八月から九月に掛けて、日本のマスコミは連日のように北朝鮮のミサイルと核実験について報道しています。確かに、日本の隣国で行われている動きは、看過できない出来事と思いますが、冷静に考えてみれば、別に、この北朝鮮の脅威は、今年になって始まったものではありません。
今から十数年前に、北朝鮮が核開発に着手し、長距離ミサイルの実験を頻繁に繰り返してきたことは既成の事実です。それが、まるで突然新しい脅威が生み出されたかの如き言説を聞くと、正直なところ首を傾げざるを得ません。
事態が変わったのは、大陸間弾道弾という長距離ミサイルの技術を北朝鮮が手に入れ、アメリカ本土まで射程距離に入れたというところです。つまり、今回の北朝鮮の実施した一連の出来事で生じた脅威の当事者はアメリカであって、日本は、もう最初から当の昔に脅威に晒されていたということです。
それを、まるで明日にでも戦争が起こりそうだと煽り、国民に不安を与えようとしている日本政府の動きは、自らにとって都合の悪い森友・加計問題から、国民の目を逸らせるための方便のように思えてなりません。
確かに、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の指導者金正恩は、これまでの常識といった範疇から、少々外れてはいます。ただ、戦争は、個人の喧嘩とは違い、組織として動くわけですから、個人の怒りで暴発することなど現代では有り得ません。
特に、アメリカの場合、戦争を恣意的に個人として起こすことは、制度上困難であり、軍事的な知識も無いトランプ大統領が独走することは有り得ないというのが、政権の中枢にいる人たちの考えのようです。
アメリカも北朝鮮も、勇ましいことを叫びながら、実際は、対話による解決を模索していく以外に方法が無いことを理解しているものと思います。
そういう中で、わたしは多数の日本人にとって、北朝鮮問題より、もっと脅威となる問題は、人口問題だと考えています。この六月に出版され、マスコミでも大きく取り上げられている新書があります。それが『未来の年表』−人口減少日本でこれから起きること−〔講談社新書〕著者は河合雅司氏です。
この新書は、人口減少していく日本の社会で、これから起こる様々な問題を、カレンダーにしてあるところがユニークです。これまでも、断片的に危機は語られてきました。例えば、十八歳人口が減少し、倒産する大学が出てくるとか、全国民の三分の一が六十五歳以上になるとか、こういったことが取り上げられ、関係者の間で議論されてきました。
しかし、この新書のように、カレンダーとして編年体形式で取り上げていくと、これから日本社会が直面する、高齢化と少子化の実態が如実に見えてくるのです。
さて、ここでわたしも「高齢化」「少子化」という二つの言葉を使用しました。この二つの言葉は、従来、「少子高齢化」というように、一つの問題として語られてきました。
しかし、この新書の中で、著者は、これを一つの問題として捉えてきたことが、実は、非常に問題であったと指摘しているのです。この「高齢化」と「少子化」は、全く異なった現象であり、これを一つの問題として一括りにしてきたことが、大いに問題だったというのです。
著者によると「高齢化」とは、人間の寿命が伸び、長生きする年寄りが増えたことによって引き起こされた現象です。かつて、栄養状態、労働環境、生活環境といったものが厳しく、更に医学も遅れていたために、若くして亡くなる人が多かったのでした。
それが、太平洋戦争後、栄養状態、労働環境、生活環境も改善され、医学も飛躍的に発展してきたことで、これまで亡くなっていた病人や幼児が助かり、それにより高齢を迎える年寄りが増えてきたということです。
つまり、日本人が、医学の発展で、これまで死の病といわれてきた癌などの病いに対しても、早期治療で延命され、それにより寿命が伸びたということです。
かつては、人生わずか五十年などと言われた寿命も、男性も女性も八十歳を超えるほどに長命化したことで、この「高齢化」が起きているということです。
しかし、「高齢化」が起きたことと「少子化」は、因果関係はありません。「少子化」は、子どもを生む人数が少なくなったことで起こる現象です。別に、老人が増えたことで、子どもが生まれなくなったわけではありません。
「少子化」に関しては、様々な要因が考えられています。一番の要因は、子どもが労働力から開放されたことにあるとわたしは考えています。農業が全産業人口の八割を占める時代、子どもも農業の労働力の貴重な担い手でした。
