珍しく相撲の話題が毎日テレビのワイドショーから流れてきています。久しぶりに誕生した日本人横綱稀勢の里がその後の怪我により活躍も尻すぼみで、本場所には多くの観客が詰め掛けていますが、話題性という点では乏しい一年でした。
ところが、十一月の九州場所の最中に相撲に関してではなく、相撲取りが起こした暴力事件により、マスコミがそれを大々的に取り上げ、連日報道したことで、突然、話題の中心に躍り出たといった感じです。
これまでも力士による暴力事件が起こり、それにより刑事事件にまで発展し、関わった親方や力士が処分されるということが繰り返されてきました。しかし、今回は、その加害者が横綱だったことで、マスコミの取り扱いも特別大きくなったようです。
更に、加害者を含め現場に居合わせた人間の供述等が出てきながら、被害者からの情報が第三者を介しての曖昧なものばかりで、事の真実がはっきりとしないまま憶測の情報が駆け巡るといったややこしい状況が、この騒ぎに拍車をかけているように思います。
通常であるなら、加害者の言葉、被害者の言葉、現場に居合わせた関係者の言葉により、状況が明らかになっていく所が、今回の場合、被害者の言葉が第三者による断片的なものに限定されていたたため、それを解釈する立場によって、百八十度異なった見解となったことで一層混乱が広がっているように思います。
その際、ワイドショーを見ているわたしにとって、不思議に思うことが二つあります。一番目は、全てのコメンテーターが、なにを措いても暴力行為が犯罪であるという前提に立っていながら、この事件に対する評価が全く違っているということです。
それは、自らの弟子が暴力の被害を受け、警察に告発した貴乃花親方に対する評価です。彼に対して、組織内で有耶無耶にせず、きちんと事件化したことを認める立場の方と相撲協会の理事という役職に就いていながら、その責任を放棄して組織を混乱させたことを非難する立場の方とはっきり色分けされたことでした。
勿論、暴力行為は絶対許せないという前提を踏まえてのものでありながら、何故、こういう風に立場が違うのだろうかという点に興味を覚えたのです。
前者の方の言い分はこうです。幾ら相撲協会の理事であり、巡業部長という役職に就いていようが、頭を縫うほどの怪我を負わせた加害者を、警察に告発し、法的に裁いてもらうことは、法治国家である以上当然のことだ。逆に、そういったことを隠して来たことが、相撲界から暴力事件が無くならない要因であり、彼の選択は正しかったというものです。
それに対して、後者の方の言い分はこうです。自らが相撲協会の理事であり、巡業部長であるなら、まず協会に報告し、協会と協議すべきである。幾ら、自分の弟子が暴力を受けたからといって、感情に流されるのではなく、職務としての責任を果たし、その結果、警察への告発をすべきであるというものです。
どちらもそれなりの理屈があります。そして、これは相撲界だけでなく、様々な組織においても実際に生じている事案だと思います。特に、組織内で起きた不祥事にどのように対処するのかという点では、組織に属している人間にとって共通の問題であります。
つまり、この二つの立場は、どちらが正しくどちらが間違っているかという二者択一的なものでなく、個人の良心か組織の防衛かそのどちらに比重を置くのかという立場の違いということではないでしょうか。
前者は個人の良心を優先する。後者は組織の防衛を優先する。そして、日本社会において、特に、組織に属している男性たちには、後者の考え方を支持する方が多いように思えます。
わたしも地方公務員という形で、定年退職するまで組織に属しておりました。その際に、感じたことですが、組織に属している限り、組織内で生じた不祥事やトラブルは、表に出すことなく、内々で解決しようといった傾向が強かったように思います。
特に、管理職になると、そういう不祥事やトラブルが表沙汰になることは、管理職としての管理能力の欠如といったマイナスポイントとして人事評価に反映されることもあり、できる限り内々に処理することが求められていたように思います。
そういう組織内部でのバイアスが強い中で、内部告発的な行為を敢えて行おうとする人間には、組織内での人間関係が悪くなるとか、排除されるとかいった制裁が加えられることもあったように思います。それは、農村で行われていた「村八分」といった制裁に似通ったものでした。
この「村八分」ですが、村落共同体の和を乱したり、村落共同体の暗黙の規則に従わない人間について、火事と葬儀以外の村内で行う行事に参加させないという江戸時代以降の農村で実際に行われていたものです。ただ、それ以前にも、村落共同体を維持していくための規則等はあったと思いますが、それを「見える化」したものがこの「村八分」だったのでしょう。
いずれにしても、小規模な共同体=組織の中で、その組織の律する価値観や規則に従わない者を排除するというのは、日本独自の傾向でなく、世界各地に広汎に流布された傾向であると思います。
つまり、厳しい自然の脅威や外敵に向き合っていく時に、自分勝手に行動し、仲間との和を乱すことは、直接生命に関わる重大な違反として厳しく罰せられることは理に叶ったものでありました。
ただ、日本の「村八分」は、そこまでの脅威が無い場合であっても、定められた規則に従わなければ罰せられるといった慣習的な縛りでした。更に、そこには個人といった概念は一切無く、構成員として所属した以上は、個人の価値観を主張することは許されないシステムでした。「滅私」という言葉の通り、「わたし」を殺すということが求められたのです。
