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第135号

2017年7月6日

【編集あとがき】

 

 浅田さんの論文=「権力者の横暴と非合理な決断を許さず、それを糾し、よりよい方向へと社会を導いていく」ためには、私は、人間の存在や世界の存在の意味や価値を深く問いただしていく姿勢が根底に必要なように感じます。人間は、不安や恐怖感に襲われると、通常なら決してしない不正行為も平気で行う傾向があります。官僚も人事権をちらつかされて上司の意向をほのめかされれば、身の保身のために、やるべきことではないこともやってしまう可能性が高いと思います。

 そういう意味から、組織のトップに立つ人間には、人間や世界についての意味や価値を常に問う姿勢が求められると思いますし、そういう問題意識を欠いた人間がトップに立った場合には、忖度や汚職行為が蔓延するのではないか、と感じます。

 安倍一強の今の政権が、なぜ、存続し続けているのか、理解に苦しみますが、ある種のポピュリズムが広まっているためかもしれないなどとおそれます。

 それから、最近、テレビ放送で知ったのですが、韓国では、人工知能の政治家を作ろうとし、憲法や法律などを教師データとして学習させる作業を行っていて、5年後くらいに実用化したいとのことです。韓国では権力者に群がる人を排除できない風土があることが原因のようです。今日の人工知能の進化の様相をみていると、それも妥当かもしれないなどと、思ってしまいました。

 

 薗部さんの論文=生き物の多くが、視覚をもって生命活動を営んでいますが、そうした視覚によって得た対象を意識化し、それを絵画として外に描き返すという作業をするのは、たぶん人間だけだろうと思います。そして、その行為には、人間や世界の存在の意味や価値を問うという問題意識があるように感じます。同じものを眺めても、見る側の意識の違いによって、見えているものは全く違っているということはよくあることだと思います。画家は、そうした自意識との問答をくり返しながら、椅子なら椅子という存在の意味や価値と向き合っているように思います。形而上学と同じで、どのような見え方が正解といったことはないのだと思いますが、より対象の意味や価値を深く問い続けることに絵画としての存在価値があるのではないか、という気持ちにもなりました。



「負けること勝つこと(91)」 浅田 和幸

「問われている絵画(126)-絵画への接近46-」 薗部 雄作

「意味を問う自意識のことなど」 深瀬 久敬

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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