浅田さんの論文=北朝鮮問題とはなんなのでしょうか。米ソ冷戦構造のなかで、朝鮮半島は、一つの民族なのに韓国と分断されたままになってきて、北朝鮮は世襲独裁国家として過去の遺物的存在とも思われてきました。米国はかつてのパックスアメリカーナの高邁な理念を後退させる一方、中国は一帯一路構想を打ち出し、かつての中華帝国の復興を目指しているようでもあります。朝鮮半島は、こうした米中対立構造のなかでの棘のような存在でもあり、分断は免れたが米国の軍事支配下におかれた日本は、朝鮮半島に隣接しながら、なにか居心地の悪い立場に置かれているようにも感じます。拉致問題も、日本の不甲斐なさを際立たせる側面が強く、神経戦になっている感じです。
今後、米国の西部開拓史時代からある西進指向が、南沙諸島での中国との接触で、どうなるのでしょうか。また、米国は自己責任を中心し、中国は中華思想を中心とし、いずれも信頼関係はどちらかといえば軽視する社会を営んでいると言えると思います。さらに、米国は、近代の民主主義の純化された形態という解釈もありますが、銃砲規制がなく格差や差別を放置した無責任社会という側面も持っているように思います。
日本は、米国に軍事的には占領された状況がいまだに継続しており、独立した一国家としての立場の表明すらできません。ダイナミックに複雑化する地球社会のなかで、日本はどのような存在を指向すればよいのでしょうか。町人商人国家という見方もあるようですが、これもなにか自分がない脱け殻的な印象も受けます。
薗部さんの論文=第二次世界大戦前の独立国家としての日本人の心情が純粋に表現されているのかな、という感じを持ちます。
戦前の日本人は、西欧文明や中華文明と、真っ正面から、独立した主体として向き合い自らの在り方を根底から模索しもがいていたのではないかという思いがします。
その結果が、神風神話を鵜呑みにして太平洋戦争に突入し、その結末は、悲惨な玉砕体験で終わってしまったということが、なんともなさけないような複雑な思いです。戦後は、物質的な側面では、かなりの成功をおさめたようにも思いますが、なにか独立した民族、国家としての軸核を持つことなく、あいまいな部分的視点しかもたないままに今にいたっているようにも感じます。海を見つめる視線も、戦前と今とでは基本的に違っているのではないかという印象も受けます。では、どうしたら独立した国家、民族としての感性を取り戻せるのか、という問題意識を持つことが妥当なのか、いろいろ考えさせられました。芸術の世界においても、同じようなことではないかと感じます。
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