昨年から日本のアマチュアスポーツ界において、これまで表面化してこなかった「パワハラ」問題が噴出しています。女子レスリングの問題から始まり、アメリカンフットボール、ボクシング、体操、陸上、ウエートリフティングといったように、連日、マスコミが取り上げ、各協会側は、その対処にあたふたしています。
東京オリンピックを二年後に控え、選手強化ということで、各スポーツ団体が、積極的に取り組んでいる中で、こうして次から次へと問題が噴出してくるのは、指導者と競技者との間に、修復しがたい溝が生まれ、最早、それを隠すことが出来なくなったということでしょうか。
更に、その根底には、世代間の対立といった問題も見え隠れしています。つまり、昭和の時代の流儀と平成の流儀とが激しく対立し、ぶつかりあう中で、平成生まれの競技者が、不満と不平の声を上げたという構図です。
例えば、日大のアメリカンフットボール部の事件が、その構図にぴったりしています。総監督であった内田氏は、昭和三十年生まれの六十三歳。コーチの井上氏は、二十九歳ということで、平成元年生まれ。宮川選手は二十歳ということで平成十年生まれ。
つまり、内田氏は、わたしと同じように、戦前生まれの大人たちに育てられた世代ということです。だから、わたしを含め、彼の思想の根底には、戦前の昭和の思想や価値観が色濃く残っているということです。
わたしも、高校時代に体育系の部活に入っていた一人です。わたしは剣道部に所属していましたが、部活中に水を飲むことは禁止でしたし、冬の寒稽古には、裸足で雪のグランドを走らせられるといったことが先輩の命令で行われていました。
これは当時「しごき」という言葉で理解されており、こういった先輩からの命令に関しては、一切の反論や異議申し立ては許されず、黙って従うということがルールでした。
また、そういう「しごき」を行うことが、競技者としてどのようなメリットがあり、それにより何か有益なものが得られるのかといったことよりも、そういった理不尽な行為に耐え忍ぶということが、身体を鍛え、精神を強くするのだという共通認識がありました。
その結果、わたしが上級生になると、同じことを下級生に強要することに、なんの疑念も抱くことなく、同じ命令を繰り返していたのでした。
そして、こういった「しごき」は、身体的に危険な状態にエスカレートしない限りにおいて、教師を含め、スポーツ指導者の間でも、認められ、それを否定する動きはほとんどありませんでした。
このように、内田氏も、わたしと同じような環境の中で、アメリカンフットボールの選手として出発し、選手としての才能を開花し、大学リーグで活躍したようです。
その後、現役の選手を引退し、コーチなどの指導者の経験を積み、やがては母校の監督として部員を率いて、優勝といった栄誉を手にするまでになったのでした。
その際に、彼が指導者として選手と向き合う向き合い方は、あくまでも憶測ですが、自分が体験してきたこと、自分がやらされてきたこと、そういった過去の体験をベースにして、生み出した指導方法であったと思います。
勿論、アメフトはアメリカが発祥の地で、そこにプロリーグも存在する以上、日本の大学リーグでも、トレーニング方法や戦術面では、積極的にアメリカの最先端のやり方を取り入れ、更なる技術の向上を図ったことでしょう。
しかし、精神面という点では、アメリカのやり方を取り入れたかどうかは分かりません。ただ、もし、取り入れていたなら、今回のような理不尽なパワハラ事件はおきていなかった可能性はあります。
今回の事件の一番の問題点は、監督の命令が絶対的であるということでした。勿論、戦術等で監督の意向を理解し、それに則り選手が動くということは、団体競技の基本です。
しかし、その命令がアンフェアーで犯罪的なものであった場合、それに従わないという権利が、選手の側にあるというのが、アマチュアスポーツの最高法規ではないでしょうか。
多分、この最高法規を破棄して、勝つためにはどんな手段も許されるといった思想に基づき、競技を行うとするなら、それは、アマチュアスポーツの存立を脅かす行為となることでしょう。
ところが、現実には、そういうことが起きてしまいました。ワンプレーが終了した後で、相手の背後から突然タックルを行えば、相手が怪我をするということは、競技者である以上一目瞭然でした。
それを、競技に出場させるということを餌にして強要し、それが後日発覚した際、自分の責任ではなく、それを行ったプレーヤーの責任であるといった見苦しい弁明を内田氏は、テレビカメラの前で行ったのでした。
さて、これもわたしの憶測ですが、こういった類の卑劣な行為は、今回が初めてではなく、これまでにもたびたび繰り返されてきたように思います。
勿論、それは日大だけの行為ではなく、他の大学でも行われて来たことと推測します。ただ、二十一世紀に入り、スマホなどで簡単に録画が出来るようになり、これまでは難しかった証拠としての映像を誰でも公に出来るようになりました。
その結果、このツールを手にした誰でもが、告発をすることが容易になったことで、こういった行為は少しずつ影を潜めていったのではなかったかと推測しています。