特に、小規模な家族で経営する農家が多かった日本では、子どもが多いことで、一家の労働力が確保され、生産量にも繋がったという現実がありました。そこで、農家を中心に、子どもを多く生み育て、労働力として使役することは合理的な選択でした。〔多産多死という現実もそこにはありました。〕
ところが、戦後、高度経済成長により、農村部の人口を、都市部へ移転させるという社会構造を根本的に変える大きな変換が起こりました。その結果、農家の長男を残して、それ以外の子どもたちは都市部へと集中することになりました。
そこで、彼らは工場などでの第二次生産労働に携わり、その後はサービス業など第三次産業労働へと変わっていきました。その際、彼らの両親の世代まで必要だった子どもを多く生み育てるという価値観が必要なくなっていったのでした。
それどころか、高等教育を受けることが、その後の社会において所得等も高く、安定した生活が保障されるような社会の中で、子どもの数は少なく、一人について多額のお金を掛けて育てていくことが求められるようになったのでした。
かつてのように、義務教育を終えれば、すぐ、働き手として生産に関わるのではなく、更に高等教育を数年受け、その後働き手として社会に巣立っていくという現在のようなシステムにおいて、子どもの数は厳選されることは合理的な選択でした。
高度経済成長後、農業人口は減り続け、サービス業などの従事者人口が増大していくことで、必然的に少子化は進んできたということです。
更に、社会が便利になり、一人暮らしでも不便なく快適な生活が出来るようになると、かつてのように結婚して二人で暮らすという選択肢を選ばない若い世代も増え始めました。
また、親たちも、かつてのように自身の子どもたちに「結婚」を求める社会的な圧力を行使することを次第に放棄するようになり、子どもたちの自主性に任せるようになって来ました。
そして、そこにバブル経済が弾けたことで、正規労働者ではなく身分的にも経済的にも不安定な非正規労働者が一挙に出現したことで、結婚し子どもを育てていくという従来の価値観を実践することが難しい事態に至ったのでした。
その影響は、その後も連綿として続いており、改善されるどころか、それが常態化しているというのが現在です。元々も日本社会は、結婚した夫婦が子どもを生み育てるといった価値観が支配的でしたので、結婚するカップルが減少すれば、当然、子どもも少なくなるということは必然でした。
つまり、高齢化と少子化は原因は全く違っているのですが、現象として現れた時期が似ていたため、それを一括りにして議論するということになったようです。
その結果、なにかと言うと「少子高齢化社会を前にして」とか「少子高齢化問題の解決について」などといった言説が、政治家を始め、多くの人たちが口にするわけですが、もし、問題を解決することになっても、そのやり方は全く別物になるに思います。
そして、これからの日本の問題としては、高齢化より少子化の方がより大きな問題を孕んでいるとわたしは考えています。高齢化は、今後、医学が発展していく限り、人類の願いとして進展していくものと思います。
しかし、少子化はそうではありません。これが続いていけば、やがては日本人の人口も減り続け、最終的に現在の日本人というものが消滅してしまうことになるのです。この新書のカレンダーには、これから百年後の日本は、このままの少子化が推移していけば、現在の半分にまで人口が減少するという統計数字を提示されています。
さて、この人口減少社会ですが、現在生きている日本人の誰一人として体験したことの無い社会なのです。戦前、戦後を通して、日本社会は、人口増大社会として設計され、様々な制度が生み出されてきました。
ところが、ここへ来て初めて、人口が減少していく社会と対面しなくてはならなくなったのです。ただ、団塊の世代と呼ばれた戦後のベビーブーム世代は、自分たちが余りに多かったため、個人として大切にされてこなかった面もあり、適正な人口が必要だと考える方が多いようです。
ただ、一度膨れ上がった人口増大社会から減少社会へと変化していく時に生ずる、様々な社会的軋轢や矛盾といったことに、気が付いていないために安閑としている側面もあるように思います。
しかし、現実は、ヒタヒタと減少社会特有の問題を孕み、日々の生活を直撃してくることを、もはや回避することは不可能な状態に立ち至っているというのが、この新書を読み終えての感想でした。
わたしは金沢市に住んでいます。わたしが金沢に引っ越してきたのは、昭和三十二年〔千九百五十七年〕でした。その当時、わたしが住んでいる町から徒歩で郊外に十分程度歩くと、そこには一面水田が広がっていました。
