力を手にし、天下統一を果たしたのが、徳川家康の徳川家でした。

 しかし、家康が征夷大将軍として江戸で開いた徳川幕府は、その後、国内での争いや戦が無くなり、二百数十年に渡る平和な時代が訪れたことで、武士の本質も大きく変化することになりました。

 以前、「武士の家計簿」というタイトルで映画にもなった「算盤侍」。彼らは、刀を算盤に持ち替えて、藩の行政官として、藩主に仕え、藩の財政を切り盛りした武士たちでした。

 つまり、平和な時代を迎えた武士たちは、過去の時代であったなら、貴族や僧侶たちが行っていた行政官=文官を、武士が担うということで新たな役目を手に入れたのでした。

 本来は、敵から軍事行動により、自分たちの領地やそこに属する領民を守るのが武士の役目であり、仕事であったものが、平和な時代においては、軍事ではなく、行政官として藩を運営していくことが仕事になったということです。

 それは、単に算盤を弾くことに留まらず、河川の治水や道路の整備といった土木事業、新田の開発や町づくりといった都市計画の分野、更には、その土地に根付いた新たな産業の育成、幕末が近づく頃には、欧米文化の学びから、蒸気機関や大砲といった軍事品の製造に至るまで、現在の官僚や大学教授たちが行っている仕事に携わることになったのでした。

 本来は、武官である侍たちが文官となり、政治を行っていくという江戸時代は、世界史的に見ても珍しい形式の統治形態だったようです。そして、それがそのまま明治維新にも引き継がれたことで、他の東アジアの国々〔清国や李朝朝鮮〕とは異なった近代化を実現できた要因であったことが、最近の歴史研究で明らかになっています。

 さて、再び「忖度」という行為に立ち返ります。「忖度」という行為が行き過ぎるとどうなるのでしょうか?それは盲目的な「迎合」という結果を導くことになります。そして、この盲目的な「迎合」は社会の安定性を著しく毀損する場合があるのです。

 つまり、権力者が、大きな力を持てば持つほど、周囲の人間は、権力者への「忖度」を過剰に発揮していきます。誰よりも、自分が一番の僕〔しもべ〕であることを競い合うのです。

 これは、組織に属する人間の性です。組織の中で、有利に過ごしていくための適者生存的な振る舞いです。逆に、これが出来なければ、その中から排除され、場合よれば、命を奪われる危険性を持つ行為なのです。

 但し、気をつけなくてはならないことは、組織にとって合理的で正当な振る舞いであっても、組織外からすると、それは非合理で不当なものに判断される場合があるのです。

 〔例えば、アメリカとの戦争を前にした日本の軍部は、組織としては勇ましく戦うということが合理的かつ正当な目的でありましたが、そのためにはアメリカとの経済力や軍事力の圧倒的な乖離という現実を無視するという非合理かつ不当な選択を行いました。〕

 そこで、こういう弊害を起こさないための対抗手段が必要になってくるのです。ここでは、この盲目的な「忖度」に対する対抗手段が「諫言」ということになります。

 幾ら権力者であっても、余りにも非道な行為や人倫に劣る行為を行おうとすることに対しては、それは誤りであると、きちんと伝えることが保証されていなければならないのです。

 もし、こういう仕組みが保証されていない組織であるなら、それは、綻び始めると同時に、最終的には破滅へと向かっていくことになります。これは、古今東西を問わず、歴史上において繰り返されてきた真実でした。

 そう考えてみると、江戸時代の幕藩体制が、何故、あれほど長期に渡り平和で安定して続いてきたのかの一端が伺えるように思えるのです。それが、部下である藩士による主君への「諫言」が、制度として認められていたからに他ならないと思います。

 実際の歴史においては、「押込」を解かれた藩主が、それを行った藩士たちに厳しい仕返しをするといった悲惨な事件も起きては居ますが、それでも、制度として認められていたということの重みが無くなる訳ではありません。〔4〕

 さて、ここまで読んでいただいた方には、わたしがなにをここで伝えたいかが分かって頂けたのではないでしょうか。それは、現在の日本社会の大きな問題点です。つまり、「忖度」の文化はありながら、「諫言」の制度化が無いということです。

 これについては、「諫言」を行う部門としては、「司法」がその役割を担っているという方もいらっしゃるようですが、残念ながら、現在の日本の司法はそういう役割を果たしてはいません。

 実際、行政に関する判例のほとんどが、行政や内閣の言いなりになるもので、司法独自の見解を出すといったことなどありません。それは、人事権を握られている限り、そこからの自立などあり得ないからです。

日本の格言の「長いものには巻かれろ」、確かに、社会生活において必要な知恵であることは認めつつも、その長いものの正体をはっきり見極めずに、徒に巻かれてしまえば、その結果が、どれほど悲惨な結果を招いたのかは、つい、七十数年前に日本人は体験したのではなかったでしょうか。

 少々、口幅ったい言い方ですが、権力者の横暴と非合理な決断を許さず、それを糾し、よりよい方向へと社会を導いていくことが、未来に対してのわたしの責任と使命だと思っています。〔了〕

 

参考書籍〔1〕〔2〕〔3〕〔4〕いずれも

ちくま新書 笠谷和比古 「武士道の精神史」より参照させていただきました。


「問われている絵画(126)-絵画への接近46-」 薗部 雄作

「意味を問う自意識のことなど」 深瀬 久敬

【編集あとがき】

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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