しかし、こういった新しいメディアについて疎い人間たちは、この新たな事態に気づかぬまま、かつて自分たちが行ってきたようなやり方を若い世代にも強要し続けたということでしょうか。
そして、この世代間のギャップとして浮かび上がってきたのは、井上コーチと宮川選手との十歳の歳の差です。先に、井上コーチは、平成元年生まれだと書きましたが、彼が育ってきた時代は、まだ昭和の価値観が色濃く残っていた時代でした。
それは、彼が高校でアメフトの部活動を始めた当時は、戦前に生まれた人間がまだ現役として指導していた時代でした。つまり、内田氏の大先輩に当たる指導者が、まだまだ権力を持っていた時代だったわけです。
ところが、宮川選手の時代になるとどうでしょうか。戦前生まれの指導者は定年等で完全にいなくなり、戦後日本が高度経済成長を迎えた時代に生まれた指導者たちに変わっていたのです。
戦後の日本社会を生きてきた日本人を考える上で、わたしは一番重要に思っているのは、この高度経済成長をいくつで迎えたかということです。
つまり、高度経済成長を、十代後半で迎えた人たち、小学生で迎えた人たち、更には、その当時に産声を上げた人たち、この年齢の差は、彼らの価値観の形成に当たって、非常に重要な要素となっているのです。
わたしは、小学生低学年で迎えた世代の一人ですが、わずか四、五年の間に、わたしたちの生活は急速に変貌しました。盥に水を張り、しゃがんで手で洗っていた洗濯は、洗濯機の中に入れるだけで自動的に機械がやってくれることになりました。
箒と塵取りで畳の上を掃除していたのが、掃除機をかけるだけで部屋は綺麗になりました。盥に井戸水を入れて冷やしていたスイカは、冷蔵庫で簡単に冷やして食べることが出来るようになりました。
今を生きている子どもたちに、こんな話しをしても、どこか余所の国の話としてしか理解してもらえないような生活が、その時代の日本人の大多数によって営まれていたのでした。
そういう視点で眺めて見ると、宮川選手を指導していた指導者たちは、日本が高度経済成長により豊かな社会へと変貌した後に、もの心が付き、それがフツウの生活だと感じながら育ってきた世代に属しているのです。
つまり、この世代は、わたしたちの世代のように、かつての貧しく、ものが無い、戦前から続く日本人の生活実感が無い世代と定義してよいと思います。
勿論、この世代に属する中にもお金が無いために貧しい生活を強いられた人もいると思いますが、わたしたち世代は、とんでもないお金持ち以外は、皆、同じような貧しい生活しか選択出来なかった世代という点で、彼らとは決定的に異なっています。
もう一つの大きな違いがあります。それは、現在の日本人の生活の基盤が出来上がった後にもの心が付いた世代の人たちと、団塊の世代を含め、わたとたちの世代との間の大きな違いは、六十年代から七十年代に掛けて全国の大学で闘われた学生運動を体験したかどうかということです。
戦後の急速な高度経済成長の歪が少しずつ拡大していく中で起きた学生運動。特に、大学で起きた闘争には、エリートであった大学生が、いつの間にか一般労働者に格下げになったことへの反発といった面が大きかったようにわたしは思っています。
わたしが小学生の一年生だった頃(昭和三十三年当時)、わたしの住んでいる町内会(当時百五十世帯ほどあった)で、大学生はただ一人だったと記憶しています。
当時は、ほとんどが中学卒業で就職をするのが普通でした。一部の優秀な人たちは高校に行きましたが、更に、その上の大学まで進学するとなるとごくごく僅かな人数だったのです。
しかし、そういうわたしが大学に進学する頃は、同世代の高校生の二十%余りが、大学に進学する時代へと大きく変貌していました。この十年間に日本は高度経済成長により豊かに成り、これだけの人間が大学に進学できる時代を迎えていたのです。
つまり、大学生はエリートではなくなってしまったのです。数パーセントの希少価値があった大学生というブランドが、いつの間にか高校卒業の学生とそれほど大差がなくなった事態に、多くの大学生は気づいたのでした。
その失望感が学生運動のエネルギーの一端を担っていたようにわたしは感じています。それは、わたしが小学一年生の頃に、母親にこういうことを言った記憶があるからです。
それは、「僕は大学に行って生物学者になるんだ」当時は、動物や恐竜に興味があったので、「生物学者」という言葉になったと思いますが、要するに、大学に行くことは、学者になると同じ意味を持っているという認識がわたしの中にあったということです。
しかし、現実は、そんなものではありませんでした。勿論、学者になる努力も学びもしていない以上、それになれるわけはありませんが、現実の世界では、大学卒業後の進路としては、会社員や公務員といった職業が一般的だったのです。
ここまで長々とわたしのことを書いてきましたが、多分、これはわたし個人の特殊な環境ではなく、同じ時代を生きていた多くの人たちに当てはまることだと考えています。
そして、わたしたちより十年余り若い世代は、かつての貧しい暮らしを知らないだけでなく、苦い失望感に染められた学生運動も知らないということで、わたしたち世代とは異なった価値観を形成してきた世代だと思っています。