その水田の所々に集落が存在し、それ以外は人家も無く、秋には黄金の稲穂がきらきらと日差しに輝いていました。わたしの住む町では、現在のように棟が独立した戸建ての家でなく、壁続きの長屋建の家が並んでおり、そこに大家族が住んでいました。
それから六十年。あれだけあった水田はほとんどが宅地となり、そこには住居や店舗や工場などが立ち並んでいます。細く曲がりくねった田舎道の代わりに、直線の自動車道路が整備され、かつては歩いて一時間あまりかかった集落にも、車で十分足らずで行けるようになりました。
まさに、高度経済成長により、農業人口が激減し、日本の社会構造が変換していく顕著なモデルケースだと思います。そして、全国で同じような光景が展開されたことでしょう。
この変化を押し進めた原動力は、戸建ての家を購入したいという人々の願望だったように思います。長屋から戸建ての生活は、豊かになっていくことの証として、多くの日本人に信じられてきたのでした。
その結果、それまでは農地だった土地が宅地となり、町の中心に集中していた人々は、郊外へと広がり、そこに新しい住まいを求めたのでした。そして、この願望が、国民消費という形に反映し、日本経済の飛躍的な発展にと繋がっていったのでした。
また、それを支えたのは、戦後の日本人の人口増でした。戦争により多くの若い世代を失ったことを取り戻すように、爆発的な人口増が、その後の国民消費を支えたのです。
六十年代にコマーシャルで大ヒットした「大きいことはいいことだ!」というフレーズこそ、その時代の日本人の気持ちを表現した言葉だったように思います。
それが、今度は人口が減少していくのです。郊外に建てられた家から住人が消えていく。これは、過疎地といわれている辺鄙な田舎では、すでに起こっている現象ですが、それが都市部においても生じてくるのです。
水田を潰して宅地化していった高度経済成長期と全く百八十度の出来事が生ずるのです。ニュータウンと言われた郊外の住宅街に空き家が増え、再び、人口は都市の中心部に回帰してくる現象がもう始まっています。
そして、自家用車で移動していた人たちが、運転が困難になり、移動手段を奪われても、それを補完する公共交通が、採算的に成り立たなくなっていくことで、そこは陸の孤島と化していくのです。
勿論、こういったことはある日突然起きるわけではありません。徐々に進行して生き、気が付いた頃には、もう二進も三進も行かない状態になっているというのが現実です。
こういった事態に対して、国の方では、「コンパクトシティ」といった言葉で、町の中心部に公共機関を集中し、住民の住まいも中心部に集約していくことで、移動距離を短くし、生活の質を保っていくという政策を掲げています。
しかし、私有財産制である限り、簡単に現在済んでいる土地を離れ、便利な中心部に移るということを強制的に実施することなど出来ません。ただ、いつまでも、行政区域の中で、誰に対しても公平なサービスを提供することが出来るのかとなると、これは財政的にも厳しいというのが現実です。
つまり、ある時点で、行政区域を狭くし、サービスを切り捨てていく必要に迫られるはずです。郊外の主要でない道路の補修管理は、行政ではなく、住人が実施するなどといった行政サービスの停止も、視野に入ってくるはずです。
それに対して、住民から不満が出されても、無い袖は振れぬといった塩梅で、行政としても苦渋の決断を迫られる場合が増えてくることは確実です。
これは、人間で言うところ老化現象と同じものと思えます。若い頃に出来ていたことが、一つひとつ出来なくなっていく。それを老化現象と呼んでいますが、人口減少社会においても、それと同様のことが生ずるということです。
これまでの日本の社会制度は、人口が右肩上がりに増えていくということを前提に考えられてきました。わたしの住んでいる金沢市に関して言えば、千九百六十年代に、六十万人としひ構想という都市計画が策定されました。
当時の金沢市の人口は、四十万人程度でしたが、将来はそれが六十万人に増大するということで、旧来の中心部と反対の地域に副都心を作り出し、そこに増大した人口を収納しようという計画でした。
さて、その計画に基づいて、農地だったところを区画整理等で宅地化する副都心計画は実行に移され、現在完成していますが、金沢市の現在の人口は四十五万人。当初見込んでいた六十万人には十五万人も満たない状況です。
多分、これは金沢市だけではなく、全国各地で、同じような計画が立案され、実行され、完成されたことでしょう。しかし、その前提とされた人口の増大は実現されていません。