さて、この村落共同体の規則ですが、それは時代や状況により変化を余儀なくされました。つまり、普遍的な真実がその規則を構成しているわけでもありません。
それなのに、一度決められてしまえば、それは動かすことの出来ぬ絶対的な規則として構成員たちを縛り、それに逆らう者を村八分として排除する大きな力として作用していたのでした。
今回の一連の騒動を外側から眺めていると、相撲協会という村に暮らしている貴乃花親方が、その村の規則を破ったことで非難されているといった構図が見えてくるのです。
勿論、貴乃花親方の振る舞いも、少々首を傾げたくなるような奇矯な面も見受けられますが、それよりも村の規則を勝手に破ったことへの制裁といった面が強調されているように感じられます。
特に、組織を乱したことへの怒りや反発というものは、相撲協会という同じ村に帰属している他の親方衆だけでなく、同様に業界という「村」に帰属している企業や法曹界やマスコミといった各方面の管理職以上の地位にある人たちからも強いように思えます。
そして、その結果が、弟子に加えられた暴力を公にした貴乃花親方の行為を、組織人として咎めるようなテレビや新聞の論調になっているのではと推察しています。
この事件を巡って相撲協会の体質の古さといったことを話題にする評論家なども見受けられますが、わたしから見れば、相撲協会の体質同様、日本社会に存在している組織自体に、そういった古さが残されており、それを守ろうという勢力が一定以上存在しているように感じられます。
その結果、口では暴力は絶対にだめと言っておきながら、それを告発した方法が良くないという論点ずらしが行われ、当初の暴力事件よりも、組織での対処の仕方の拙さということで、貴乃花親方の行為を批判するといった流れが生み出されているように感ずるのはわたしだけでしょうか?
もう一度整理しますが、ここでの問題はなんだったのでしょうか?それは、暴力行為を一定の教育的な戒めと見なし、地位の高い力士が、下位の力士に対して行う教育的指導であると考えている相撲協会の価値観に対して、暴力に教育的な価値など無いと主張する貴乃花親方が、事件として警察に委ねたことで起きた価値観を巡る争いだったはずです。
ところが、横綱日馬富士の引退声明をきっかけにして、いつの間にか、組織の人間として内部告発をするに当たっての方法が正しかったのか、そうでなかったのかといった議論にすり替わり、更には、横綱白鵬との確執へと移行し、本来の事件の問題点が薄まってしまったことは、なにかはぐらかされたようにさえ感じます。
今後、警察の調査が終了し、日馬富士に対しての処分が検察から発表され、暴力事件としては一段落しますが、実は、相撲協会内部の処分等はこれからということになります。
更に、被害者である貴ノ岩により、加害者である日馬富士に対して民事訴訟が起こされる可能性もあります。それは、日馬富士の処分が貴乃花親方や貴ノ岩が期待していたものより軽かった場合に想定される行動でもあります。
いずれにしても、これからは相撲協会内部で、理事として役職者として関わっていた貴乃花親方への非難が声高に語られ、その意を受けて評議委員会が理事解任といった結果も予想されています。
さて、これまでの日本社会においては、内部告発者は、組織の和を乱した裏切り者といった観点で非難されることが多かったように思いますが、今回のこの事件で、今後、世論が内部告発者に対してどのような反応をとっていくのか、非常に興味深い問題としてこれからも注視していきたいと考えています。
それともう一つ、マスコミにおいて論じられていませんが、現在行われている大相撲がスポーツなのか興行なのかという根本的な問題であります。
これに関しては、貴乃花親方のように相撲は神事であるといった考え方もあるようです。確かに、神と相撲を取り豊作を祈願するとか、落魄した神である河童が、人間と相撲をとるといったように、相撲と神事が深い関わりがあることは認めますが、現在の大相撲の原型となった江戸時代の相撲は、神事と言うより興行に近いものでした。
相撲の歴史を見ると、江戸時代の初期、相撲は寺社仏閣が火災などで焼失した後、それを再建するための「勧進」のために催されたものが、やがて定期的に興行として定着していったとなっています。
当時は、興行も十一日間で、江戸だけでなく、大阪や京都といった関西地方でも行われ、それぞれが団体として存在し、各団体との交流も盛んであったと伝えられています。
明治維新後、一時は相撲禁止令が出され、相撲の興行が出来なくなるという時期を乗り越え、その後、東京相撲協会と大阪相撲協会と分かれていたものが、大正年間に東京の両国に常設の両国国技館が建てられたことで、東京が相撲の中心になっていったようです。
そして、東京相撲協会と大阪相撲協会が解散し、大日本相撲協会が昭和二年に生まれ、年四場所十一日間の興行が、東京の両国国技館で二回、関西で二回開催されることになりました。
その翌年に、日本放送協会がラジオ放送を開始し、その番組に大相撲中継を取り入れたことで、大相撲は全国的な人気を博すようになりました。
