昨年の二月から始まった森友学園の国有地払い下げを巡る問題が、一年を経過して大きく動き出しました。この問題は、事件が発覚して以来、なにか歯切れの悪い部分がずっと残っていました。
そのため、どれだけ安倍総理が、この国有地払い下げに関わっていないと答弁しても、それを聞いているわたしを含め多くの国民が、すっきりしなかったのでした。
それが、今年の三月二日に朝日新聞の報道で、財務省が公文書を書き換えていた記事により、国有地払い下げ問題を大きく超えて、財務省による公文書改ざん問題という国家的な大スキャンダルに発展したのでした。
当初は、この改ざんについて明らかにしなかった財務省でしたが、実際の改ざんに携わった近畿財務局の職員の自殺により、もはや、隠し通すことが出来なくなったということで、改ざんの事実を認めることになったようです。
ただ、現状では、改ざんの事実は認めても、誰かに指示されたという重要な部分には口を閉ざし、当時の理財局長であった佐川元国税庁長官に全面的に罪を擦り付けるという戦略で、この危機的状況を乗り越えようとしています。
しかし、この戦略は、誰かに指示されやったという公文書改ざんよりも、この後の行政運営に大きな禍根を残すことになるのではとかつて公務員だったわたしは心配しています。
それというのも、公文書の改ざんは、公務員として奉職している限り、絶対に手を染めてはいけない悪事だからです。もし、こういうことが頻繁に行われるのなら、戦後七十三年間続いてきた日本の民主主義の根幹が破壊されることを意味しているのです。
それも、政治家など外部の権力者からの圧力により行われたのであれば、圧力を及ぼした権力者側にも責任転嫁ができることになりますが、そうではなく、公務員自身が自らの組織防衛のためとなると、その裾野は際限の無いものになっていきます。
つまり、なにか都合の悪いことが起きれば、その都度辻褄あわせをするために、以前の文書を改ざんし、問題を国民の目から隠蔽してしまうことが可能になるわけです。
実は、日本の社会には、こういったことがかつて実際に行われていました。それは、太平洋戦争中の陸軍省や海軍省が発表した戦況報告です。
撤退を転戦と言い換え、全滅を玉砕と言い換えるといった言葉だけでなく、戦況を正確に伝えず、日本軍が敗北を続けているにも関わらず、勝利していると誤った情報を流し続け、最終的には、原爆投下といった大惨事を招くことになりました。
この情報操作の根っこには、陸軍省も海軍省も、自らの省益だけを優先的に考え、国家全体の利益を無視するという狭く硬直した発想が軍事官僚の思考を縛っていたことにありました。
この失敗を繰り返さないために、戦後の日本社会は、報道の自由も含め、政府の政策決定に当たってのプロセスを国民にも明らかにし、選挙により民意を問うてきたのでした。
だから、今回の公文書改ざんは、有識者を始めとして多くの人々が、民主主義に対する冒涜であるといった厳しい意見を口にしているように、戦後日本社会の根本的ルールを突き崩してしまう大問題だということです。
そういう認識に立てば、財務大臣を守るだの、総理大臣を守るだのといったちっぽけな政治的な状況論ではなく、こういったことを起こした政府組織の問題点はどこにあるのか、更には、これからこの事態にどう対処していくのかを、国会を中心に真剣に論じていく必要があると思います。
しかし、残念ながら、報道等を通して見る限り、与党の国会議員の大部分には、そういう認識も無く、現在起きている騒動が有耶無耶の内に鎮静化すれば良いといった捉え方が主流のように思えます。
さて、もう一度整理して見たいと思います。この森友学園による国有地の払い下げ問題の核心はなんだったのでしょうか。
それは、ある思想傾向を持った人間が経営する教育機関に対して、不当とも思える安価な価格で、財務省が国有地を払い下げたということです。
その判断基準になったものが、ある思想傾向を持った人間が、時の総理大臣を熱烈に支持しており、更に、その教育方針に賛同を示した総理夫人が、たびたびその学園を訪問し、最終的には名誉校長の職を受諾したということでした。
この一連の総理夫人の行動と学園に対する加担を知った財務省は、本来なら有り得ない期間の借地権を認める決定を始めとして、払い下げた国有地の地下にゴミが堆積していた事実を過大評価し、適正価格の四分の一以下の価格で契約を締結し、最終的に国有地の払い下げを実施したということです。
ここまでの事実に関して、昨年の二月にこの国有地がある大阪府豊中市の市会議員が疑問の声を上げ、それを朝日新聞が記事にしたことで、国会でこの経緯が論議されることになったのでした。
いかがでしょうか。ここまで書いてきた内容を読み返す限り、財務省が決裁した公文書を、後に書き換え、改ざんする理由がわたしには明確に理解できません。
問題があるのは、払い下げた価格であり、この価格が適正であるかどうかは、国の会計検査院が審査し、もし、適正でないなら適正な価格で相手側と再度契約しなおすという行政的なプロセスで良かったはずです。