つまり、新たに作り出された宅地等が有効に活用されておらず、逆に、旧来の町からも人が減少しているという現実とわたしたちは向き合っているということです。
しかし、こういう状況に立ち至りながら、行政にしても、住民にしても、なかなかこの現実を認めようとはしていません。なにか、まだこれから発展していくといった妄想に近い思い込みにより、政策の転換が出来ていないのです。
これは、高度経済成長により、国民の物質的な豊かさが実現され、世界でも珍しく、都市と田舎との生活の差が小さい日本社会が、初めて直面する問題なのです。
そのため正直なところ、この事態に対しての的確な処方箋を提示できる人間が居ないということも事実です。経済にしろ、消費にしろ、拡大していくための方法論を考えてきた人にとって、それを縮めていくということは、これまでの考え方を真っ向から否定するというと子であり、簡単に出来ないことであることは、当事者でなくても想像できる事です。
ただ、これから否応無く縮まっていく社会に暮らしていくということは、誰一人否定できない事実でもあるのです。正直なところ、わたしもどうすれば良いのか分かりません。
新書に掲げられている数字、「二千二十四年全国民の三人に1人が六十五歳以上」「二千三十三年全国の三戸に一戸が空き家に」「二千四十年自治体の半数が消滅」といった言葉は、それが著者の脅かしではなく、統計的数字に基づいた事実であるということに恐怖を覚えるのです。
そして、その中を生きていく自分の姿を想像する時に、なにかSFの世界に紛れ込んだような気分を覚えながら、一方では、確実にやってくる未来の姿であるというリアルな感想も覚えてしまうのです。それは、北朝鮮のミサイルが飛んでくるよりも、より確実であり、回避できない問題であるだけに、切実さを伴って迫ってくるのです。
ここまで書いてきましたが、自分の中では、少々悲観的過ぎるかなといった思いがあることも事実です。確かに、いろいろな問題あるが、それほど悲観しなくてもやがて解決できる問題だといった楽観論に組したい気持ちもあります。
しかし、そういう楽観的な気持ちに水を掛けるのが、わたしがふるさと振興事業に賛同し加入している石川県能登町から送られてくる町の広報誌です。その中に掲載されている出生欄と死亡欄を見ると、出生数より四倍近く死亡数が多いのが近年の傾向なのです。
勿論、数としては微々たるものですが、この傾向が今後とも続いて行くなら、決して、新書に描かれた日本社会の未来図は、絵空事ではないということを実感するのです。
もはや、過疎地といった特殊な地域の問題ではなくなっているのです。過疎地から、地方の中小都市、地方の中心都市、そして最後には東京や横浜といった大都市まで、同じ問題を抱えているということです。
実は、過疎地においては、高齢化も沈静に向かっているのです。ほとんどの住民が高齢者になり、そこで一生を終えていくということで、高齢者の数は減少に移っています。そして、高齢者が居なくなることで生ずるものは、過疎地の消滅ということです。
そして、過疎地が消滅していくことで、こういう地域を抱えている村や町といった地方公共団体が消滅していくことに繋がり、やがて人口の少ない地方の市へと消滅の連鎖が拡大していくということは自明の理ということになります。
最後にもう一つ。具体的な例として、わたしの家族のことを取り上げてみます。わたしの娘は昭和五十七年〔千九百八十二年〕生まれです。その年の出生者数は百五十一万五千強です。その娘が昨年次女を生みました。平成二十八年〔二千十六年〕の出生者数は九十七万六千人強となりました。〔近代的人口統計が開始され百十七年の間で始めての百万人割れ〕
数字を見れば、娘の頃の出生者の三分の二の数に減少したことになります。この傾向が続けば、娘の次女が成人になり、出産するようになると六十五万人弱、さらにその娘がとなると四十一万人強といったように人口減少は続いていくのです。
そして、この数字は百年未来のことではありません。これから六十年余り後に実際想定できる数字なのです。正直、わたしはその頃には生きていないので、どのような社会になっているかは、あくまでも想像するしかありませんが、多分、人が住まず、自然に帰った土地が膨大に増えていることは間違いないと思います。
ただ、現在の日本の社会が必ずしも最高のものでない以上、新たな現実を引き受け、人口が減少した社会を日本人が選択していくということもありなのではないかと思っています。
参考書籍
講談社新書『未来の年表』−人口減少日本でこれから起きること−
著者 河合雅司
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