更に、それより下の世代となると、より鮮明に違いは生じ、現在、日本社会の中心として働いている人たちの間での世代間ギャップは、一層大きなものになっていることと推測しています。
こういう大きなギャップが世代間で生じているにも関わらず、わたしに近い世代に属している指導者たちは、そのギャップに気づかぬまま、従来の手法で指導しようとしているのです。
正直なところ、これはアマチュアスポーツに特有の問題点かも知れません。これが、企業活動であるなら、利益を出せず、事業を推進していくことが出来なければ、当然、その経営者は排除されていくことになります。
かつて一代で「ダイエー」を築き上げた中内氏。しかし、彼の死後、事業は傾き、現在では、そのブランド名さえ残っていません。一世を風靡した敏腕経営者も、時代の流れにより、その功績すらも抹消されていくのがビジネスです。
ところが、アマチュアスポーツではそういう淘汰は起こりません。今回の体操、ウエートリフティングのパワハラ問題に登場した塚原夫妻や三宅氏は、わたしの世代が記憶しているオリンピックで活躍した選手です。
かつての栄光を背負って、アマチュアスポーツ協会の中枢に君臨し続けることが出来るのも、ビジネスのような時代の流れによる厳しい淘汰という現象がないためです。
何故なら、彼らは指導していますが、実際に競技を行うのは各個人個人の選手であり、指導が効果的で才能を発揮できたのか、元々素晴らしい才能があり、それが開花したのかは、第三者による検証など出来ないからです。
昔から、「名選手は名コーチ、名監督にあらず」という言葉のように、自分でプレーをする才能がある人と、他人を指導する才能がある人とは別だというのが世間的には常識となっています。
ところが、日本のスポーツ界ではそうではありません。選手時代の栄光が指導者としてのステータスとなり、やがて、組織の長となり、権力を握るという構図がまかり通っているのです。
ただ、それも昭和の香りが色濃く残り、それを我慢していればやがて自分も同じ権力を握れると考えている人が多かった時代は、そういうやり方も通用したと思います。
しかし、時代は大きく変化してきました。理不尽な仕打ちや行為に対して、とても我慢ができないと声を上げる人たちが増えてきたのです。そこには、指導者の価値観の変化がありました。
科学的合理性やエビデンスを欠く精神論だけを唱えていた指導者が退場し、更には、海外でコーチングを学び、それを実践していく中で結果を出していく指導者が増えていく中で、古臭い精神論は、完全に時代遅れになってきたのでした。
そして、その指導者にとって、子どもではなく孫の年齢に近い選手に対して、かつて自分が体験してきたことをベースにした価値観を強要するという時代を迎えたことで、亀裂は修復不可能なほどに拡大し、地滑り的に様々な問題が噴出し始めたのが現在の状況なのではとわたしは推測しています。
こういったアマチュアスポーツ界の一連の騒動を見ながら、わたしは確実に時代が大きく変化しようとしている現場に立ち会っているような感覚を覚えています。
来年、現天皇が退位され、新しい年号になるということが決まっていますが、そういう節目の年を迎えるということと同時に、日本社会も大きく変革の時を迎えていると言えば言い過ぎになるでしょうか。
いずれにせよ、新しい価値観を抱いて生きている若い人たちが社会に進出してくれば、古い価値観を抱いた年長者との間に摩擦が生ずると共に、これまでのやり方や考え方の変更を余儀なくさせられるのは、人間の歴史を見ていれば理解できます。
そういう意味で、これからのアマチュアスポーツに限らずプロスポーツも含めて、これまでのような日本的なコーチングスタイルの抜本的な見直しが求められているように感じています。
技術的な指導をするためには、まず指導者としてどのように選手と向き合っていくのかといった教育や訓練を受け、その試験に合格した人間だけが指導者として選手を指導できるようなシステムの構築が必要ということです。
実際、サッカーやフィギュアスケートにおいては、すでにそういった制度が導入されており、その制度の下での試験に合格できないと、例え、かつて優秀な成績を遺した選手であっても、指導者として選手を指導することが出来ないことになっています。
現在、日本で次から次へと暴露されていく指導者による選手へのパワハラ行為を完全に止めるためには、上記のような制度を積極的に導入し、専門的な機関での講習や訓練を受講させるといった改革が必要に思っています。
今後、益々スポーツは国際化し、国境を越えて広まっていくということであるなら、そこに、指導者養成のための国際的基準も、当然必要になっていくものと考えられます。
現在、次々と噴出している問題に対して、小手先の対応に終始し、抜本的な改革を推進することが出来なく、有耶無耶なままに幕を引くことになった場合、東京オリンピック後の日本のアマチュアスポーツは、少子高齢化の流れの中で、衰退の一途を辿ってしまうのではないかといった不吉な予感をわたしは感じています。
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