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第140号

2018年10月16日

【編集あとがき】

 

 浅田さんの論文=グローバル化が急速に進むなかで、日本社会の古層的慣習が、パワハラ、セクハラ、いじめ自殺などとして、なにかのきっかけで顕在化します。それと並行して、今日の社会では、デジタル革命(AI、IoT、ビッグデータ、自動運転、等)、医療革命(がん治療、再生医療など)、非民主主義国家の台頭(中国、右傾化、独裁化など)、地球環境の劣悪化など、人類の歴史的転換点とも言える状況が身の回りに迫りつつあります。

 こうしたなかで、日本の社会は、江戸時代から明治維新を経て、これまで培ってきた価値観や人間観を、今後、どのように転換していけばよいのか、という問いを突きつけられていることはその通りのように思います。

 日本の社会は、江戸時代にまで遡る勤勉を重視する社会風土の上に、明治時代からの、西欧文明を手本として殖産興業と科学技術の進展に邁進し、それから太平洋戦争・日中戦争という泥沼に引き込まれ、その敗戦後は、純粋な民主主義の基本とも言える自由、平等、基本的人権などを受け入れ、高度経済成長をなし遂げたという流れであったと思います。しかし、そうした流れも今日、数々の行き詰まりの壁にぶつかり、どう対応していくべきか、混沌とした状況にあるように思います。

 今日の社会の基本理念は、民主主義の自由・平等や科学技術と産業の発展といった人間中心の側面があるように思います。しかし、今後は、人間とはなにか、生命とはなにかといった問いを前面に掲げ、地球上でどのような在り方をしていくか、を最大の課題として掲げて営まれていくべきのように感じます。地球上の他の生命との共存、宗教や民族の相違、経済的差別などの次元から、持続可能性も踏まえた思想の深化が求められているように感じます。

 

 薗部さんの論文=詩情、詩心というものは、人間普遍のものだと思います。それは、日常生活のなかでは、立ち止まって意識されることのないような、人間のこころの奥深くにあるうつくしいものやみにくいものを、なんらかの形で日の当たる場所に明示することのように感じます。そうした行為は、人間の日常のなかですり減らされた人間としての正常性を回復する助けとなるのだと思います。

 一方、今日の社会は、機能主義や成果主義がひろく蔓延し、ユーチューブやツイッターの視聴回数や拍手の回数といった指標が、社会動向を表しているように言われています。

 俳句も、詩情や詩心に基づいて作られるものだと思います。松尾芭蕉の詩情というのは、紀行文学のなかで鍛え上げられた、人間のかなり奥深いものに迫る卓越したもののように感じます。それに対して、現代俳句というのは、なにか詩情が希薄というのか表面的で、深い共感を覚えることが少ない印象です。

 詩情とはなにか、詩心とはなにかという問いが、今日の社会状況を踏まえて、改めて、問われる必要があるように思いました。



「負けること勝つこと(96)」 浅田 和幸

「問われている絵画(131)-絵画への接近51-」 薗部 雄作

「俳句について」 深瀬 久敬

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編集発行:人間地球社会倶楽部

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