それが、掟破りの禁じ手中の禁じ手である決裁した公文書の改ざんにまで突き進むことになったのは、全く別の理由があったからということは、常識的に考えてみても明らかに思えます。
それではなにがあったのでしょうか。それが、マスコミ等でも繰り返し言われている安倍総理の国会での発言でした。総理は、森友学園の籠池理事長との関係を問われ、「わたしも妻も森友学園とは関わりが無い。もし関わりがあるということが明らかになったなら、総理大臣だけでなく国会議員も辞める」と啖呵を切ったのでした。
さぁ、そこで困ったのが財務省でした。何故なら、森友学園側に国有地を格安で払い下げるという決定を行った理由として、安倍総理を始めその夫人が、この学園の教育方針を支持しており、名誉校長という形で深く関わっている前提があってのことでした。
もし、そういう前提がなかったとしたら、多分、数々の特例を始め便宜を計らいながら、財務省は森友学園に国有地の払い下げを実施することはなかったでしょう。
つまり、財務省が無理筋で払い下げを実施したのは、その学園の背後に時の総理大臣が存在していると明確に認識していたからに他なりません。
これは憶測ではありません。わたしも市役所ですが、様々な事業の施策決定に携わった経験があります。その中で、法律・条例等で決定されている以外の事業施策を決定する際、最大のファクターは市長の意向でした。
つまり、市長の意向を無視しての決定は有り得なかったのです。市長が指し示す方向に沿ってストーリーを作り、それに基づいて起案等を作成し、最終的に上司〔市長を含め〕の決裁を得た上で、事業に着手するという暗黙のルールがありました。
もし、これに逆らえば、多分、わたしは次年度に所属している課から異動になると同時に、出世に関しても市長が選挙で落選し、新しい市長にならない限り、冷や飯を食わされることは覚悟しなくてはならないというものでした。
こういう仕組みが良いか悪いかは、ここで議論する積りはありませんが、多分、公務員だけでなく、民間企業においても同様なケースは多く見受けられることと思います。まさに、「すまじきものは宮仕かへ」ということです。
わたしの経験は、地方公務員の経験ですが、別に、国家公務員になったからと言って権力の構図自体が変化することはありえないと考えています。
そしてそのわたしの確信を決定付けたのは、当時の佐川理財局長が木で鼻をくくるような答弁を重ねている頃に、知り合いの地方財務局〔近畿財務局ではなく〕勤務の職員から、「総理大臣があんなこと言うから、その後始末が大変だ」といった内容の話しを聞いていたのでした。
多分、これは財務省の職員の共通の認識ではなかったでしょうか。もし、総理が、ああいった啖呵を切らず、「実は、わたしも妻もあの男に騙されていた。そういう意味では被害者だ」と訴えたなら、籠池氏の怪しい振る舞いもあり、それを示す交渉記録〔改ざん前の公文書〕もあり、全く違った結果になっていたのではないかと推測しています。
ところが、総理はそれとは真逆の発言をしてしまったのです。特に、総理だけでなく国会議員も辞めるという捨て台詞には、財務省の担当者も頭を抱えたことでしょう。そして、越えてはならぬルビコン川を越えてしまったのです。
考えてみれば、一つ嘘を付けば、その嘘を正当化していくために、次々へと嘘をつかなくてはならなくなる。だから、警察の取調べでは、何度も何度も同じことを聞いて、その都度の答えの矛盾を突くことで、容疑者の嘘を暴くという手法を取っています。
つまり、その場限りの嘘は、一時的には成功しても、最終的にその嘘が最悪の結果を招くことがあるということです。だから、古より嘘を付くことは、不道徳であると戒められてきたのでした。
今回の最初の嘘は、総理大臣の言葉を守るためには、それまで交渉記録として残してきた決裁文書をそのまま国会に提出することが不可能になったことが発端でした。
状況的には、佐川元国税庁長官が、理財局長として答弁したことを正当化するために改ざんが行われたように見えますが、公務員として絶対に犯してはならない公文書の改ざんを行う佐川氏のメリットがそこには発見できません。
佐川氏のように本省の理財局長まで出世した公務員なら、その後の天下り人生は順風満帆であり、いま問題になっているような犯罪的行為に手を染めてまで手にしたい個人的なメリットがわたしには見えてこないのです。
更に、一番不可解に思えるのが、財務省に改ざんした文書の原本が保存されていたことでした。意図的に改ざんしたのであれば、原本は破棄され、それが将来ばれたりしないようにするのが、改ざん者の常識だと思えるのです。
それが原本が残っており、今回のように改ざん後の文書と比較されるという不手際が生じてしまったことが不思議に思えます。特に、財務省のように頭脳明晰で優秀な人間が所属している役所において、こんな初歩的なミスを犯すことなどどうにも理解できないのです。
と言うことは、逆に、敢えて今回の文書改ざんを、誰かに発見してもらいたいという意図が、この改ざんに関わった財務省の職員にあったのではないかと邪推したくなるのです。