この時、それまで土俵に無かった仕切り線が作られ、放送時間の関係で仕切りの制限時間が決められると同時に、不戦勝や不戦敗、取り直しといった制度も確立し、現代のわたしたちが知っている相撲に変わったのでした。ただ、当時は場所の日程は十五日ではなく十一日で、現行のように十五日制になるのは戦後でした。
こうやって見ていくと、大相撲は、ラジオ放送という新しいメディアと出合ったことで、近代スポーツの要素〔成文化されたルール〕が導入され、国民的な娯楽として認知されるようになったことが分かります。
更に、この傾向をより一層進めたものが、戦後の昭和二十八年に始まった日本放送協会のテレビ中継でした。ラジオだけでなく、テレビ中継が開始され、昭和三十年代に入いると、テレビの受像機が各家庭に爆発的に普及していく中、大相撲は国民的な人気番組になっていきました。
戦前において大相撲のラジオ中継が各家庭で聞かれるようになった時期、双葉山という横綱が登場し、六十九連勝といった大記録を打ち立てたように、戦後のテレビ中継の時期には、初代若乃花と栃錦の両横綱による栃若時代が人々を熱狂させたのでした。
これに呼応して、昭和三十二年に九州場所、昭和三十三年には名古屋場所といったように新たに二つの場所が加わり、東京で三場所、大阪で一場所といった現行の六場所制がスタートしました。
その後、大鵬という大スターが登場し、当時の子どもたちが好きなものとして「巨人 大鵬 卵焼き」といった言葉が生まれる程に国民的な人気を博していく中で、取り沙汰されたのが「八百長」に関することでした。
野球やサッカーのような団体競技ではなく、一対一の個人競技である相撲には、八百長疑惑が常に付き纏っていました。特に、千秋楽で勝ち越しを決める取り組みに関しては、七勝七敗の力士が、すでに負け越ししている力士から星を「借りる」、或いは「買う」といったことが秘密裏に行われているという疑惑が何度もマスコミを賑わせました。
しかし、疑惑の力士を解雇するといった荒療治を行い、真剣勝負に徹すると協会が宣言しても、数年経過すると再び、同じようなことが行われることが繰り返されてきました。
ここには、現在の大相撲が抱えている根本的な問題があります。それは、大相撲はスポーツか興行かということです。わたしの目には、大相撲はスポーツより興行に近いものに思えます。
理由はシンプルです。近代プロスポーツであるなら、個人は組織=チームと契約を結び、その契約に基づいて組織に所属しプレーをする。そして、その契約期間が終了すれば、これまでの組織同様に、別の組織と新たに個人が契約を結びなおすことが保証されている制度が基本になっているからです。
日本のプロ野球とアメリカの大リーガーとは詳細な点で異なってはいても、選手がチームと契約を結び、それに基づいてプレーを行い報酬を得るといった基本的な点では一致しています。そして、これはサッカーやアイスホッケーやバスケットボールといった他のプロスポーツにおいても同様の制度になっています。
しかし、大相撲は違っています。親方株を所有した親方が相撲部屋を作り、そこで力士を養成しますが、その際、成文化された契約書を互いに取り交わすといったことは無いようです。
更に、十両に昇進し関取にならない限り、給料は支払われず、部屋に住み込み、食事を与えられ、稽古に励むといった制度は、現代の日本ではほぼ見られない前近代的な制度です。
また、親方株は決められた数しか無いために、それを取得するためには、親方を定年や死去により辞めた人間から購入する必要があり、相撲部屋という不動産も含めて取得するためには、多額の金銭が必要になっています。
更に、親方となり弟子を指導していくに当たっては、特に、ライセンスなど必要ありません。また、相撲取りとしての地位や成績も余り関係ありません。
あくまでも親方株を保有しているかどうかということだけです。こうして見ると、相撲部屋は、形としては組織の体裁を整えていますが、実態は親方個人が運営している個人商店なのです。〔そのため親方が急死し、部屋を継ぐ親方が見つからない時は、部屋は無くなり、その部屋に所属していた力士たちは同門の部屋へと移籍する〕
プロ野球やプロサッカーは、球団を所有するオーナーが存在し、それとは別にチームを財務面も含めて運営していく組織〔プロ野球ではフロント〕があり、更には、チームを指導する監督やコーチが技術者指導者として雇われ、それが選手を指導し、ゲームを遂行していくシステムになっています。
しかし、相撲に関しては、日本相撲協会はオーナーではありませんし、それがプロ野球でのフロントといった役割を果たしているわけでもありません。まさに、相撲協会に属している個々の親方が個人商店として相撲部屋を運営し、弟子を養成しているのです。
このようにプロスポーツの体裁を全く取っていない相撲を、プロ野球やプロサッカーと同列に見なし、論ずることが出来るのだろうかとわたしなど思ってしまいます。
今回の暴力事件では、わたしが書いてきた疑問点について、ほとんど語られていませんが、この事件の背後には、こういった価値観の対立や矛盾といったものが隠されているように思えるのです。
一方でグローバル化を進展させ、世界へと門戸を開きながら、実態的には日本社会固有の価値観を押し付けるというダブルスタンダードを日本相撲協会がいつまで続けられるのか、暴力事件の対処より問われるべき問題に思います。
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