それは、この改ざんに無理やり関わらされた職員が、こんな理不尽なことが実際に行われたということを、敢えて文書として残し、後世に伝えたいという意図がそこにあったということではないでしょうか。
先日、自殺した近畿財務局の職員が、「これまでの常識が壊れた」といった発言を親族にしていたというコメントが新聞記事に掲載されていましたが、その方を含めて、今回の改ざんに加担させられた職員たちは、動かぬ証拠を残すことで、この無法な行為を告発しようとしたのではなかったのでしょうか。
まだ、謎が多く残る今回の事件ですが、前にも書きましたように、外部からの圧力ではなく、理財局内部の整合性を合わすために、自らの組織を防衛するためだけに文書の改ざんが行われたとしたら、これは財務省だけでなく、全ての省庁に関わるスキャンダルになる可能性を感ずるのです。
太平洋戦争で敗北した後、日本の軍隊と国民がここまで破滅的な敗北を味わうことになった原因として、軍部を始め政府が、情報統制により正確な情報を国民に提供せず、恣意的な情報操作により、客観的な判断を阻害してきたことが真っ先に挙げられました。
そこで、戦後早々に、そういった情報操作を許さぬための制度が議論され、憲法にも報道の自由と表現の自由が保証される様になったのでした。
そして、それから七十年以上の歳月に渡り、それが日本社会の基本的ルールとして国民にも理解されてきたのでした。ところが、今回の事件では、このルールが簡単に破られ、恣意的に捻じ曲げられることが起きたのです。
国民が選んだ国会議員の質問に対して、嘘の答弁を、文書を改ざんしてまで行ったということは、国会をないがしろにするだけでなく、国民に対しての裏切りと言っても過言ではないと思います。
もし、麻生財務大臣が記者会見で述べていたように、それが佐川元国税庁長官の命令により実施されたのであれば、彼は、戦後日本社会が営々として積み上げてきた国民と為政者の信頼関係を、一気に突き崩す暴挙に手を染めた大罪人ということになるのです。
しかし、国税庁長官を辞する辞任会見に登場した彼は、一年前の木で鼻をくくったような高圧的な態度とは大きく異なり、目も空ろでオドオドし、時には涙を浮かべるといった小心者に変貌していました。
そんな彼の姿を目にし、これほどの大きな犯罪を意図的に起こし、その責任を全うするだけの覚悟というものを持った大罪人であると、彼の佇まいからは全く感じられないことに、正直、わたしは驚くと共に哀れすら覚えました。
その怯えたような表情は、A級戦犯ではなく、C級戦犯として戦後の極東裁判で死刑宣告され、家族と別れ刑場へと向かう平凡な兵士を描いた「わたしは貝になりたい」という映画の主人公を髣髴させるものでした。
戦争犯罪者である「戦犯」のA級とC級の差は、、自ら命令を下す立場や地位にいたA級と、その命令を上司から受け、実行したC級との違いからでした。
つまり、C級戦犯として裁かれた兵士は、単に上司の命令を遂行しただけであり、そこに積極的な関与も意思も無かった存在でした。たまたま命令を受け、実行したことで問われた罪により、極刑を言い渡された理不尽さを、上記の映画は淡々と描いていました。
「わたしは貝になりたい」の主人公は、戦争の加害者であると共に犠牲者でもあったのです。しかし、彼が命令により実行したことで、犠牲者であることを認められず、加害者であったことにより断罪されたのでした。そういう意味では、佐川氏とどこか似ているのかも知れません。
佐川氏のあの怯えた表情と麻生財務大臣の居丈高な物言いは、この二人の関係性を鮮やかに浮き彫りにしているように、わたしには見えたのでした。
今後、佐川氏は国会の証人喚問に呼ばれ、追求を受けると同時に、大阪地検により起訴され、裁判の法廷に立つ可能性もあります。しかし、証人喚問では、曖昧な言葉に終始し、最大の関心事である「誰からの命令であったか」を明らかにすることは無いとわたしは推測しています。
ただ、それで事件が有耶無耶になり、疑問が解明されないままに幕引きとなり、それの褒美として天下り先の提供を受けたとしても、彼の人間としての名誉はどぶに捨てられたまま、回復されることは永久に無いのでしょう。
彼の生きてきた六十年余りの人生と戦後の日本の歴史はほぼ重なっています。彼はわたしと同じように、戦後民主主義教育の中で、報道の自由と表現の自由の大切さを学んで来た一人だったはずです。
更に、公務員として奉職する際には、「全体の奉仕者として職務を全うする」と誓いの言葉を宣誓したはずです。
それが、国民の信頼を大きく裏切る悪事に手を染め、不安げに怯えた表情でマスコミの前に晒されている自分の姿を見るなど、彼の未来予想図の中には無かったことでしょう。
この事件がこれからどのような道筋を辿っていくのかは、わたしにも分かりませんが、わたしが生きてきた戦後という日本社会の奥底に、なにか不気味なものが蠢いているように感じてしまうのは、単なる老人特有の杞憂症のせいでしょうか。
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